走れ走れ明日へ走れ
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「山田は死んだ。リバプールの風になった」
この名言は、日本プロレス史に燦然と輝く名レスラーの一人“獣神サンダーライダー”が語ったとされる言葉です。
なぜこれを“名言”だと捉えているのかと言えば、「マスクマンであるあなたの正体は“山田恵一”なのでは?」という疑惑をかけられているライガーが、「山田は死んだ」と断言することで、「自分は“山田恵一”ではない。なぜなら、山田は死んだからだ。自分の正体なんていうものはなくて、ただ“獣神サンダーライダー”という存在である」と断言していおり、なおかつ、“山田の死”というモノを「リバプールの風になった」というとっても詩的な表現をしているところが、まさに“名言”としか言いようがないんじゃないかと。
きっとここまで読んでくれた方は、こんなことを思っているかもしれません。
「山田って誰?」とか「なぜリバプールなの?」とか「獣神サンダーライガーって何者?」なんて。
確かに、もしかしたら万が一にもこれらを知らない方がいるかもしれませんので、しっかりと説明をしたいとも思ったりはしたんですが、これについて書き始めるとどんどん脱線していってとっても長くなってしまいまそうなので、今日のところは割愛しておきます(気になったら是非ググってみてもらえると、僕と同じように立派なプロレスファンの正道(?)を歩めるかもしれません)。
今日書きたかったのは、「人は、生きている間に“何度も”死ぬんじゃないだろうか?」ということについてだったんです。
どうしてそんなことを書きたくなったのかと言えば、今日まさに「ああ、自分はさっき死んで、今から新しい自分としてこれから生きていくことになるんだなぁ」と実感してしまうような“気付き”があったからなんです。
今日感じた“気付き”と同じような衝撃は、これまでにも何度も味わってきました。
ただ、これまではそんな衝撃に対して「覚醒した!」とか「確変入りました」とか、そんな捉え方をしていたんです。
言うなれば、「それまでの自分の延長線上にいながらも、人生の中で比較的大きな変化があった」というような捉え方とでも言うんでしょうか。
でも、今日の“気付き”は、これまでに感じた“痛み”の中でも最大級のモノを伴っていて、心の底から反省をしつつ、だけど、その痛みを伴った気付きがこれから先の未来に向けての“大きな希望”にもなったような感じがして、もちろん一度も体験はしたことが無いんですが、「ああ、今までの自分はここで一旦死んだんだな。そして、今から新しい人生を生きることになるんだろうなぁ、このくらい見える世界が変わるってことは」なんてことを考えたんです。
もちろん、僕のこの肉体も存在も傍目には何一つ変わりませんし、この体の調子の悪いところも変わりませんし、乱視もそのままでPC画面の文字はぼやけて見えるままですし、ここ最近ずっと(物理的に)痛む場所も痛いまんまです。
だけど、ついほんの少し前まで「〇〇っていうのはこういうもんだ」という感じで、「この考え方は変わらないし間違いないだろう」と思っていたモノが、本当にガラッと180度真逆と言ってもいいくらいの変化をしたわけです。
まるで内面だけは、さっきまでの自分とは“全くの別人”になったかのような、それこそ、「これからは、マスクマンとして生きていくんだ」と生き方を変えたかの如く。
そんな変化が自分に起きた時に、真っ先に浮かんだのが冒頭の言葉でした。
そして、僕もこう思いました。
「さっきまでの“あかね”は死んだ。リバプールの風になった」って。
でも、僕がいる場所からすればなれるのは“高崎の風”くらいなのかもしれませんし、そもそも群馬という土地柄で“風”と言えば、「“赤城おろし”になった」とか「“からっ風”になった」っていう感じになるのかもしれません。
こうやって書いてみると、あらためて当時の獣神サンダーライガーのワードセンスには感心させられてしまいます。
やっぱり“リバプールの風”の方が語呂的にもしっくりくるしカッコイイなぁと思うので、僕は一度も行ったことがありませんが「リバプールの風になった」ということにしておきたいなと思っています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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