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あとどれくらいあるんだろうか
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
今日もまた、深い深い反省をすることになりました。
どんな物事も、「やっているうちに段々と研ぎ澄まされていく部分」というのがあると僕は思っているんです。
やればやるほど、感覚というかコツみたいなものがわかってくるような感じがあって、それが見えると次に同じ物事をやるのでも、やった後に得られる感覚が変化している。
例えば、「自転車に乗れるようになった」とか「逆上がりができるようになった」とか「料理が上手くなった」とか、そういうことを思い出してみると、その感覚の変化みたいなものを共有できるんじゃないかなと思っています。
だけど、その“感覚”みたいなものばかりを重視してしまうのは意外と危険なこともあったりします。
特に危険なのは、その“感覚”みたいなものを「他者に伝えようとするとき」です。
そうなると、いわゆる“感覚派”の人がモノを教える時のように、「こうさ、パッときたとこで、ヒュッとやって、パチーンと叩く。バチっじゃなくて、パチーンって」みたいな感じの、もはや何を言っているのかさっぱりわからないような伝え方になったりするわけです。僕はとっても身に覚えがあります。
そんな、「“感覚”を他者に伝える際」と全く同じようなアプローチを、仕事の中で自分達もやってしまっていたということに、つい先ほど気が付きました。
それは、ここ数日の仕事を色々と仲間と振り返っていた時のことです。
その話の中で、とても重要なことにお互い気が付きました。それは、ぼくたちからすると、今後の仕事の内容が大幅にバージョンアップすることが想定されるような気付きでした。でも、その気付きと同時に、別の気付きでもある「“感覚”を他者に伝える時のようなアプローチ」をしていたことにも気が付いてしまいました。
そしてこう思いました。
「もしかして、これまで“やってきたこと”って、こんなに複雑なモノを、ひたすら○○だ!って言ってただけってこと?」
気が付いて、これを言い終わる前から頭を抱えて天を仰ぐ僕がいました。
そうなんです。
今から考えると、そんな、あまりにもお粗末なことをこれまで繰り返してきてしまっていたことが明らかになりました。
そして、それをやっているその瞬間には、当然ながら全く気付くことができませんでした。後になって振り返るからこそ見えてきたモノなわけです。
自分で自分を思い出すと、こうやって思わず赤面してしまって目を背けたくなるようなことを、これまでにもう何度繰り返してきたかわかりません。
だけど、その瞬間はいつも「その時の全力」で仕事に臨んでいるんです。自分に考えられることは全て考えたうえでの、今ここ。そう信じていました。
だけど、またそこから先に進んだということなんでしょう。
だから、ちょっと前の自分を思い出して「思わず赤面」してしまうのかもしれません。
僕は、これからもそうやって恥ずかしい思いでばかりの人生を歩んでいくのかもしれません。何度こういう時間を味わっても、このショックな出来事には、いつまで経っても慣れることはありません。
自分に「伸びしろ」を感じるって、情けなさや恥ずかしさと裏表なものなのかもしれません。
そんな風に、この歳になってもまだ先に進める感じや「伸びしろ」を味わえるのは、控えめに言っても、そんなに悪い気はしないんです。
次はどんなことで“この感じ”を味わえるのか、怖さでビクビクしながらも、楽しみに待っておこうと思います。
あかね
株式会社プロタゴワークス
https://www.protagoworks.com/
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