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内側と外側の境目について

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

“内側”と“外側”の境目はどこにあるんだろう?

そんな事を考える事がよくあります。

例えば、今、僕がこれを書いているのは会社の事務所の内側です。その“内側”と“外側”の境目は明確です。ドアや壁や窓で仕切られているので、その仕切りのこちら側が“内側”で、仕切りの向こうがが“外側”です。

こうなっていれば、物理的に“内側の景色”と“外側の景色”は、明らかに違います。基本的に、“内側”からは“外側”は見えないし、“外側”からは“内側”は見えません。もし、“内側”から“外側”を見ようとすれば、窓から外を覗けば、“外側”の景色を見る事が可能になりますが、窓が無ければ、ドアを開けて外を見るしかありません。

かと言って、窓やドアから覗いて見える部分だけが“外側”な訳ではありません。そんな狭い範囲だけではなく、“内側”以外のありとあらゆる全てが“外側”です。

そして、当たり前ですが、僕から見た“外側”だと思っている部分には、“誰かにとっての内側”が無限に存在しています。なので、当然、“僕以外の人から見た僕”は、“外側に存在している”と言えるわけです。もちろん、僕が窓やドアから外を見たこの時、“何の仕切りの中にも存在していない状態の外”を歩いている人もいるわけですが、その人達も移動の末には、何かしらの“内側”に至るわけです。

僕から見た時の、“内側”と“外側”。

他者から見た時の、“内側”と“外側”。

これによって、見える景色が違うのは、当たり前と言えば当たり前です。


群馬県には、33階建て153.8mの県庁舎があります。県内で最も背の高い建造物です。
普段から、群馬県内を車で移動していると、高層ビルがほとんど存在しないため、かなり遠くからでも県庁を見る事ができます。
外からは散々眺めていたし、用事のある時に県庁に行ったことはありましがた、用事のある階に行くだけで、以前からその存在を知っていた県庁32階の「展望ホール」には足を運んだ事はありませんでした。

そんな、群馬県が誇る(?)県内で最も背の高い建造物の最も眺めの良い32階の展望ホールへ、群馬県民になって約9年目にして、初めて上ってみたんです。とても天気の良い日に。

これまで散々“外側”から眺めてきた県庁32階ですが、その“内側”から“外側”を眺めてみると、当然ながら、圧倒的な景色が広がっていました。

これまでにも県庁のもっとずっと下の階に来た事はあったので、その度にトイレの窓から外を眺めては「良い眺めだなあ」なんて思う事はあったので、32階からの眺めも何となく想像をしたりした事はあったような気がしていますが、そこはやっぱり物理的な高さが全然違うので、なかなかのギャップを楽しめました。

普段生活をしている地上である“外側”の景色を、遥か150mの高さの“内側”から見下ろしている自分。ついさっきまで、今見ている“外側”にいて、やや強めの風に吹かれながら、今自分がいる“内側”を想像して首が痛くなる程に見上げていたはずなのに、今は、全く風の吹いていない建物の中から全く違う景色を見下ろしている。

これは、かなり顕著な“内側”と“外側”の違いでしたが、組織開発に携わっているとこれと同じような事が起きているんじゃないかと感じる事が多々あります。

僕たちが関わる組織の“内側”と“外側”。

物理的な話をすれば、(例えばとある企業であれば)その企業の“内側”である社屋の中に僕たちも入らせてもらい、その社屋の一室で「メンタリング」を実施します(もちろん、検温や手指消毒、ソーシャルディスタンスや三密回避は徹底した状態で)。

物理的には、その会社の“内側”に居る状態が出来上がります。

だけど、僕たちプロタゴワークスは、その会社の人達からしたら、観念的には“外側”の会社の人間です。

つまり、「物理的には“内側”だけど、観念的には“外側”の人と“内側”の人が同時に存在している状態」であり、そこには、当然ながら物理的な壁やドアや窓といった物は存在しておらず、ただ、観念上の線引きがされているだけの状態です。

という事は、当然ですが、その会社の人であっても、僕たちプロタゴワークスの人間であっても、「その時、物理的に目に映っている物は、全く同じ状態」と言えるわけです。

その状態で、その会社の“組織”について、「何がどう見えているのか」とか「これからの未来をどう形成していくか」などについて一緒に考えて話をしていくんですが、この時に、“内側”と“外側”の壁やドアが、どうやら、その人達の中に発生している状態になっていくわけです。

それこそ、地上にいる僕と、地上153mの建造物の中にいるその人とで、同じ世界を見ているはずなのに、見えている景色が全く違うような印象を受ける事がよくあります。

そんな時には、「地上にいる僕からはこう見えていますよ」と伝える事で、「それは全然気が付かなかった」という反応を、多くの人達がしてくれることがよくあるんです。

そんな時に、「“内側”にいると見えなくなっている事がたくさんあるんですね」と話してくれたりするんです。


物理的には何の境目も無いのに、自分の中には様々な境目が在るという事に、僕自身も気づく事がよくあります。

その境目の存在に、気付けるかどうかで、その後の選択や決断や行動が全く違ってきてしまうという事にも、後々気付く事があるんです。

自分が今見ているのは、地上の景色なのか、それとも、地上153mの景色なのか。
いつだって、しっかり把握できるようになっていきたいなと思っています。


“内側”と“外側”と、それらをどちらも眺めつつ、自由自在に“外”を歩ける、そういう者に私はなりたい。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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