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昔若者だったけど今何者?

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

今日、とある企業の経営者と話をしていている時に、自分の精神年齢についての話になり、あらためて振り返ってみる事がありました。

自分で認識している自分の精神年齢って、「10代後半から大して変わっていないなあ」と思いました。

これは、大抵の大人の人達が言っている事でもあるので、今更あらためて僕が話すような内容ではないんでしょうけど、久しぶりに自分の精神年齢について考えてみたので、今一度ここで触れてみようと思います。

実際には、もう45年近く生きているので充分過ぎるほどの「おっさん」です。もうこれはどうしようもない現実として、昔に比べれば脂肪がお腹周りに付きやすくなったし、少し動くと疲労をすぐに感じるし、疲労すれば回復までに随分と時間がかかり、ケガをすればいつまでも痛みが長引き治癒までに随分と時間がかかり、近いところから遠いところに目線を移すと焦点が合うまでに若干の時間がかかる等、肉体的に衰えを感じる事がかなり増えてきています。

こんな状態であるにも関わらず、精神年齢については10代後半の頃とあまり変わらないというこの感覚。

「カッコいい」と思うモノ(プロレスラーとか格闘家とか)が、以前と大して変わらない。「面白い」と思うモノ(漫画とか映画とか)が、以前と大して変わらない。「美味しい」と思うモノ(カレーライスとかオムライスとか)が、以前とは多少変わった部分もあるけど根本的には変わらない。「カワイイ」と思うモノ(広末とか)が、以前とそれ程変わらない。

だから、若い人と交流する機会が少なくなってくると、ついつい自分が「若者」である気分になってしまう瞬間があったりするんです。

でも、「本物の若者」である学生さんと交流する機会があったりすると、明らかに自分が「昔の若者だった人」であり、「今この瞬間の若者は彼らである」というリアルを認識できるのが、何というか、とてもリアル感を伴った眩しい瞬間と言うか、輝きの様なモノを感じて、嬉しくなるようなそんな気持ちが湧いてきます。
それと同時に、自分自身について「ちゃんと大人として生きなければ」という切実さを感じたりして、あわてそうになったりすることがあります。

だけど、よくよく考えると、「ちゃんと大人として生きる」ってどういう状態なのか?

こんな疑問がすぐに湧いてきてしまい、結局、自分が生きているこのいつもの状態が自分にとっての「ちゃんと生きる大人」なんじゃないかなという結論になってしまうんです。

この世界を自分の目で見渡して、自分が幸せになるという事から目を逸らさず、成し遂げたい目的からずれないように、そこから考えた自分の役割を成す為に、自分に出来る事を精一杯やる。

これが、自分の考える「ちゃんと生きる大人」として目指す姿なのかもしれないと考えています。

こう生きる事ができていれば、例え精神年齢が30年近く前で止まっていようとも、それ程大した問題じゃないのではないかと思えてきますし、「年齢はただの数字」という言葉にも大きく同意する事ができるような気がします。

とは言え、止まっているのは精神年齢だけであって、肉体年齢は留まる事を知らずに、刻一刻と進んでいるのを実感しています。

この実感を忘れずに、「自分が若者である」という勘違いを起こさぬよう、常に精神年齢と肉体年齢の乖離から目を離さないよう、くれぐれも注意して日々を過ごしていこうと、あらためて自分に言い聞かせました。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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