それはどこからそうおもう
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「こんな仕事マジでやってられないんで適当にやってお金がもらえればいいんだよね。別にスキルアップとかも興味ないし」
組織開発で他社に関わらせてもらう中で様々な業種・職種・役職・年齢・性別の方々の話を聞かせてもらう機会がありますが、冒頭のようなニュアンスの話をする人に出会うことはあまり多くはありません。
それよりも、「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいる」という話をしてくれる人が圧倒的にたくさんいるのを実感して、この社会はこういう人たちの日々の頑張りによって成り立っているんだなぁと感じることがたくさんあります。
その組織の中でたくさん成果を出している人であっても、あまり成果を出せていない人であっても、一緒に働く他の人たちから「あの人はちょっと問題あるよね」と目されているような人であっても、組織や上司や同僚の評価が高くても高くなくても「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいるんだなぁ」と感じます。
ただ、こんな話をすると「そんな“真面目に一生懸命”仕事しているのにそんなに成果が出せないとしたらその人は能力が無さすぎるってこと?」なんて質問を受けることもあります。
「能力が無い」というのが何を指して言っていることなのかはわかりませんが「その人が任されている業務に対しての“適性の有無”」という意味であれば、“真面目に一生懸命”仕事をしてもなかなか成果につながらない人の中には“向いていない業務を任されている人”はそれなりにたくさんいるんじゃないかと感じます。
そして、“向いていない業務を任されている人”がいるということはその逆側から見てみると「向いてない業務を任せている」という組織や経営者側の問題も存在していることが見えてきます。
これは結構大きな問題ではあるんですが、今日書こうと思っていたのは“適性”の話ではなくて、「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいる」という部分についての話です。
働く人の多くが、個別には「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいる」という自認をしているのは、これまでに多くの“働く人”の話を面談形式で聞かせてもらってきた経験から「間違いない」と言えるんですが、とは言え、その“真面目に一生懸命”というのが「“どこ”から来ているのか?」という部分は実はとっても重要なんだろうと考えています。
「“どこ”から来ているのか?」というのは言い換えると「何を根拠にして“真面目に一生懸命”だと言っているのか?」ということです。
ここの部分についての話を、直接その人に質問してみると当然ながら人によって出てくる話は様々です。
ただ、「“その人”個人」からちょっと視点を変えて「“その人”が働いている組織全体」に目を向けてみると、色んなことが見えてきます。
例えば、「個人個人はみんな“真面目に一生懸命”仕事をしているのになぜか組織内で“業務上のミスやトラブル”が日常的に起きている」という状況があった場合には、比較的に容易に「“真面目に一生懸命”が“どこ”から来ているのか?」が見えてくることがあります。
もしも、その組織で一緒に働く人たちみんなが組織内に存在する同じ基準に則りその基準に照らし合わせて「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいる」のであれば、仕事の流れやコミュニケーションの取り方も大枠は揃ってくるので“業務上のミスやトラブル”はそれほど多く発生することはないはずです(もちろん、業務内容によるので一概には言えませんが)。
でも、もし「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいる」というのが“自分の基準”に則りその基準に照らし合わせての“真面目に一生懸命”だったとしたら、組織内にいる各個人が持っている“その人なりの価値基準”が最優先になってしまうので、ちょっと想像するだけでも「ああ、そりゃあ“業務上のミスやトラブル”に繋がるだろうなぁ」というのが見えてきます。
「俺は(俺の基準では)“真面目に一生懸命”仕事してるんだよ」
「私は(私の価値観では)“真面目に一生懸命”仕事してるのに」
「僕は(僕なりに)“真面目に一生懸命”仕事してるんだけどなぁ…」
みんなが“その人なりの価値基準”に則って仕事をしていると、日常的にこんなことが組織の中で起きているのかもしれません。
働く人の多くが、本音の部分では「“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいる」のにもかかわらず、その人が思い描くような成果や成長に繋がらないとか、その組織のマネジャーが思い描くような“チームとしての成果”があがらないとか、経営者が思い描くような組織に近づいていかない。
そんな現状がある中で、だけど「自分は・ウチのチームは・ウチの社員はみんな、“真面目に一生懸命”仕事に取り組んでいるのに何でなんだろう?」なんてことがあったとしたら、もしかするとその“真面目で一生懸命”が「“どこ”から来ているのか?」というところについて、よく話を聞いてよく観察してよく解釈してみると、これまでとは違う「“新しいわかり方”をする」なんてことが起きるのかもしれません。
そのためにも、自分に見えているはずの“目の前の出来事”というものを「本当にそうなのか?」という“問い”の視点で見つめて考えてみるということが、いつもいつでも必要なんだろうなと自分自身へのいましめとしてもあらためてそう思っています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?