見出し画像

人生楽ありゃ苦もあるけれど

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

その昔、TVで放映していた水戸黄門のドラマの主題歌にこんな歌詞がありました。

「後から来たのに追い越され 泣くのが嫌ならさあ歩け」

確かオープニングテーマ曲の終盤の方でこのフレーズが歌われていたような記憶がありますが、この部分だけをとっても強く記憶しています。

なぜなら、父親がこの歌を好んで口ずさんでいたのを覚えているからです。

子どもの頃、僕が勉強をせずに漫画を読んでいたりするところに父親が居合わせたりすると決まってこのフレーズを口ずさみながら「後で泣くのが嫌だったら今ちゃんとやっとけよ」的なことを言ってくるのがとってもイヤだと感じていました。

ただ、自分が大人になってみてそのことを思い出す度に「あの頃父親に言われてた通り、水戸黄門の歌は本当のことだったなぁ」と様々なところで実感することがよくあります。

僕自身のことで言えば、これまでに数えきれないくらい“こういうこと”がありましたし、僕以外の人に起きている事例としても“こういうこと”を数えきれないくらい見聞きしてきました。

そういう事例を見聞きすればするほど、年齢を重ねれば重ねるほど、仕事で様々な会社の人達と関われば関わるほど冒頭の歌詞の重みというか鋭さというか痛さのようなモノを感じずにはいられませんし、「これは本当に真理なんだろうな」と思わずにはいられません。

先日もまさに他社の組織開発に関わらせてもらっている時に“そういう事例”に出くわして、このフレーズが頭の中に流れ出してきました。

「後から来たのに追い越され泣くのが嫌ならさあ歩け」

そういう言葉がけを幾らしても、「追い越されることはない」という慢心を言動でハッキリと示し、「追い越そうとしてきたら追い越されないように妨害する」という実績を幾つも作っている管理職がいるんだという話を経営者から聞かせてもらって何とも言えない気持ちになりました。

とは言え、その管理職の方も心根から全てが「めちゃくちゃ嫌なヤツ」というわけではないようで、自分自身の守備範囲であり誰よりも上手くやれる熟達した仕事については誰よりも真摯に取り組むそうです。

ただ、その“熟達した技能”を後継に受け継ぐということもないし、会社に技術として残そうとするということもなく、「この技能を抱え込むことで自分の存在意義を示すことになる」と受け取れるような言動が目立つとのことでした。

こんな話を聞くと、確かにこれなら「後から来たのに追い越される」って可能性はずいぶんと減らすことができるのかもしれません。

何しろ、「後から来る」ということを「させない」わけですから。

それによって「後から来たのに追い越され 泣く」ということが起きないようにすることで、「泣くのが嫌なら さあ歩け」と言われたり、そもそも「追い越されないように歩く」という取り組みをしないで済むように防ぐことができているのかもしれません。

ただ、様々な仕事を見聞きして様々な人のキャリアを聴いてそれらについて常に考えている身としては、こんなことも思うんです。

「後から来る」っていうのは何も「自分と同じルートを辿ってくるばかりではないんだよなぁ」と。

全く別のルートで、完全に視界の外から、いきなり目の前に飛び込んできてそのまま追いつけずにずっと前を走られて、そのうち加速しながら視界の果てに走り去っていく存在。

そんな、自分には全くどうすることもできないし太刀打ちすることもできないまま「完全に追い越される」ということも現実にはたくさん起きるってことを知っています。

だからというわけではありませんが、後から来たのに追い越されようが、どれだけ大差をつけられようが、それでも「これが自分の全力全開の精一杯なんだから」と自分でハッキリと自覚できるくらい「歩いた」のであれば、別に「泣く」のもそれほど「嫌」ではないというか、そもそも「泣く」ようなことでもなく、しっかりと「まあ仕方ないよな」と受け入れることが出来るんじゃないかなと思っています。

だから今は、「後から来たのに追い越され 泣くのが嫌なら さあ歩け」って自分に言い聞かせて歩いているわけではありません。

だから、今は、水戸黄門の主題歌のフレーズを耳にしても歌詞を目にしても特に嫌な感情は微塵も湧いてこなくなりました。

今は、「どこまで歩けるのか自分で見てみたいから歩いてる」っていう感じなのかもしれません。

行けるとこまで行ってみよう。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?