NEWプロジェクト始動
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
臨機応変ここに極まれり。
まさに、この言葉がぴったりな状況に直面しました。
実は、少し前から我々プロタゴワークスも参加して徐々に動き始めていた計画が、今日から本格的に始動しはじめました。
その内容は、「高校の授業でオンライン対話を実施するプロジェクト(これは正式名称ではありません)」です。
このプロジェクトは、キャリアコンサルタントや産業カウンセラーなどの有資格者で結成されたチームが、熊本県立甲佐高校の学生に対して、オンラインでの「対話」をキャリア教育の授業の1コマを使って1年間に渡って実施するというものです。
なので、正確には、プロタゴワークスとしての参加ではなく、僕と仲間がそれぞれ個人として参加しているわけなんですが、結果的にプロタゴワークスが参加している事には違いありませんので、ウチではこれもプロタゴワークスの活動であると見なしています。
高校生との「対話」をオンラインで授業の一環として行うというのは、ウチが自社の事業だけに取り組んでいたら到底巡り合う事は無かったはずなので、このお話をいただいてとてもありがたく思っています。
自分達がオンライン哲学対話を定期開催しているとはいえ、現役の高校生と対話をする機会にはなかなか出会えません。ごくたまにウチの開催するイベントに高校生が参加してくれる事はありましたが、それは偶然の産物です。
でも、これからは、少なくとも1ヵ月に1回は高校生と対話をする機会があるという事が、ウチの会社にとっても物凄くプラスになるだろうと考えています。
現役の10代であり、これからの時代を担っていく人達であり、その先の時代を作って繋げていく人達でもある「現代の若者たち」である高校生。
そんな「現代の若者たち」と、オンラインとは言え、直に対話をする機会に恵まれるということは、僕たちが常々求めてやまない「普段あまり触れる事の無いような他者の視点」に触れるまたとない機会です。
僕も仲間も、と言うか、既に大人になって社会で仕事をしている誰であっても、過去には「現役の若者だった」時期があります。
だからだとは思うんですが、ついつい「今の時代の若者の考えている事や気持ち」が理解できるような気がしてしまう瞬間があるんじゃないかなと思うんです。
と言うか、僕は時々そういう錯覚をしてしまう事があるんです。
そんな錯覚に陥っていると、自分と関係性が近しい「今の時代の現役の若者」である甥っ子や姪っ子と会って話をする機会があった時、ついつい彼らの態度や言う事に対して説教がましい事を言いそうになってしまう事があります。
だけど、「わかる気がしている」だけであって、現実には僕は今の時代の若者ではないので、「本当に」わかるわけではありません。
あくまでも、「あの頃の自分が体験したモノ」をベースにした大人の視点でもって「大上段から」正論の刃で切りつけようとしてしまっているだけなんだと思うし、そもそも、そんなのは到底「対話的な姿勢」ではありません。
「まずはじっくり話を聞くことが大切だ」
いつも、自分自身にそう言い聞かせて、ギリギリのところで「説教オヤジ」になってしまうのを回避しています。
そんな「過去には現役の若者だった人」である自分が、「対話をする人」として、「今の時代の現役の若者」との対話によって、一体どんな事を感じ考え発言するのか。これからどんな事が起きていき、どんなモノが生まれるのか。
このプロジェクトに参加している当事者であり、対話を生業とする人として、これからどうなっていくのか楽しんで関わっていこうと思っています。
それにしても、こんな風に熊本県の高校生と授業の中で「対話」をしているなんて、去年の今頃は全く想像すらもしていませんでした。
流行り病によって急激に推進された「オンライン全盛時代の到来」がこの社会に与えた影響は誰にも計り知れないものだったけど、その波に乗じて自分達でもオンライン哲学対話をずっと継続してきた経験が、今ここでこんな風に役に立っている事に、びっくりするやらありがたいやら。
1年間以上にわたって定期開催してきたオンライン哲学対話をやってきたのもあって、文字通りに「どんな状況であっても」目の前に相手がいれば、「対話」をする事はできました。
相手が何を考えていて、どんな姿勢で臨んでいて、どんな状況下にいるのか、オンラインではこちらからはわからない事がたくさんあります。
だけど、そこでやりたいのは「対話」です。
「議論」でも「討論」でも「雑談」でもなければ「商談」でも「説得」でもなく、「対話」です。
そう考えるだけで、僕としてはとても気持ちが楽になるんです。
上に挙げた「話をする」という状況の中で、唯一「対話」だけが、僕個人の能力や実力とは全く関係なく「いいもの」になる可能性が存在していると認識しているからです。
色んな定義が様々あるんだとは思いますが、少なくとも僕が認識している「対話」は、その場にいる人の協力によって成り立つものだと考えています。
「いい対話」になるのも、「よくない対話」になるのも、「面白い対話」になるのも「つまらない対話」になるのも、その「対話」に参加している全ての人の協力による結果だと考えています。
と言うか、僕個人の能力や実力で「対話」が良くも悪くもなるはずが無い(逆に言うと、「対話」以外に挙げたモノは、個人の能力や実力でその中身や結果が大きく変わるものだと思っています)。僕は、そう考えているし、そういうスタンスで常に臨んでいます。
そんな事も、この1年以上継続してきたオンライン哲学対話で考えるようになったことかもしれません。
そうは言っても、その場における僕の役割はファシリテーターだったりするので、一応僕なりに「いいものになりますように」と思いながら「一生懸命奮闘した」という事は、自分と会社の名誉の為にもしっかり言っておこうと思いますし、僕個人としては、参加していた皆さんのお陰で、楽しい対話になったと受け取っています。
とは言え、「対話」において、他の人がどう感じていたかについては、僕はあまり問題にしていません。「その対話が自分にとってどういうものだったと受け取っているか」は、全て個人の問題だと考えているので、その人がどう感じたかはその人だけの実感として持っていてもらいたいし、もっと言えば、その人と僕でどんな違いがあるのかを聞いてみたいなとも思っています。
残念なのは、実際に高校生のみなさんと一緒に対話をする時間が極めて短かったので、最後に一人ずつの感想を聞く時間すらも無かった事ですが、この辺も、「実際に初めてやってみたがゆえに現実に立ち現れる様々な出来事」の一つとして、バタバタしながらも臨機応変に対応した結果かと思っていますし、なかなか楽しい体験でした。
次回もまた、オンライン全盛時代に切り替わらなかったら絶対に出会う事の無かった遠方にいる高校生のみなさんと対話するのが楽しみです。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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