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noteを読ませていただいて

note。

…必須。
…生き甲斐。
…満たし。

ホームを開くたびに、「書こう!」とか、「今日は何を学ばせてもらえるかな!」と胸高鳴る。

気付いたら、下書きが増えていたり。
「私に今必要な記事はないか」と、おすすめ記事を見たり、その日浮かんだワードに検索をかけたりする。

もう私の日常には、noteが寄り添っていてくれる。
そこで今回は、もうすぐ、my note掲載中のじこしょうかいに一旦区切りをつけることもあり、お世話になっているnote記事について考えてみたいと思います。

伝えたい想いがたくさん


いくつもの記事を読ませていただいて、まず最初に感じたことは、みなさんの伝えたい想いが無限にあるということ。

スキやフォロー数、収益を増やしたい。
これは単なる自己満足ではないような気がします。世に知ってほしいから、伝えたいから形にしたいのでは?

私は無知な素人です。
まず発信できることが嬉しくて、一つのスキやフォローに感激してしまいます。一人、また一人と記事をスキって評価してもらえたら、心に一滴一滴染みて満足してゆく。それはイコール、“伝える”が“伝わっている”ということ。

人間誰しも感情あり。意見は必ず持っている。聞いてほしい、知ってほしい、伝えたいという想いは当然みんな持っている。

これが私の伝え方


理由は人それぞれだと思う。私の場合は、言いたくても言えない性格で。いつもみんなの意見と違ったりするから遠慮してしまう。でもやっぱり、こういう人もいるんだってことを知ってほしいし、伝えて、それが伝わればいいなと願っている。

これが私の伝え方でした。
言葉を音声にせず、活字で。
TwitterやInstagram、YouTubeよりもnoteが性に合っている。広告や必要以上の画像は要らない。文章で伝えたい。視覚よりも心で読んでもらいたいからです。映画やドラマのように、自分に置き換えてみたり、感情移入してみたり。読み終えたときに何か一つでも心に残るものがあってほしい。

そういう私の伝え方。

いいことばかり?


みなさんの伝えたい内容を読ませていただくと、あなたにもできるとか、自身がためになった話。いわゆる読み手が役立つ情報、いい感情の提供。そういう記事が目立つように思います。みなさん素晴らしいことを書かれていてほんっとにすごいです!

反対に、ふと疑問に思いました。
不満なことや、ネガティブなこと書かないの?


「前向きに」「ポジティブに」「引き寄せる」
近代、そのような言葉が溢れています。その言葉を習うかのように、揃って「必ず道は開ける」みたいな心持ちの人が多い。
否定しているのではありません。もちろんその気持ちはとっても大切です。

*これより先は、ネガティブ入ります。お気に召されない方はここまでに留めてください。



本当にネガティブはタブー?


しかし、前を向こうと無理をしている人もいるんじゃないかと思うんです。
もし、ある悩みの壁ができた時、まずは立ち向かおうとしますよね。もうすでに前を向ています。けれど、解決できなかった、できそうもない。そういうときって、まだポジティブに感情を持ち続けないといけませんか?しんどくないですか?余計に、心に負担がかかって病気になりそうです。

ネガティブはタブーだ。そういう世の流れが気持ち悪いです。
私は、吐き出していいものだと思っています。人に危害を加えず、人を引き込まずなら。消極的な話でも、「そうだよね」「そう思う」「同じ気持ちだったよ」共通の共感性ってこちらの方が多いんじゃないですかね。

吐き出した本人も、気持ちに整理がつくし、聞いてもらったことで、前に進めることってあるし、聞いた相手も同じ感情を共有できて、罪悪感の心が本当の悪の心でなくなることもあると思うんです。私が言いたいことわかってもらえますか?孤独にため込むと小さい悪が大きい悪に変わってしまうということです。

ネガティブを甘くみない!


じこしょうかいで、自虐的なことを書かせていただきました。ポジティブ思考のこの世の流れからは勇気が必要でした。でも書きました、なぜか。
今までずっと孤独にネガティブを押し込めていたからです。ひねくれてしまって何も解決しません。心がもたないし、下手すると最悪、犯罪者になりかねないような。そこまで追い込まれるんです。甘くみていたらダメです。

特に、普段おとなしい人。あまり人と喋らない人。
言ったもん勝ちっていうけどさ。言えない人はどうするの?それ以前の問題ですよ。うまく表現できない人もいます。人を気にするなって?それでも気にする人はどうするの?
結局は、孤独に納得して自分で自分を落とし込むしかなくなります。言われてもできないものはできないのだから。

どうしても、うまくやれている人の基準にしかみえないんです。そちら側にしてみたら、努力すればいいじゃんと思うでしょうが、そんな簡単じゃないんですよ。その人の生き方がそれぞれ違うんだから。背景を見てから言ってくださいって。自分の価値観が必ずしも人によっては正しいものではない。
これは私にもよく言い聞かせている言葉でもあります。

自身がネガティブ消化


だから私はあえて、こういう風に生きてきましたと。背景を見てもらうんだと決心し、今に至ります。ネガティブだらけです。負のループです。この負を持っている人に「ポジティブに♪」なんて言っても傷つけるだけです。他人が直接的に解決してあげることはそうそうありません。本人が自力で抜け出さないと根本的な解決にはなりません。そのためには、ネガティブを発言し、消化すること、一人でも多くの人に聞いてもらえる人、共感してもらえる人に出会う必要があります。そこから必ず抜け出せる方法を自分で掴めると思うから。

noteを読んで、たくさんの“人の考え”に出会うことができました。
そこから学ぶこともあります。背中を軽く押してもらえたり。
勇気づけには、本当に読ませていただいて損はありません。
そういう記事に対して、その方々に、もっとネガティブな感情を伝えてもいいと思うのです。ちょっと今元気がない人。憤っている人。不満のある人。気持ちを軽くしたいときにSOSを自ら発信してみてほしいです。
感情が整理されて何かがきっと変わるはず。


知ってもらいましょう、伝えましょう、受け入れてみましょう


是非、その記事を見かけたら、そういう人たちを否定から入るのではなく、賛同や受け入れから入ってほしいと思います。そうすれば、救われる人が増えるはずだし、プロじゃないけど、微力だろうけど、心理カウンセラー的な役割も担えると思うのです。そのためには、まずお互いが、自己紹介からでも自分のことを知ってもらうことが必要不可欠です。

人を疑いの目から入っていた私が、noteを通じて心を許せるようになりました。ニュースばかりの悪い人よりも、理解できる良い人の方が多いと信じるようになったからです。悪い人と表現しましたが、罪は犯したかもしれないけれど、その人にもその人の人生の背景があるということを決して忘れてはなりません。
日本人というのはすごい精神を持っている人だと、改めて見直されていますね。ずっと世界に誇れるように、一人一人が互いの心に向き合っていく必要性が訪れているのではないでしょうか。









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