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裏と表は結局どちらも同じモノ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「“わかりやすさ”って、良い面と悪い面があるよね」

結構長い時間、社内でそんな話をしていました。


僕は、自分でもよく感じる事があるんですが、話が長いんです。
毎日書いているこのnoteも、つい長くなってしまうし、話をする時にもまとまりがなく、思いつくままに話してしまう事があるし、「特に伝えたい」と思う部分について同じような内容を2回話してしまう事があって、話した後に気付いて「しまった」と思う事があります。

特に長くなるのは、「自分が体験した事について」の話です。
ここで言う「体験」は、頭の中に浮かんだ感じた事や考えた事などの思考も含んだり、誰かの話を聴いてそこから発想したことなんかも含まれるので、「何が起きてそれについて何を感じて何を考えてどんな行動をしてそれに対して他者の反応はどうだったとかそこから今度はこんな事が起きてしまって・・・」みたいに、いつ終わるのかもわからないような、だけど、自分にとっては伝えたい話をしたりしてしまいます。

そんな自覚があるので、初めて会う人と話す時にはなるべく気を付けようとするあまり、ほとんど話をする事が出来なかったりもしたりするし、自分でも「こんな事言うつもりじゃなかったのに」というようなホントにどうでもいいような当たり障りの無い話しか出来なかったりするんです。

「まあこれが自分のコミュニケーションについての実力なんだもんなあ」と、その度に思ったりしてそこそこ落ち込んだりするのにももう慣れてきましたが。

そんな事もたくさんありつつも、一方で、全然別の一面がある事も自覚しています。

「どうしてもこれについて話したい」

そんな風に思う事柄については、頭の中になんの筋書きも無いし話の構成も一切出来てなんていないのに、まるでどこかにスピーチ原稿があるかの如く、スラスラとまさに立て板に水という表現をしても良いんじゃないかな?と自分でも思うくらいに伝えたいと思っていた事を色んな表現を使って話が出来る事もよくあるんです。

もちろん、この状態の時の話も当然ながら長いし回りくどい事もあるのかもしれないし、話があっちに行ったりこっちに行ったりしながらも、最終的にはそれまでの話が綺麗にまとまってしっかり落ちたりするんです。

時々起きるこの現象に、話をしている当の自分もびっくりする事があるんですが、それはまあ見事な整い方をしていたりするんです(誰も言ってくれないので自画自賛をしておこうと思います)。

この時、自分でも長々と色んな回り道をしながらわかりにくいような話をしたなと思いつつも、それまで考えた事も無かったような話が出来たりもするし、繋げて考えてみた事の無いようなアナロジーが出来ていたりして、「ここまで話してきた事は最後のコレを伝えるためには必要な話だったんだなあ」なんて、話を終えた時にようやくわかるし腑に落ちるんです。

そんな経験をこれまでに数えきれないほどしてきたし、その度に新しい発見や発想の種になるようなモノが見つかったり、相手との共通認識がそれまでよりも強く成立したりしてきました。それらの経験を通して、今、僕はこんな風に感じています。

「わかりにくい事は、わかりにくいんだから、わかりにくい話をしないと相手には伝えたいことは伝わらないんじゃないか」って。

カウンセリングの中に「相手の話を要約して伝え返す」という技術があります。
この技術の目的は、思いつくままに話をした相手にその話を要約して伝え返す事で「自身がした話がどういう意味や内容だったのか」という事に自分で気付いてもらう為だったりするんですが、この「話の要約」というのが僕は苦手です。

自分の話が要約できないんですから当たり前と言えば当たり前だと開き直ってしまってはいるんですが、この「要約」というのがカウンセリングだとまあまあ大事だったりするわけです(とは言え、ウチの会社の技術的な信用にも関わるかもしれないので念の為に書くと、一応産業カウンセラーという資格はもっていますし、長年の実務経験もありますので通常レベルでは問題無く出来るのが前提ではあります。でも、ウチの会社の仲間と比べると足元にも及ばないという話なので誤解の無きようお願いします)。

要約をするという事は、「相手がしてくれた話を聴いて、その話の要点をまとめた」という事になるわけです。つまり、わかりやすくした状態です。

この要約があまり上手くいかなかったりすると、話をしてくれた相手から「いえ、そうじゃなくて、こういう話です」なんて言われたり、「うーん…」と言われてその後にあまり話をしてくれなくなったりなんて反応が出たりする事もあるんです。

もちろん、その時その場でしてもらった話を、その時その場で初めて聴かせてもらって、その瞬間に要約をして伝え返すわけですからそこに「正解」なんてありません。

だけど、まるで「不正解」をしてしまったかのような反応が起きる事はあるんです。

とは言え、別に要約が上手くいかなかったからと言ってそれがダメなカウンセリングというわけでも無いので、それはそれとして進めていくという場面もたくさんあるわけですし、実際に要約が上手くなくても全然問題なく「役に立つ」という事は多々あるわけです。

それに、実際には、「要約が上手過ぎるが故に、相手を怯ませてしまう」なんていう事も起きる場合があるわけです。

もしもそうなったとすると、それが「役に立つ」という状況に持っていくのはなかなか難しくなるんじゃないかなと思うし、実際に「役に立つという状況からは離れてしまったかもしれない」という話を聞くこともありました。

要約という「わかりやすさ」の極みのようなスキルは、とてつもなく役に立ちます。

だけど、同時に、とてつもなく役に立たない状況を生み出す危険もあるわけです。

逆に、とてつもなく長くて回りくどい話はコミュニケーションにはあまり向きません。

だけど、同時に、とてつもなくエモーショナルに相手の心を打ちぬく事もあるんです。

そんな両面の体験を、僕たちプロタゴワークスはこれまでにたくさん味わってきました。

わかりやすさの良い面と悪い面、わかりにくさの良い面と悪い面、そのどちらの両面も自分達の強みに変えていけたらいいなあと、今は思っているんです。

というわけで、今の僕のスタンスとしては、「わかりにくいものはわかりにくいまま伝えるし、わかりやすいものについても、これは本当にわかりやすいままでいいんだろうか?と眺めてみるようにして、わかりにくいものに翻訳して考える事も必要かもしれない」なんて思ったりしています。

だから、こんな風に自分の考えた事を長々と書いて発信してしまうという行為をしているのかもしれませんし、実はそうでは無いのかもしれません。

実際にどうなのかはこれを書いている僕にも本当は分かっていないからこそ、これだけわかりにくい内容の文章をつらつら書いてしまうのかもしれませんが、こうやって書いてみた事で、「やっぱりどうしたってわかりにくくなってしまうんだなあ」と、あらためて自分の文章力というコミュニケーション技術についてガッカリしつつも、これからも開き直って強く生きていこうと思っています。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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