私的プロレススーパースター烈伝⑥獣神サンダー・ライガー
今回は2020年の東京ドーム大会で引退を表明している獣神サンダー・ライガー選手です。ライガー選手は1989年(平成元年)4月24日の東京ドーム大会で「デビュー」したマスクマンです。
その後、1994年に団体の垣根を超えた第一回「SUPER J-CUP」を開催したり、ジュニア一筋でプロレス界に貢献し、新日本以外にもメキシコやアメリカでも広く名を知られる「世界の獣神」です。
さて、2019年3月7日、前日の旗揚げ記念日での、IWGP Jr.タイトルマッチ対石森太二戦で敗戦した翌日、ライガー選手は引退を表明しました。
引退試合は2020年1月のドーム興行で行われることが発表されたのですが、これに異議を唱えたのが、新日本を席巻するヒール軍団である鈴木軍のボス・鈴木みのる選手でした。
かつて、新日本の試合前練習で藤原組長がスパーリングを行う時間がありました。熱を帯びると、観客が入ってきても続いていたといいます。その中にライガーの「中の人」や船木誠勝選手、鈴木みのる(当時は実)選手らがいたわけです。
その後、パンクラスを旗揚げし、総合格闘技の道をひた走っていた鈴木みのる選手とライガー選手は再び邂逅します。
2002年11月30日に総合格闘技ルールで鈴木みのる選手と対戦したのです。当初は佐々木健介選手が出る予定でしたが、急遽佐々木戦が消滅。代打としてライガー選手が名乗りをあげたのでした。
結果は敗れたものの、鈴木みのる選手はこの試合をきっかけに再びプロレスに開眼し、以降、総合格闘技からプロレスに戻った経緯があったのです。
この時にライガー選手は「二年時間をくれ」と言い残していたのですが、再戦はなされずじまいでした。
そこで、鈴木選手が「俺と戦わずして楽な余生を送ろうとするな」ということで、執拗にライガー選手を付け狙います。そうしてついに10月14日の両国で一騎打ちを行ったのです。
試合内容はパンクラス時代のものを彷彿とさせつつ、現在進行形の闘いを織り交ぜた、まさに「集大成」と呼べる試合で、ライガー選手は文字通り力尽きて終わりました。
試合後に鈴木選手はライガー選手に深々と頭を下げ、ライガー選手も「鈴木、ありがとうな!」と呼応。こうして2人のドラマに終止符が打たれたのでした。
驚異的だったのは2人とも50歳を超えて、この日一番の感動的な試合を見せて残したことです。正直この試合が実質的なメインといってもよかったでしょう。
プロレスは長く見ていればいるほど面白くなる特異なジャンルですが、その面白さを凝縮させた闘いになったのでした。まさに「プロレスとはかくあるべし」といえる試合でしたね。
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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。