キャンプを通して時代と多様性を考えた
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
ついさっき、ウチの会社が定期開催しているオンライン哲学対話『P4P』が終了しました。
参加してくれた皆様、ありがとうございました。
今日のテーマは、近年大流行している『キャンプ』でした。
なぜこのテーマにしたかと言えば、僕が今キャンプに興味深々だからという理由だけ。深い意味はありません。
そんな経緯で決めたテーマでしたが、問い出しでは興味深い「問い」がたくさん出ました。
その中から今回選ばれたのは、
「なぜ不便なキャンプが楽しいのか?」
この「問い」をきっかけの問いとしてスタートしました。
“キャンプ”について、参加者の皆さんからは多種多様な話が聞けました。
キャンプが好きでよく行く人の話や、キャンプはしたことがあるけどあまり好きではない人の話や、僕みたいにキャンプに行ったことの無い人の話。
その中で、「キャンプは非日常」とか「キャンプは“ごっこ”」という話が僕にとってはとても面白く聞こえました。
キャンプをやった事が無い身としては、ただただ「みんな楽しいって言っている楽しそうな遊び」くらいにしか考えた事が無かったんですが、言われてみれば確かに日常の生活している場とはかけ離れたような場所で「食事を作って食べて寝る」という日常の集大成のような行為をするんだから非日常って言ってみれば当たり前の話だけど、そんな事を考えた事も無かったなあ、とか。
確かに、キャンプは太古の昔の生活の疑似体験かもしれないけど、結局、キャンプ道具は何一つとして自分で作り出した物なんて無くて全て“キャンプ道具”を購入してきてそれをただ持って行って、自然を切り拓いて整備された決められた場所で「道具さえあれば誰でも出来る事を」するだけの、単なる“ごっこ”である、というのはその通りだなあ、とか。
そんな、今までに考えた事の無いような事を考えるきっかけを貰えました。
そんな中で、僕自身は、「日常と非日常と言うけど、その意味で言えば自分にとっては“読書をしている時”は自分の考えには無いモノを得られるという非日常だと捉えているから、日常的に非日常を経験しているという事になるけど、その境界線はどこに存在するのか?」と考えてみたり、「ごっこ遊びの中でも、その設定に没入して心から楽しいと思える事が、子どもの頃はもちろん、今でもしょっちゅうあるけど、ごっこ遊びでも没入している時にはその状態の自分にとっては既に“リアル”なのではないか?」と考えてみたりして、ますますこれから人生初キャンプに行くのが楽しみになってきて、それはそれは楽しい時間でした。
自分達でオンライン哲学対話を開催する度に毎回必ず思う事ですが、
「まさか、このテーマがこんなに哲学的で深く広がるなんて思いもしなかった」
といういつも通りの感想が、今日も同じく得られて、やって良かったなあと思うし、参加してくれた人達の「考える力」や「対話する力」の凄さに感服しています。
哲学の知識は一切不要ですし、哲学対話経験も一切不要ですし、誰かに論破される事も無いし、論争が起きる事も無いし、哲学対話未経験者大歓迎のオンライン哲学対話。
日常の中の非日常かもしれないし、日常的に普段使いできる手法かもしれないし、哲学ごっこかもしれないし、真の哲学なのかもしれないし、だけど、誰が何と言っても主催者である僕たちは常に楽しんでいるオンライン哲学対話。
株式会社が開催していますが、参加費は無料です。
もちろん、参加したからと言って、何らかの営業や勧誘を僕たちがする事もありません。
そんなイベントを定期開催してきましたし、次回の予定は未定ですが、6月も必ず開催します。
興味がある方は、お気軽にご参加下さい。
いつでもお待ちしています。
キャンプだって哲学対話だって、楽しみ方も楽しめるか楽しめないかも、全て自分次第ってことなのね。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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