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路傍の石には気付くまい

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「相手に合わせて対応する」

言葉で書いてみると、当たり前過ぎるくらいに当たり前過ぎて、何とも言えない気分になってきますが、これは本当に当たり前なのか?

敢えて、そんな「問い」を自分自身に投げてみます。

自分は、いつでも相手に合わせて対応しているのか?確かに、相手に合わせて対応しようとしている場合も多々あるのは事実。だけど、「相手に合わせて」というのであれば、その相手の事がよく分かっていないと「合わせて対応する」のは難しいのではないだろうか?そして、その相手に合っている対応、つまり、「その相手に合っている“正解”の対応を知っている」という状態になっていないと、この「相手に合わせて対応する」というのはそもそも実現不可能な可能性があるんじゃないのか?

そんな、疑問がたくさん浮かんできました。

となると、実際には、「相手に合わせて対応」しているわけではなくて、「相手の出方を見て、それに見合ったと認識している“自分に出来る範囲の中での”対応をしている」という言葉が正しい表し方なのかもしれないなあと思い始めています。

「相手の出方」というのがまず重要になってきて、「自分に出来る範囲の中での対応」も同じく重要。

ということは、「自分に出来る範囲の中での対応」が「最も有効である状態を生み出す為」に、「相手の出方」を引っ張り出す必要があるんじゃないかなと思うんです。

つまり、「カウンターで迎撃する」という事なのかもしれません。

但し、相手には「カウンターを取られた」という事を悟られずに実行する必要があります。

相手にはあくまでも「自分が自分の意志で“先制”を仕掛けた」と思っていてもらう必要があります。

なぜならば、「誘いこまれたかもしれない」と気付かれてしまえば、カウンターの効力は無くなりますし、「自分に出来る範囲での対応」が効果を発揮しなくなってしまうかもしれない状況が生まれるかもしれません。

だから、念入りに、“場づくり”や“雰囲気づくり”から考えていくというのも重要になってくるんじゃないかなあと。

相手が“完全に自由”に振る舞える状態だと、相手の行動を予測するのは難しいでしょうし、もし予測するとしたら事前にその相手の情報が無ければなりません。

だけど、“完全に不自由”な状態にいたとしたら、そこには「自分が自分の意志で“先制”をしかけた」という相手は存在しなくなるはずですから、そもそもその状態の相手を「カウンターで迎撃する」というのはほぼ不可能レベルで至難の業です。

だけど、このカウンターが決まったとしたら、それはそれは見事な「相手に合わせて対応する」状態が実現したとも言えるでしょう。

なので、可能な限り「自分に出来る範囲での対応」を磨く必要があります。そのパターン数を増やしたり、その対応の質やレベルを上げるよう磨いたり。


とは言え、この世の中でいつどんな状況にでも対応が可能かと言えば、なかなかそういうわけにもいかないので、「相手に合わせて対応する」のとは全く別の対応についてもバリエーションを持っておかないとなんともならないんだろうとはよく思いますし、日々のあらゆる事が、自分のカウンターを成立させるために必要でしょうし、それ以外のバリエーションの為にも必要なモノなんじゃないかなと思っています。

出来れば、ありとあらゆる状況において、相手が「全て自分で選択して決断した賜物だ」と思ってくれるような、そんな対応が出来るようになりたいし、何なら僕の存在には一向に気付かないままでいてくれた方が良いんじゃないだろうか。まるで『石ころ帽子』でも被っているかのように。

そんな風にすら思い始めていたりします。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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