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生きてるってなんだろ生きてるってなあに

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

先日から取り掛かっていた“社内ワークショップ”がようやくひと段落しました。

終わって今は、かなりホッとしています。

と言うか、実際のところはもうちょっと積極的な感じで安心感を得られているような状態と言えるかもしれません。

それと言うのも、これまで僕たちが知らないままにしてきてしまった分野について、この社内ワークショップの実践を通して、「知って、使って、分かって、出来た」という体験が手に入って、「不足から充足に変わった感覚を持てた」というのがとても大きかったからじゃないかと思っているんです。

今回の体験を振り返ると、それぞれの状態で如何に“脳みそ”の状態が変わっていくのかというのを、よくよく理解する事ができました。

まず「不足」状態に気付いた時。
これは、もうとにかく焦ります。何しろ、「何が」不足しているのかもわからないのに、「何かが」不足しているのに気付いているんです。だけど、それが「何か」は分からないので、対処のしようが無い。だから、とにかく焦るけど焦るだけしか出来ない。この時は、本当に困ります。焦るけど、やる事が無いし、やり方どころか、何かをやる必要があるかどうかもわからない。

次に、「何が不足しているのかわかった」状態。
“静的な行動”をしはじめたところです。ここで少し落ち着きます。自分に不足しているモノがどうやったら手に入りそうなのかが見えてきます。とは言え、それを手に入れるためにどうしたら良いか(及びその手法)が一体どういうモノなのかを知ると、これがまた大変になってきて、ここでもまだまだ焦ります。

そして、「不足しているモノを知ろうとしている」状態。
「知るという行為」を始めたという感覚は、僕の心を落ち着かせ始めました。だけどどれくらいをもって“知る”というのかはこの時点では全くの未知数で、何をどこまでやるのか暗中模索状態です。当初からするとかなり減った実感はありますが、まだ焦りは続きます。

その語、「知るを続けて不足感が減ってきた」状態。
関連する本を2~3冊読んだ辺りから、当初感じていた焦りが急速に収まっていきました。「知る」事でこんなに心が落ち着くのかと思いつつ、今度は別の衝動が湧きおこります。「知った事を、はやく試さなければ」という衝動です。

「使ってみたけど不足感はまだ少しだけ残っている」状態。
“動的な行動”の段階に入ります。本で学んだ知識を使ってみます。今回で言うところの“社内ワークショップ”を開催したところです。ここでは、もう当初の焦りは無くなりました。ただ、このワークショップを早く全てやり通したいという気持ちが大きくなってきました。更に、知識を使うという行動をした事で、“静的な行動”だけではわからなかった事が新たに見えて来て、「分かる」が発生しはじめてきました。

「使った事で、分かるが増えて、不足感はほとんど感じなくなった」状態。
“動的な行動”を更に進めて、「分かる」がどんどん増えてきました。「ああ、あそこに書いてあったのはこういう事だったのか」というのが使ってみてどんどん増えて、「もうすぐで何か出てきそう」ってなった時には、不足感もほぼ消えて、ワクワク感がやってきました。

最終的には、「分かってきて、ひと段落する程度にはそれなりの形が出来た」状態。
“動的な行動”を区切りになるところまで一旦やってみたら、これまでに見えていなかった色んなモノが見えてきました。もちろん、「必要だ」と感じていたモノがひとまず出来上がって、それなりの満足できる状態になったというのも大きく影響しているとは思いますが、それよりも、自分達でやってみる中で、理解度が深まった状態で今一度色々を見直してみたら、「見える景色が変わった」は言い過ぎな気もしますが、それでも“動的な行動”をする前には全く見えていなかったし気づいてなかった事が、恥ずかしくなる位見えてきたんです。だからこそ、形になるモノが出来たんだとも思っています。この時には、もう不足感も無ければ焦りも無くて、今度は出来上がったモノを実践投入してその効果の検証をしていきたい気持ちで一杯です。

こうやって自分達の行動が変化するのに合わせて、脳みその状態も変化していきました。
ここまでに書いたように、行動が変化すれば、自分達の状況も変化していくわけです。

という事は、これからもまだまだ自分達の状態も状況も大いに変化していくのがもう既に想像できてしまいます。

これから、この「出来上がったモノ」を実践投入して、それに対するフィードバックをたくさん受け止めて、それに一喜一憂しながらさらに良いモノにしていく取組を続けていくって事なわけですから。

起業する前にも、起業してからも、これまでに何度も何度も味わってきましたし、今回の件でも味わいましたが、“静的”だろうが“動的”だろうが「行動」をする事でしか「不足」や「不案」を感じている自分の心を変える事は出来ないんだ。

その事を、痛いくらい身に沁みました。

これも何度も心に刻んできたことですが、あらためて文字にしておく必要があるのかもしれないなと思ったので、後々の自分の為に書いておこうと思います。


自分や自分達に「救いの手」を差し伸べてくれるのは、自分達だけしかいないんだ。
何かが来るかもしれないと希望を持って待っていたって何もやって来ないし、ただ時間が過ぎて、焦燥感に焼かれて、終わりが近づいてくるだけだから。
最初は小さくても、とにかく動け。知識が無いなら本を読むところからでもいいから動け。動けば、必ず何かが手に入るから。止まって考えてるだけじゃ意味が無い。
それが徒労でも、失敗でも、とにかく何かの材料が手に入るから、手に入れたらまた考えて、また動け。動いていれば前に進む為の材料が集まるし、止まって動かなければあとは終わるだけだから。


今、自分達が手に入れたと感じているほんの少しの「いい感じ」がある時だからこそ、安心して止まってしまわないように自戒を込めて。

まだ終わらないし終われないし、これから始まるし、始まり続けるっていう部分もあるんじゃないかと思っているし、生きてるっていうのは、動いているって事なんじゃないかなと思っています。

さあ、動け。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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