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果報を寝て待つことへの疑問を呈す

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「本人が“やる”って言ってたから任せたんだけど、いくら待っても結局やらないんですよね」

他社の経営者さんや管理職の方と話をしていると、結構な頻度でこんな話を聞かせてもらうことがあります。

その状況によって細かい話の内容は違いますが、質問をしていくと任せた後はそのまま任せっきりにしてしまって、「いつ報告が来るのだろうか」とただ待っていただけ、という話であるところは共通しています。

そして、この話とセットで大抵ついてくるのは「報連相が出来てないんですよね」という話でもあったりします。

「仕事を任せて、あとはただ報告があがってくるのを待つだけ」

もしも“上司”と呼ばれる人の仕事の内容が“これ”なんだとしたら、ものすごく控えめに言っても「その組織の“上司”の仕事ってめちゃくちゃに楽な仕事なんだなあ」という感想を持ちます。

何しろ、“上司”が“部下”に仕事を任せて、あとは待っているだけで「できました」と完璧な成果を持って報告がくるってことは、その仕事を任された“部下”は途轍もなく優秀ですし、その“部下”がいるのであれば“上司”は誰がやっても同じ成果があがってくるはずですし、もうちょっと言えば“そんな上司”は別に存在していなくても何も問題が無いのかもしれません。

じゃあ“上司”と呼ばれる人がする仕事とは一体何なのか?と言えば、それは「他者を通じてチームとしての成果を挙げること」であって、“部下”に仕事を任せて放置をしておくことでもなければ、“部下”から随時上がってくる報告を待っていることでもありません。

部下に「仕事を任せた」のであれば、その進捗を随時確認するために途中経過報告を定期的に受けられるように働きかけることが必要ですし、それをしなければ「部下が成果を挙げることができるかどうかを判断すること」はとても難しいのかもしれませんし、取返しのつかない状態に陥る可能性を払拭することも難しいのではないか?と思えます。

つまり、

「本人が“やる”って言ってたから任せたんだけど、いくら待っても結局やらないんですよね」

というのは「仕事を任せた」ということにもならないし、「いくら待っても」何の意味も無いことをしてしまっている“頼りにならない”上司という結果になってしまっているので、その仕事が完了しなかったのは“部下の責任”なんてことはなくて、ほぼ100%が「部下に仕事を丸投げして放置していた“上司”の責任である」ということがハッキリしていしまいます。

「上司が部下に仕事を任せる」という言葉の意味の中には、「任せたからにはマネジメントの実践によって部下が成果を挙げることができるようにする。そのために、進捗確認を行い報連相が徹底されるように働きかける」というコトが必要不可欠である、そんな意味が色濃く含まれている。

これは、“上司の役割”とか“マネジメント”というモノについて考えた時には、確実に考えなければならないことであり、これを考えることによって“組織としての成果”をあげることに繋がるので、当然ながら冒頭のような言動はめっきりと鳴りを潜めるようになってきます。

“任せる”とか“やる”という誰かの言説も大事にしたいのはやまやまですが、それよりも必要な成果に向けての“役に立つこと”は何なのか?について考えて実行することの方が比べ物にならないくらいに重要なんじゃないかなぁ、なんて考えています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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