見出し画像

立ってそして立ち向かおう誰かと一緒に

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

組織開発の仕事をしていると、「結局最後は、個人の適応課題に取り組めるかどうか」になってくる場面に出くわします。

スタートから経営者が適応課題に取り組み始めていたり、従業員に関わらせてもらい始めると適応課題に取り組む必要が腑に落ちてすぐに取り組み始める方と、最後の最後まで適応課題の存在に気付かないフリをしつづける方など、様々な方に出会います。

当然ながら、各々がそれぞれの適応課題に向き合って取り組み始めると、そこから組織の課題が解決の方向に進み始めるわけですが、そんなに簡単に進む事はほとんどありません。

それぞれがそれぞれのペースで、徐々に課題解決の方向に進み始めるわけですが、進んで行くことで起きる“変化”がまた新たな適応課題としてその人たちの前に立ちはだかるという事がよく起きます。

「適応課題を受け入れてそれを越えていく為の取り組みを始める」

文字にするとたったこれだけの事なんですが、これが本当に難しいのを、僕自身も身を持っていつも体感しているわけですが、“組織開発”という仕事をしている身としては、そんな「難しいと自覚している事を他者に強いて変容を求める」というのが日々の仕事の中身になっています。

これも文字にすると、たったこれだけのことなんです。

たったこれだけなんですが、これはとっても重たい事だという事を自覚しておかなければいけないと常日頃から思っています。

そんな事を思いながら取り組んでいるからなのか、「“組織開発”は、相手からしたら余計なお世話だと思われている」という可能性をいつも頭の片隅に置いています。

と言うか、面と向かって“そういう意味合いの言葉”を向けられる事は想像以上によくあります。

そんな場面に出くわしてしまう背景に一体何があるのかは、これもいつも考える訳ですけれども、そこにある最大の理由はやっぱりこういう事なんだと思っています。

「適応課題に向き合いたい奴なんていないんだからそっとしておいてくんないかなぁ?邪魔くさいから」

これに尽きるんだと思うんです。

そんな状況には、僕自身、思い当たる節が山ほどあります。

母「宿題やったの?今のうちにやっちゃいなさいよ!」

僕「今やろうと思ってたとこだったのに!もう今のでやる気無くなったよ!」

母「やろうと思ってたんならすぐやんなさい!」

僕「あーもう!もう絶対やらない!」

母「やらないと自分が困るでしょ!」

僕「うるさいな!黙っててよ、もう!」

なんていうようなやり取りを、小学生だった当時に散々やったような記憶があります。

小学生当時の宿題を回避しようとする当時の僕と、企業の中で仕事に取り組んでいる人達を同じレベルで語ろうとする無謀さについては多少の反省もしながらこれを書いてはいますが、冷静に考えれば、「小学生にとっての宿題」と「企業人にとっての業務の中で取り組まないといけない課題」は、恐らく同レベルの難しさで立ちはだかる適応課題だと言っても過言では無いはずです。

あの頃の僕が感じていた「宿題やりたくない!」という気持ちを、上に書いた母とのやり取りを書きながらかなり鮮明に思い出したような気がしていますが、大人になった僕が「仕事の中での適応課題」に向き合う時と同じレベル感の苦痛だったと感じています。

つまり、子どもだろうと大人だろうと自分自身の“適応課題”に向き合う時に感じる“苦痛と喪失感”には全然違いが無いという事なんだろうと見当が付きます。

そんな“適応課題”に対して、正面切って向き合って、決して逃げ出さずにその課題に取り組んでいく。

子どもだろうと大人だろうと、それだけが唯一、適応課題に飲み込まれずに真摯に自分の人生を進んで行く為に必要な事なんじゃないか。

そんな事を、「他者が適応課題を前にした時の姿」を目にする度に考えます。

適応課題に、たった一人で己の身一つで立ち向かうというのは、本当に難しい事だと思います。

だから、そんな時のために、僕達のような「他者のサポートをする役割」がこの社会に必要なんだと思っていますし、だからこそ僕達の存在がこの世界に必要なんだと自負しています。

「そこで、たった一人で闘っておけ」

僕は、適応課題を前にしている人に対して、そんな事を言うつもりも無ければ、そんな事を推奨しようとも思っていません。

「一緒に考えましょう。それでゆっくり前に進みながら一緒に頑張りましょう」

一人で立ち向かい、一人で取り組む事の大変さと難しさを、僕達は自分達自身の体験として痛い程よく知っています。

だからこそ、適応課題を前にした人達には、自分一人だけではなく、僕達と一緒に取り組んでいってほしいなと常に思っています。

一人では挫けたり諦めたりしてしまうかもしれないモノにも、誰かと一緒なら立ち向かう事ができるかもしれない。

適応課題への取り組み方として、僕たちはそんな風に考えています。

とは言え、最後はもちろん、適応課題を乗り越えていくための取り組みは、その本人がやるしかありません。

そこは、何がどうあれ、誰であっても、絶対に変わりません。

でも、その直前までは、他人が手伝えることがあるんじゃないかと思っています。

適応課題が立ち塞がったら、そこから目を背けて逃げ続けるか、立ち向かって乗り越えるしか道はありません。

目を背けて逃げれば、その瞬間は適応課題が一旦目の前から消えて無くなったように感じるかもしれません。

だけど、そんなことをずっと続けることができるかどうか。

これもきっと持続可能性の話なんだと思うんです。

“適応課題”を前にした時に、自分自身の持続可能性と未来に続く道をどんな道にしていきたいのか。どんな選択をして、どんな決断をするのが自分の人生にとって良いのだろうか。

それは、本当に最初から最後まで自分一人で取り組まないといけないのだろうか。

そんなところからも、僕達は一緒に考えていけるはずだと考えていますし、やってきていると自負しています。

目の前に“適応課題”が立ち塞がった時、その“適応課題”から目を背けたいと思ってしまった時、そんな時が来たら、ここに書いた話や僕達の事を思い出して声をかけてもらえたら、きっと何かサポート出来る事があるんじゃないかと思っています。

小学生の頃からずっと毎日毎日“適応課題”に苛まれ続けている僕が言うんですから、それなりの説得力があるんじゃないかなと思っています。


まあ、これはこれでなかなかキツイモノがありますが。

それでもへこたれない打たれ強さも、サポートの際にはきっと役に立つんじゃないかなと思っています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?