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本音と本心

本音と本心の違い。
今朝からずっと考え始めたテーマ。


きっかけは些細なことだ。

「この人は本音を話してくれないな」
「あの人は本心が見えない」

別の人に対してこう思ったから。

調べると、本心とは嘘偽りのない本当の心。本音とは本心を話すことらしい。
なので辞書的な意味でいえば、言語化されているか否かのみの違いなのだろう。



ただ、私の中ではそんな違いではない。
無意識に「本音」と「本心」を分けたのは理由があるはず。


そう思って考えていた本日。
これからその思考を書いていく。


まず、本音を言ってくれない人とは仲良くなれない。好きになれない。
本音とは何か?「本音と建前」と、よく使われるように、上辺ではない素直な気持ちだろう。
ということは、本心と確かに同じだ。

でも何か違う。
本音を言う人は、確かに本心を話している。嘘をついていない。

では、本音なら本心が見えるか?と、いったら難しい。

そもそも本心なんて、必ずしも本人が自覚しているとは限らない。
自分で自分の気持ちがわからないことなんて、誰でもあるはずだ。私はしょっちゅうある。

そして本心をなんとなくわかっていても、上手く言語化できないこともある。
なんて表現したらいいかわからない。
みんな上手く表現できるなら人間関係のすれ違いも大幅に減るだろう。


だから、本音で話すことと本心が見えることはイコールではないのだ。

本心から来る言葉は間違いなく本音なのだが、本音だから本心を全て語っているわけではない。


そろそろややこしくなってきた?
私の頭はこんなでめんどいが考えたいので続ける。


本心は「伝える」ものではなく「伝わる」もの

「本音を話して」と言っても「本心を話して」とは言わな……言うか。残念。

ただなんとなく、本心を話してと言われる方が言葉が詰まりそうな気がする。私だけだろうか。


私は、本心を伝えることは不可能だと思っているのかもしれない。

なぜなら、私自身が本心を上手く伝える自信がない。
「これが本心ですよ」と言った所で、相手がどう受け取るかが全てだ。


付き合いの長い友人を思い返しても「本心を話してくれる」と思ったことはない。

言葉にするのが難しいことほど、お互いになんとなく「こう思ってるんだろうな」「辛いだろうな」と、察する。
察して、一緒に泣いたりハグしたりしてくれる。

本心を感じる。と、言えばいいのだろうか。
「大丈夫?」なんて聞かなくても大丈夫じゃないとわかる的な。

もちろん本心全てがわかるわけじゃない。
「本心が見えない」人は、見えない範囲が広いのだろう。


私も本音だが

SNSでは特に、わざわざ嘘つく必要もないので私も本音を言っている。

だが、本心を見せているとは思わない。

本心を感じてくれる人は察するし、そうでない人とは仲は深まらない。わかったつもりの人は勘違い野郎。


本音を言わない人は仲良くなれない
本心を見せない人は仲が深まらない

そういうことなんじゃないかと思った。
嘘をつかなくても、偽りがなくても、大事な何かをベールで覆ったようなどこか隙がない人とは、気楽に接することができない。
私自身、本心を見せないように隠す。こちらだけ見せることに抵抗を感じる。


本音で話せる、本心が伝わる相手と過ごす時間を増やしたいものだ。



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