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たくさん話を聴いてほしいんだ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

先日、インタビューをしてもらう機会がありました。

インタビューとは言っても「何かの記事になる」というようなモノでは無くて、とある仕事をこれから一緒にやっていくにあたってウチの会社や仲間や僕をもっとよく知るために、というような主旨でのインタビューなので、特にどこかに発表されるようなモノではありません。

とは言え、ウチの会社や僕自身に焦点を当てたインタビューを受けるのなんてこれまでの人生の中でほとんど無かった経験ではありますが、それこそ「何かの記事になる・どこかの媒体で発表される」というモノではないのがわかっているので、一切の緊張もなくただただ自分のことを話して、質問があれば答えて、そこでまた何かを思い出して話して、なんてことを「社会に出てからこれまでのキャリア」というようなテーマでただひたすら自分の話をさせてもらいました。

インタビューをしてくれた方は、さすがインタビュー慣れ(?)しているだけはあって、それはもう見事に話を引き出してくれました。何しろ、「こんな話をしてもいいのかな?この人は引いたりしないかな?」なんてことを心配することなく、これまでに仲間くらいにしかしたことの無かった話も気兼ねなくさせてもらうことができました。

そうして一通り話終えた頃には、明るかったはずの外は真っ暗だし、来る時は汗かくくらい暑かったのに帰る時には「やべー寒い」と鳥肌を立てながら帰るくらいには時間が経過していました。

そうして、インタビューを終えて会社に帰り、僕よりも前にインタビューを受けていた仲間と“インタビューを受けた感想”について話をしている時に、ふと自分の中に起きていることに気が付いたので伝えました。

「いつもだったらこんなに長時間に渡って人と話をした後は、確実に疲労困憊になっているはずなのに、今は全く体が疲れていない」と。

自分でこれに気が付いてとても驚いたんですが、普段だったら“誰か”と1時間以上の対話をした後には、ただ座って対話をしているだけなのに“足に来る”ような疲労感に襲われます。

例えば、それが“形式”としては「自分が話をして伝える」という講義形式であっても、“伝えたいこと”があって“受け取る人”がいて“受け取ってもらいたい”と自分が思っていて、でも、相手が“受け取っているかどうか”や“受け取ろうと思っているかどうか”が一目見ただけではわからないわけですから、こちらから“講義”という形で語ったり問いを投げたりして、それに対する相手の“語り”や“問い”としてのリアクションをそれがどれだけ微細であっても受け取ろうとしつつ、受け取ったモノを自分で考えて解釈してその場でまた語ったり問いを投げたりする。それは僕にとっては「“対話”である」という認識をしています。

そうやって臨んでいる様々な“対話”をしていると、対話を終えた後に途轍もない疲労感に襲われます。それこそ、ジムのトレーニングでオールアウトしたくらいの体感になる時もあります。“体の運動”はほぼ伴っていないはずなのに。

だけど、インタビューを受けた後には“疲労感”はほとんどありませんでした。

だから、「どうして疲労感が無いんだろう?」なんてことを仲間と一緒に対話をしながら考えてみたら、もしかしたらこんな感じのことなのかなというモノが見えてきたような気がしました。

1つは、「インタビューの内容が“自分が辿ってきたキャリアについて”だったので“考えて話す”よりも“思い出して話す”ことがほとんどだったから」というモノです。

これはそのまま、インタビューの間中“思い出して話す”をずっとしていました。質問に対しても基本は“思い出して話す”がほとんどでした。

とは言っても、実際にはインタビューでの質問はその多くが“過去の変化点”についての質問がたくさんあったんです。ということは、「自分自身のキャリアを振り返った時に様々存在している“過去の変化点”について、普段からたくさん考える”」という経験が多いか少ないかで、あのインタビュー中に“考える”のか“思い出す”のかが変わってくるのではないか?そして、自分達が“思い出して話す”状態だったのは、社内での対話の中で日頃からずっと自分自身のキャリアについては振り返り続けているからだったのではないか?
そんなことが、仲間との振り返りで見えてきました。

また、「どうして疲労感がないんだろう?」と考えて見えてきたもう1つは、「他者を交えてする対話では、常に“他者の観察”をし続けながら、対話の中での“問い”についても考えているから」ということも見えてきました。

今回のインタビューでは、相手の人のことをほとんど観察する必要がありませんでした。ICレコーダーを回しながらのインタビューだったので話の内容が記録されているという安心感がありましたし、そもそも、「インタビューを受ける」ということで相対して座っていて、この時は「僕の話だけをする場」だとお互いの共通認識が出来上がっている状態でした。だから、安心して“自分の話をする”ということだけに集中して、相手の“観察”もほとんどしないので反応も気にしていないし、その反応を“解釈”することもないし、当然ながら「どうやって“介入”をしていこうか」なんて考えることも一切なく、ただひたすら“自分のキャリア”について話し続ける状態でした。

普段、誰かとする対話であれば絶対にやっているはずのことを、あの時ばかりは文字通り「一切気にすることなくただただ自分の話をする」ということだけしか考えていないし、“過去”を思い出すということしかしませんでした。

そうやってただひたすら“過去の話”をし続ける中で、ようやく“現在”に追いついたところでインタビューはお開きになりました。

そんな体験を、僕も仲間もさせてもらい、その体験を対話することで、上記のような新たな気付きを得ることもできました。

それに加えて、インタビューを受けたことで「目の前の相手のことを気にせずにただひたすら“自分の話だけ”をし続ける人の気持ち」というモノを味わうことができたのも“新たな気付き”でした。
とにかく、“自分の話だけ”をするのは気持ちが良い体験でした。

何しろ、僕も仲間も少なくともここ10年間は“他者の話を聴く”ということを仕事を通じてずっとやってきているので、自分達でもあまり自覚のないくらいには“傾聴”や“受容と共感”というワザを深く内面化してしまっていて、「よし、ワザを使うぞ」と意識しないままに、ナチュラルに発動してしまっています(これは、社内でお互いに相手を客観的に見ることでようやく理解できるようになりました)。

そんな感じだったので、本当に久々に、と言うか“ここ10年間”では初めての体験だったかもしれません。あんなに長い時間、“自分の話をすることだけ”に集中するというのは。

自分たちにとっては、あんなにレアな体験をさせてもらったことで、あらためて“自分自身について語る”とか“他者に話を聴いてもらう”という行為が、人間という社会的な動物にとってどれくらい意味があって、どれくらい重要な機会で、どれくらい楽しくて、どれくらい価値があるのか。

そんなことを、“体感”を通じて、再認識させてもらったし、今までよりも深く理解できた気がしますし、あらためて考える切っ掛けにもなりました。

いや、本当に貴重な体験でした。

この体験はきっと、後々に自分達の“過去”を振り返った時には、大きな大きな“変化点”になるんだろうな、なんてことを予感しています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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