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重さは強さってのはトレーニングでも読書でも真理なのかもしれません

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「本は1t読め」

僕たちが敬愛してやまない組織開発・人材開発の研究者であり実践者でもある、立教大学の中原淳先生が、過去にこの言葉をご自身のブログなどで発信していたのを目にした事があります。また、最近もこのメッセージを、大学に入学した学生に向けて発信されていたのを目にしました。

本を重さで表すという、僕なんかには到底思いつかないような視点で、本を読もうというメッセージを発するあたりに「只者じゃ無い感」を大いに感じますし、とてつもない重要なメッセージだよなあとも感じています。

“冊数”でも無く、“ページ数”でも“文字数”でも無い、“重量”でカウントする読書量。

単行本の重さを一冊400gと仮定して冊数に換算すると、実に2500冊。
1年間に100冊の読書をしたとしても、実に25年かかる計算です。
新卒社会人が、いわゆる初老を越えて、更に数年かかって40代の半ばから後半になってようやく辿り着く境地である。乱読上等。

こんな感じの事も、中原先生はメッセージとして発信していた気がします。

それを思い出して、ここから先は、僕が思っている事なんですが、
これだけの読書量は、(25年で実現させようと思ったとしたら)、少なくとも3~4日で1冊の読書をするペースで学びを継続させないと絶対に実現できないし、これを実現するだけの行動をすればそこから得られるインプットの量は膨大になりますし、インプットされたモノがどんどん繋がって、自分の中の世界は常に変わり続けて、これだけの読書をした後の自分については、もはや読書をする前の自分には絶対に想像する事すらできないような変化をしているはずです。

本かネットだったかで見たんですが、「日本人の平均読書量は年間3冊」と何らかの調査の結果としてこの数字が出ているそうです。

これはあくまでも平均なので、その中には「遙かにたくさん読む人」と「一切読まない人」もたくさんいるんでしょうし、「平均より多い人」も「平均より少ない人」もいるんですしょう。集まった調査データの結果を合計して回答者の人数で割ったら、「平均」が出たって事なんだろうと思うんです。だから、「日本人の平均読書量が年間3冊」だからと言って、それと自分を比較しても何の意味も無い話だなあと思っています。
それに、「学び」は「読書」からだけで得られるモノでは無いというのも、これは自分の体験からでも重々理解はしています(何しろ僕は漫画が大好きなので、その昔は、読書なんて全くせずに、とにかく漫画ばかり読んでいましたし、漫画から学んだ事は今でも自分の仕事に活きているし、活かせる事が山ほどあるのを知っています)。

それを理解しているうえで、それでもやっぱり、「読書」という行為から得られる「学び」というのは、他の様々な事柄や事物と比較しても圧倒的な「効率の良さ」があるよなあと感じています。

これは、僕が書くまでも無く、これまでに色んなところで色んな人が言っている事ですが、「読書は他人の人生を追体験するための最も手軽なツールである」わけです。

もはや、これだけで、「読書をする理由」になるのかなあと、個人的には感じています。

何しろ、その本に書いてある事について、自分なんかよりも遙かに詳しく知っていたり、遙かに深く考えていたり、遙かにたくさんの経験をしたり、と言った、自分なんかよりも遙かに先を行っている人達が、「誰か」に向けて「伝えよう」「伝えたい」と思って、その人が持てる技術の粋を結集して文章にしているわけです。

そして、それを手に取っている自分としては少なくともその本の内容について興味を持っていたり、その内容を知る必要に迫られていたり、その知識や知恵を身につけたいと思っているわけなので、その本を手にしているわけです。

こりゃあもう、「それを学びたい自分」にとっては、ありがたい事このうえ無い以外の何物でも無い状態です。

それに加えて、「本を読んで、何かを学んだ」後には、更に知りたい事が出てきていたり、興味の湧くような事が出てきていたり、納得のいかない事が出てきていたり、そんな風に「更なる学び」に火が着く事が多々あるわけです。

そうやって、「学び」が進めば進むほど、その「更なる学び」に対する欲求の度合いはどんどん高まってくるわけです。

そうなると、「どうやって本を読む時間を確保していこうか」みたいな事を考え始めたりするんです。学者でも無いし、これまでの人生で「学び」とは無縁の時間しか無かったような、それこそ、「1年間の読書量は0」という記録が何年も続いていているにも関わらず、それでも生活をして仕事をしてという日常を送っていた自分みたいな人間であっても。
今となっては、読書をする事が「何よりも手っ取り早く」、自分にとって物凄く多くの「学び」に繋がる良い手段だと認識しています。

時間的にも、経済的にも、労力的にも、手に入るモノも、未来への投資としても、人生について考えても、様々な事柄を全て鑑みて、いわゆる「最もコスパが良い取り組み」とか「最もコスパの良い自己投資」は、「読書」だと今は言い切れます。

だけど、僕は未だに「1tの読書量」には到達していません。
そろそろ半分は見えてきたくらいでしょうか。
それにもかかわらず、既に45歳になっています。

それでも、「読書量の重要性」については、以前の自分よりも深く理解できていると自負しています。

こうなってくると、いつの日か「1t」に達した頃には、今よりも、「読書量の重要性」や「読書の大切さ」が更に理解できるようになっているんじゃないかなと思えて、今とは比較にならない程に歳を取っているであろう未来の自分について、希望を抱いているわけです。

そして、その「希望」は、「いつか来るかもしれないジジイになった頃の遠い未来」に対してだけではありません。

すぐ近くの「明日の自分」とか「来週の自分」とかも含めつつ、それだけではない、今読んでいる本の次のページとか、もっと言えば、すぐ次の行を読んだ時に、急にパッと何かが降ってくるような、いきなり何かが繋がって何かが湧いてくるような「あの瞬間」が、またすぐ自分に起きるかもしれないという期待と希望が、「読書」っていう行為にはいつもついて回るような気がしています。

「あの瞬間」は、本を読めば読むほど、どんどん自分の中で起きる頻度が上がっている実感があります。つまり、自分の中で「何か」が確実に前に進んでいる実感が得られているんです。

だけど、それが「何か」については、いつもハッキリ言葉にできる状態にはなっていません。これが、もっと「読書」を進めるとできるようになるのか、はたまた、それとは全然別の取り組みが必要なのか、それはきっと、僕なんかよりももっとずっと賢い先人達がいつかどこかでとっくに研究をして本にしてくれているんじゃないかなと期待している部分もあったりするわけです。

なので、そんな本に出会えるような読書体験を求めつつ、読書自体を楽しみつつ、その中で湧いてくる自分の中身も堪能しながら、「1t」目指してこれからも本を読んでいこうと思っています。

とは言え、本を読んでいると、時折こんな言葉を投げかけられる事もあります。

「そんな本ばっかり読んでたって役に立たなきゃ何の意味も無いんだよ」

実際に、過去、色んな人から言われたことがありますし、その多くが「体験至上主義」というような事を普段から標榜しているような人が多かったと記憶しています。

もちろん、当時の僕は、そんな言葉に対して「ああ、そうなのかなぁ・・・」と思い悩んで気が滅入ったりする繊細さを持ち合わせてもいましたし、それと同時に、「はあ?何言ってんだ?本なんて読みもしないくせに」と怒り心頭な短気さを持ち合わせてもいました。
だけど、ただ本を読んでるだけでも、読んでいる自分の中では色んな事が起きてるのは間違いの無い事実であり、色んな事が起きているんだから「何らかの意味が在る」のも間違いの無い事実なんです。そして、それが「役に立つ」というのは、一体いつの時点を指して言っているというのか?そんな「問い」も湧いてきます。

だから、もし今そういう事を言われたとしても、「ただ読んでるだけでも、大いに意味はあります」と心の中で唱えつつ、言葉としては「そうなんですねー(棒読み)」と口に出すんじゃないかなと思います。

きっと、「本を1t読む」という行動を実際にした事がある人がいたとしたら、「ただ読んでるだけじゃ何の意味も無い」なんて読書を否定するような事を言うはずは無いと思うんです(作家の浅田次郎さんは、朝起きてから午後2時頃まで執筆をして、その後4時間程度を読書に充てて毎日1冊本を読むという生活を何十年も続けているそうなので、これまでの総計は1tどころじゃないんだと思いますし、こんな風に実際にやっている人がいるというのは聞いたことがありますし、そういう人達が読書を否定しているのを聞いたことはありません)。

ただ、今のところ、とても狭い範囲ではありますが、僕のリアルな身の回りの知り合いから「本を1t読んだよ」と聞いた事はありませんし、そういう人に出会ったことも無いので、「ただ本を読んでたって何の意味も無いという事を証明してくれた人は、リアルな知り合いの中にはいない」というのが事実としてあるわけです。加えて、「体験至上主義の人」が読書を「意味無いよ」と否定するのを聞いた事はありますが、「読書好きな人」が体験について「意味無いよ」と否定するのは聞いたことがありません。

こんな風に考えると、「読書」という行為が内包している「意味」とか「価値」っていうのは、読書をしていない人にはもちろん、読書をコンスタントにしていたり、読書が好きだという人からしても、まだまだ計り知れないくらい凄いモノがあるし、とんでもない可能性がまだまだ在るんだなあと思えてきて、これはしばらく止められ無さそうです。

いつか、体力とか気力とか寿命が無くなって、本を読む事ができなくなるその日まで、「面白そうだな」と思った本に手を伸ばし続けていきたいと思ってます。


さて、今日は寝る前に何を読もうかな。

これを選ぶのが、毎日の儀式と化しているけど、毎日毎日迷います。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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