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まるで方位磁石みたいに

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「役に立つことをする」のと「正しい手法を使って物事を進める」というのとでは“同じ”場合もあるけれども“全く違う”場合もあるんだということを、とても強く感じることがあります。

「役に立つことをする」というのは、目指す方向性や目的が明確である場合にのみ成立するものだと考えています。

〇〇という目的を成し遂げるためには、Aというやり方で出せるであろう結果よりも、Bというやり方で出せるであろう結果の方が“役に立つこと”になると考えられる、というような感じです。

一方で「正しい手法を使って物事を進める」というのは、「正しい手法を使うこと」に重きが置かれてしまうことが多くあります。

△△という手法は色んな組織で使われているし有名な人たちもたくさん利用していて“有効な結果”を出しているらしいからウチにも有効なんじゃないかと考える、というような感じです。

ここに書いた例はとっても単純化した例なのである意味では“極端”に映るかもしれませんが、特に「正しい手法を~」の例の場合は現実に直面する場面だともっと様々な要素が交錯してくるので“複雑な事象”のように映る場合もあるかもしれませんが、実際に一つずつを確認していくとこれくらいに単純化できるケースが多いんじゃないかなというのが僕の実感です。

こんな風にある程度抽象化して考えてみると、現実に起きる事象対しては前者である「役に立つことをする」という考え方の方が物事を前に進めたり、問題解決をするためには、それこそ文字通り「役に立つこと」に繋がるというのをこれまでにたくさん経験してきましたし、そのためには“目的”を明確にしてそれを基準に物事を考え判断していく必要があるのでいつだって“そもそも論”に立ち返る必要があると考えています。

逆に言えば、“そもそも論”に立ち返ることがないまま“手法”であるハウツーの話に入っていったり、“目的”は明らかになっているのにそれを軸にすることなく“やり方”についての枝葉末節の話になっていったりしてしまった時には、まだ何の話もまとまっていなかったとしても既に“大ピンチの兆候”が表れていると言えるのかもしれません。

僕はそう考えているので、物事を進めるための話し合いをしている時に“目的”を何度でも握り合うことが大切だと思っていますので、「手法とか技術の話ばかりになっちゃってる」とか「なんか枝葉の部分の話ばかりになっているな」とか「話がずれはじめてるかな」と思ったりした時には、なるべく“そもそも論”に戻して“目的”を再確認し、それを叶えるために「役に立つこと」についての話をするように促したりすることがあります。

“目的”を叶えるために「役に立つことをしよう」と考えてみると、よっぽど特殊なケースで無ければそんなに奇をてらった手法は必要が無いことがよくあります。

もちろん「誰もやったことの無いような新しい手法」が「役に立つこと」の場合もあるわけですが、特に真新しい手法でなくても「役に立つこと」というのは考えてみると実際には幾らでもあるというのが現実だったりもするわけです。

とは言え、複数の人が集まった時にその場にいる全員が「役に立つことをしよう」と考えながら話ができればいいのかもしれませんが、事前に「そういう話し合いをしましょう」と取り決めをしたとしても実際に話を始めるとなぜだか全然「そういう話し合い」にはならない、なんてこともよくある現実だったりもします。

そうなれば、まずはとにかく“そもそも論”で“目的”あらためて共有しなおして話を仕切り直す。それでもまた枝葉末節の話になってしまうなら頃合いを見てまら“そもそも論”で“目的”を叶えるために「役に立つことをしよう」という話をする。何度でも、話が建設的に前に進んでいくまで繰り返す。

そうやって「そもそも、この話し合いはなんのために実施しているのか?」を思い出しながら、忘れないように、流されないようにしなければ、多くの人は“言いたいこと”を言うだけになったり、“言い負かされないこと”に終始したり、“己のメンツを守るため”に論理性に欠けた話を場当たり的にしはじめたり、なんてことが容易に起きるのもまた現実だったりするわけです。

そんな不毛な話し合いの場と時間で消耗して疲弊しないように、いつも心に“目的&そもそも論”と“少しばかりの勇気”を携えておきたいなと思っています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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