軽いと思ったら途轍もなく重かった
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
先日こんな標語(?)を見かけました。
「好きなことをやりなさい」
これは、とある分野の大御所の方が発信しているメッセ―ジのようで、これ以外にも幾つもの名言らしき標語のようなモノを様々な物に入れてグッズとして販売しているのを見かけました。
僕はその大御所の方が大好きな一ファンなんですが、冒頭のメッセージを目にした時に即座にこんなことが頭に浮かびました。
「それは、あなただから言える“あなたには当てはまったコト”であって、それを発信されてしまうとキツイんだよなぁ」なんてことでした。
その大御所の方は、その分野では文字通り“知らない人はいない”と断言できる大物中の大物なんですが、その人の辿ってきた人生遍歴を聞きかじっただけであっても言葉どおり「人生でどんなことが起きても、好きなことをひたすら続けてきたからこその大成功だったんだなぁ」と感じます。傍から見ていても半ば狂気を感じるくらいなんだから、恐らく身近にいた人達はもっと鬼気迫るモノを感じとっていたんじゃないかと思ってしまうくらいに“好きなこと”に打ち込んだからこそ“知らない人はいない”ような稀有な存在になることができたのかもしれないなぁ、なんて思っています。
そんな大御所の方が言う「好きなことをやりなさい」という言葉は、「事後的に成功したからこそ言える言葉なんじゃないか?」なんて感じてしまったからこそ、「あなただから言えるのであって、それを発信されるとキツイ」ということが頭に浮かんだんじゃないかと思っています。
でも、自分自身が感じたことをそうやって振り返ってあらためて考え直してみると、「あれ?もしかしたら別の解釈もできるかも」なんてことも思えてきました。
この「好きなことをやりなさい」という言葉には、一見すると“ポジティブであたたかい応援メッセージ”のようなフンワリした言葉として受け取れてしまうかもしれないけど、実際には、「“途轍もなく強烈に覚悟を問うている禍々しいメッセージ”という一面があるのではないか?」なんてことを考えてしまいました。
何しろ、このメッセージを発信している本人は「好きなことをやってきたから」こその艱難辛苦に見舞われて“ザ・苦労話”みたいなモノを山ほど抱えて生きていたという逸話が残っています。だけど、そんな渦中にいながらも更にひたすら「好きなことをやってきたから」その後に待っていた“チャンス”をつかみ取ることができた。その大御所の人生は、周囲にいた人達からそんな風に語られています。
もしも、その本人自身が人生の中でずっと「好きなことをやって生きていくんだ」という明確な自覚を持っていたんだとすれば、冒頭の「好きなことをやりなさい」というメッセージは、実はこんな感じに言い換えられるのかもしれません。
「好きなことをやるのであれば、例え“地獄”のように大変で辛くて苦しいことしかないような日々を過ごすことになっても、その中で好きなことをやり続ける覚悟を持って精進しなさい。そうしたらきっと、いつの日か好きなことが自分を導いてくれるかもしれないから。それくらいの覚悟を持って好きなことをやるのであれば、その人生の中で起きる全てのことは、どんなことであっても全部を自分の責任として引き受けることができるようになるから。そうすれば納得感のある人生を歩んでいけるよ。だから、自分は何が好きなのか?そして、なぜそれが好きなのか?をしっかり考えて、自分自身を見つめなおして、そうしてそれでも、自分はこれが好きだと言えるのであれば、その時は全身全霊で“好きなことをやりなさい”。」
なんて具合に。
もしもそうだとしたら、僕もこの大御所が言う「好きなことをやりなさい」という言葉に賛同したい気持ちです。
でも、何よりもこれからはこの大御所の方のこのメッセージを見るたびに背筋がピンと伸びるような気持ちになっちゃうよなぁ。
と言うか、これを書いていて「好きなことをやりなさい」という短い言葉の持つ重量が増したように感じて、ズッシリとした重さを感じるようになってきました。とても気軽でカジュアルなポジティブさのある言葉として捉えていましたが、今となっては凄く重たい言葉です。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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