見出し画像

時間軸を長くとって眺めてみれば

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「ウチの会社に来月から新人が入って来るんだけどちゃんとやっていけるのかなぁ」

知り合いがそんな話をしてきたのでどういうことなのか詳しく聞いてみることにしました。

その知り合いのしている仕事は、世間一般では「なかなかハードな仕事なので業界に入って来る人が少なくなっている」と言われているような仕事であり、実際に従事している人から見ても世間の人から見ても「大変な仕事」なので、大学を卒業したばかりの“イマドキの若者”に務まるのかどうか、すぐに辞めてしまったりしないかを心配している、というような内容でした。

その知り合い自身はどうやら新人さんと仕事上で上司部下になるような関係性ではないようなのでどこか“他人事”という感じの話ぶりでしたが、会社の中ではどのような受け入れ態勢を整えているのかを少し聞いてみました。

するとどうやら受け入れ態勢はあまり整っておらず、従来通りにいわゆるOJTをする程度で基本的には“現場”でやりながら覚えてもらう方式でやる予定だという話でした。「今までもずっとそうやってきているし、そうやるしかないから」というような話も出てきました。

さらに詳しく話を聞いてみると、確かにその知り合いが一人で孤軍奮闘したところですぐに“教育体制”を変えることもできなさそうですし、周囲の人達の考え方を変えることもできなさそうな印象を強く受けました。

とは言え、もしもその“新人”が入社してきたとしてもすぐに辞めてしまったり、辞めはしないけれども思うように育っていかなかったとしたら、その時に困るのは誰なんだろう?

そんなことが頭に浮かんだのでそのまま質問をしてみました。

少し考えた後で、「こっち側だよね」という回答がありました。

“こっち側”というのが何を指すのか聞いてみると、今現在その会社で働いている自分達であり、その新人の上司になるであろう人であり、更にその上の管理職の人達のことを言っているとのことでした。

「もしも新人が辞めちゃったら、その新人がやるはずだった仕事が今いる人たちに乗っかって来ることになるから」という言葉とともに、以前も同じようなことがあった経緯についても説明をしてくれました。

どんな組織であっても“仕事”をして人を採用するのであれば必ず必要になってくるのが「新人を育てる」ということです。その“新人”が新規学卒者であれ中途採用であれ、“その組織”で働くのが初めてなのであれば何歳であろうがどんな経験があろうが“新人”にはかわりがありません。

そして、その“新人”を「育てる」というのは一体全体何のためにやることなのか?

そのうちの一つには確かに「“新人”本人のため」という理由もあるはずです。

でも、実際には「“新人”に入ってもらって育ってもらって一人前に仕事ができるようになってもらわないと、既に組織にいる人達と組織にとって困ることがある」から“新人”を採用しているわけですから、「組織とその組織を構成しているメンバーのため」というのと「組織の生み出す“仕事の成果”を享受する顧客のため」というのが最も重要視しなければならない理由のはずです。

そうやって考えれば、冒頭のように「ウチの会社に来月から新人が入って来るんだけどちゃんとやっていけるのかなぁ」というのは、“新人”を採用した組織で働く人としてはなかなかにピントがズレているんじゃないかと感じます。

“新人”が入って来る組織なのであれば「新人がちゃんとやっていけるように関わって育てる」というのがその組織の人達の誰もが持っていないといけない考え方なんじゃないかなあと思っています。

何しろ、“新人”にはできるだけ早く育ってもらって、できるだけ早く成果を挙げられるようになってもらわないことには、その組織全体で見た時の“成果の総量”が上がっていかないままになってしまって、結局は“先に組織にいる人達”の負荷が大きいままになってしまうから。

だからこそ、“新人”が入ってきたら優しく丁寧に関わって“とって欲しい行動”を正確にとれるようになってもらえるように、“挙げて欲しい成果”を挙げられるようになってもらえるように、真剣に一生懸命に丁寧に“育てる”という関りをしてあげられるといいんじゃないかと思っています。

“育てる”という関りはそもそも「育つかどうかは未来のことだからわからない」というのが前提になっているからです。

もしも「これだけやったんだから」と感じるくらい労力をかけたとしても、人がイメージ通りに育つかどうかはわかりません。そんな保証はどこにもありません。
だけど、“育てる”という関りにはそれなりに大きな労力をかけなければ人が育つなんてことは起きません。
「自主性に任せたら育った」とか「ほっておいたら育った」なんてことが起きたとしたらそれはその“新人”が途轍もなく優秀で強靭だったからに間違いありません。

“育てる”という関りは「労力の交換」ではありません。“育てる”という関りをしたからといって、“新人”からそれ相応の価値が対価として提供されるなんてことはありません。

例えば、植物を種から育てていくような関りと同じようなイメージです。
そして、もっと言えば、その“育てる種”が育ってきて芽を出すまではその“種”がどんな芽を出すのかわかりませんし、その花が咲くまではどんな花を咲かすのかわかりませんし、実を結ぶまではどんな実がなるのかわかりませんし、そもそも、どんな“種”なのかもわかりようがありません。

だけど、“育てる側”としては一生懸命に汗水たらして土を耕して丁寧に“種”を植えて天候に気を付けて水や肥料に気を付けながら害虫や病気に気を付けながら丹精込めて“育てる”をしない限りは、“育つ”なんてことが起きようはずもありません。

「どんな種類でそれが何の実をなすのか」が明確にわかっている野菜や果物ですらそうなんですから、「どんな能力があるのか?どんな特性があるのか?」が全く未知な人間であれば、野菜や果物なんかよりも遥かに丁寧に一生懸命丹精込めて“育てる”をしなければ育たないだろう、なんてことは考えてみれば当然と言えば当然です。

そう考えると、「新人を育てる」というのは“新人”を迎える組織全体にとって組織で働いている誰にとっても「途轍もなく重要な事業である」と考えるべき仕事だと捉えることが組織内の誰にとっても健全な考え方なんじゃないかなと思っています。

そうやって皆で“育てる”をするのであれば、いつかそのうち自分自身に“なにか”返って来る可能性が高いんですから、まずは最初に自分から“贈与”をすることからスタートをする。

そうして、優しく丁寧に一生懸命丹精込めて“育てる”を継続していけば、

「ウチの会社に来月から新人が入って来るんだけどちゃんとやっていけるのかなぁ」

なんてことを心配する必要が無くなるんじゃないかなと思っています。

「情けは人の為ならず」この諺をいつも頭に浮かべながら、その組織のみんなで“育てる”に取り組み続ければ、“新人”はちゃんとやっていけるはずですから頑張っていきましょう。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?