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毒が裏返るってのはホントにあるんだよ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

今日は、ウチの会社が実施している『こまば哲学カフェ シリーズ「働くってなんだろう?」』の開催日でした。

オンライン哲学対話で「働くってなんだろう?」をテーマに開催するこのイベントも、今回で3回目。

「ようやく慣れてきました」なんて殊勝な感想でも言えれば良いのかもしれませんが、自分達の会社で主催運営するオンライン哲学対話は、疫病蔓延のタイミングで開始しているので既に1年間以上続けていますので、これと言って変わったところも無く、いつものように準備していつものように開催しています。

ただ、ウチがこれまでに定期開催してきたオンライン哲学対話と比べると、毎回参加申し込みが定員一杯になるのと、申し込みのスピードがとても速いというところに大きな違いがあります。これまでに定員が一杯になったことは無かったと記憶しているし、こんなにすぐに申し込みがたくさんくることもありません。

これが、「こまば哲学カフェ」のブランドのおかげなのか、それとも「働くってなんだろう?」というテーマのおかげなのか、はたまたそれ以外なのか、それは今のところよくわかりません。これが明確になれば、まあそれなりに何か良いこともあるんじゃないかなとも思ったりはしますが、実際のところは、それがどんな理由であっても結局実施しているのは自分達であって、どちらとも趣旨は全く変わらないオンライン哲学対話であって、このイベントを開催している自分達の目的にどちらもかなっているので特に問題にはしていなかったりするんです。

とにかく、楽しく対話ができればOKくらいに考えているだけなので、当面はこんなスタンスで開催を続ける予定です。

顔なじみの方も初めましての方も参加してくれて、今回もまたなかなか刺激的で楽しい時間になりました。参加してくれた皆様、ありがとうございました。

「問い出し」でも、10個以上の問いが出て、その中から今回選ばれたのは、「なぜ働くのか?」でした。

「働くってなんだろう?」と考えてみた時に、「なぜ働くのか?」というそもそもの問いを、口に出す事やみんなで何について話すか決める場に提示する事ができるって、僕からすると「真っ直ぐさ」とか「勇気」とか「素朴な疑問を大切にする姿勢」みたいな事を感じて、なんか凄いなあと思いました。

そんな素敵な問いから始まった今日の『こまば哲学カフェ』ですが、今日もまたこれまで以上に楽しい時間になりましたし、様々な事についてたくさん考える時間になりました。

話の中で、「働くとは役に立つこと」という要素もあるんじゃないか?なんて話が出たときに、ふと昔の事を思い出したんです。

あれは、今よりもかなり若かった頃の事。
僕は、とある会社で“飛び込み営業”の仕事をしていました。個人宅は対象では無いけど、「商店や企業は全て対象である」という考え方の会社だったので、それをそのまま実行していたんです。もちろん(?)、内心は「やりたくねーけど仕事だからやらないと生活できないよね」と思いつつ。

つまり、「相手の都合ではなく、自分の都合で訪問をする」という事をしていたので、今考えると当然ではあったんですが、相手からすれば鬱陶しかったり面倒くさかったり邪魔だったりする事ばかりだったんでしょう。

目を合わせてもらえない、居るのに居ないように振る舞われる、「シッシッ」と手であっちへいけというジェスチャーで追い払われる、お客さんじゃなくて営業だと分かった瞬間に露骨に態度を変える、怒鳴られる等などの、リアクションをたくさんいただいた事を記憶しています。

そんな日々の中で、運良く契約してくれる人に出会えた時には、僕にはその人が、地獄の中に降臨してきた神様かのように感じていました。

その当時勤めていた会社は、そんな神様のようなお客さんからいただいたお金で成り立っていましたし、もちろんそのお金で僕の生活も成り立っていましたし、どのお客さんも契約後に提供したサービスを喜んでくれる人ばかりだったので、その会社の仕事が「世の中の役に立っていなかった」というわけでは全く無かったし、僕も今考えても「何の意味も価値も無い仕事」だとは思っていません。

ただ、“僕の飛び込み営業”を受けた事で「嫌な思い」をした大多数の人達にとっては、僕のしていた行為のありとあらゆる部分が「役に立たなかった」し、邪魔だったんだろうなとは、ずっと思っていたんです。

営業をする事で経費はかかるし、契約が取れなくても給料は出ていく。その部分ばかりであれば、「会社の役に立っていない」。

飛び込み営業をされると忙しいのに時間が削られるし、お客さんだと思って“期待して”全力で接客しようと表情も姿勢も声色も頑張ったのにお客さんじゃなかったという“落胆をさせられて”損したし気分を害したし時間も奪われたんだから「顧客じゃない人達の役に立っていない」。

頑張って足を使って会社の言うとおり一軒一軒訪問したのにボロクソに扱われて、成果も無くて怒られて疲弊して自尊心も傷ついて、「自分自身の役に立っていない」。

そんな過去の自分も間違い無く感じていたはずの「役に立たない感」が、哲学対話中に“あの頃”からグワーっと戻ってきた感じがして、懐かしくてこの話をしてみたんです。

そうしたら、僕の話を受けて、ある参加者の方がこんな話をしてくれたんです。

「そういうヤバい会社やヤバい仕事が世の中にはあって、そういう行為をすることで、みんながそのヤバい会社や仕事の存在に気付く。そういう役に立ったんじゃないか(※意訳です)」

これを聞いて、僕は、すごく納得したんです。

ああ、これって今まで自分が感じていた、自分自身の経歴に対する感覚と同じかもしれないと。

僕は、「働く」に関して言えば、これまでの人生で色んな“立場”を経験してきました。
引きこもり、ニート、無職、フリーター、派遣、契約社員、正社員は経験してきました。
また、平社員、中間管理職、管理職は経験してきました。
職種や業種は、書くためには色々振り返ったり調べ直したりしないと書けない程です。

こんな僕の経歴を表す言葉としたら、色んな名称があるかもしれませんけど、それらを総称して、過去の自分は自分で「ダメ人間履歴」と呼んでいました。

恐らく、他の誰であってもこの僕と同じ経歴を「経験したい」という人はいませんし、僕自身も「これから20年以上遡って、これまでと全く同じ経歴を辿って下さい」と言われたら間違いなく断ります。

でも、ある時期を境に、僕のこの「ダメ人間履歴」が、前職である“就職支援”の仕事や、キャリア相談や、人と仕事のマッチングをはかったり、マネジメントについて考える上では、「他に類を見ない強み」である事に気が付いたんです。

なにしろ、自分の経験を基にすると、他者について考える際の材料が手元に豊富に有る状態です。その材料を手がかりにして、受容や共感や傾聴という技術を駆使すると、他者についての仮説を幾つも立てる事ができるんです。あとは、それらを検証する為の材料を手に入れるだけだったので、仕事を進めるのは途中からそれほど苦にならなくなりました。

つまり、それまでの10数年間積み重ね続けた「ダメ人間履歴」が、一気に「圧倒的に役に立つ履歴」に変わったんです。

そんな自分の中にあった過去の経験と、今日の哲学対話でしてもらった話が繋がって、

「ああ、これぞまさに、仲間がいつも言っている言葉と同じ事なんだなあ」と思ったんです。


過去の事実は変えられない
でも、
過去の意味づけは変えられる


自分にとってあんなに「“猛毒”だった“過去”」が、途中からは「その時に戦える“武器”」に変わり、今日を境に、「“未来”に向かう為の“ブースター”」に変わった感じがするんです。

それもこれも全ては、僕と他者との関わりの中で起きた事であり、自分一人では到底“変化”は起きなかったんだろうなと思いますし、他者との関わりが少なすぎて、全て自分一人の中での事だったから“猛毒”になっていたんだろうとも、今は思うんです。毒は裏返るし、猛毒だって裏返るんだ。

こういう時に、一人の限界を思い知りますし、「対話」の可能性を強く感じます。

だからこそ、誰でも気軽に“無料で”「対話」を体験できる場を定期的に開催している意味があるってもんでしょう。

誰よりも、僕と仲間とウチの会社が「対話」の威力や可能性を信じているので、これからも続けていきます。

皆さんの参加、いつでもお待ちしています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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