見出し画像

脳みそだって体の一部なんだから

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

ただただ寝て過ごした3連休が終わろうとしています。

これといって予定が無かったのは幸いでしたが、布団でゴロゴロしながら本を読んでは寝てを繰り返した3日間でした。

その間、何かを考えることもせずにただただボーっと過ごしていたような気がしますが今のところ「体調が回復した」と言えるような感じではありませんが確実に2日前よりは具合の良さを感じています。

とりあえずそれだけでも3日間ゴロゴロ過ごした意味はあったのかもしれないと思うことにしつつ、世間のGW感のようなモノを何一つ体感していないのが損したような気もしないでもありません。

家から出かけることもなく、ただただ布団の上に横たわって過ごしていたからなのかこの3日間で“問い”を立てて“考える”をすることが全く無かったような気がしています。

本当に何も考えることなく過ごしていたので、明日から3日間の仕事をちゃんとやれるのかどうかも若干不安に感じるくらいに「何も考えることなく過ごしてしまった」と感じています。

この休日に読み進めようと思っていた本もほぼ読み進めることができませんでしたし、家族以外と言葉を交わすこともありませんでしたし、テレビもほぼ見ていませんし、体を動かすこともできていません。

普段だったら当たり前にやっていることを何もやっていない3日間を過ごしてしまったからなのか、明日以降の平日をちゃんと過ごせるのかどうかについて不安がありますし、「そもそも、自分の頭がちゃんと働いてくれるのか?」ということも不安に感じます。

こうやって体調が良くない時につくづく思うのは、「脳みそを使って考えるというのも結局は“体力”が無いとできないってことなんだな」ということです。

これが普遍的で万人に共通することなのかどうかは全くわかりませんが、少なくとも自分自身は「脳みそを使って考える」ということをする時に“体力”という“純粋にフィジカルに依存する力”に余力が無ければ「考える」という行為の質は低くなるし、「考える」をした結果生み出されるアウトプットの質も低くなるし、「考える」を続けることもできなくなるということを体感として実感しています。

だから、午前中に「考える」をするのと夜の時間帯に「考える」をするのとでは格段にクオリティに差が出てきますし、特に夜の時間帯に「考える」をして作り出した物は翌日の午前中に必ずその内容の確認をしなければ「使い物にならない」ということをこれまでに何度も経験しています。

そういうことからも、自分にとっての「考える」という行為にはかなりの“体力”を必要とするんだなぁ、ということがわかります。

だからこそ自分にとっては「体が資本」という言葉は文字通りの意味を伴ってとっても重要な言葉だと考えています。

どれだけ“脳みそ”を鍛えてきたとしてもいざ「“脳みそ”を使う」というタイミングになった時にはそのキッカケになるというか“脳みそ”で「考える」をスタートさせる際の発火装置みたいなモノを起動するのは“体力”だと考えているので、今のように体調不良で体力がずいぶんと目減りしていたりすると“考える”のスイッチがなかなか入らないし入ったとしても持続時間がとても短くなってしまうように感じています。

それを証明するかのように、他者との対話を仕事として長時間やってきた後には、自社に戻ってきて仲間と対話をして色んなことを考えようとしてもあまり捗らないことがよくあります。そういう時は、“脳みそ”を使いすぎて“体力”が減ってしまっていてそれ以上“脳みそ”を回すことが難しいなぁという疲労感を伴って実感します。

ちょうど今の体調不良の状態もそれと同じような体感があります。

とは言っても、この3日間は全く“脳みそ”を使っていないといっても過言ではないくらいただ布団でゴロゴロしていただけなので、これは本当に純粋に“体力”が低下しているだけなんだとは思っています。

そんなわけで、明日久々に出社して仲間と対話をした時にこの“脳みそ”がちゃんと回るのかどうか、今から楽しみにしておこうかと思います。

それでもしもちゃんと回らなかったらちょっと困ってしまうなぁと思いつつ、「いざとなったら何とかなるんじゃないか」と根拠の無い期待を自分にかけながら明日を楽しみにしておこうと思います。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?