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国語教師が導く解釈と、生徒の自由な解釈との対立の構図

学校の国語授業の思い出。著者の言いたいことの解釈が複数あったもいいでしょ! って声を大にして言いたい。言いたいから書くね。 

小学校や中学校の国語授業で、「著者の言いたいことは何ですか?」が苦手だった。国語の成績はいつも悪かったんだ。

読解長文の行間を読めないと回答できない問題が全然できなかったんだ。まだ文章中に、要約すべき内容があれば、まとめて回答することはできたんだけど、書いてないところから自分の意見を入れ想像することは回答率がとにかく低かった。


国語の授業では、先生は懇切丁寧に、私みたいな行間の読めない生徒を導いて教えてくれる。

先生は、
「キーワードAとBとCがポイントになるね。この3つの単語から、どんなことが推測できると思う? これが、この問題の答えとなるんだよ」

学習指導要綱に書いているのか、とても優しく導いてくれるんだ。

いやね、私はキーワードA、B、Cもわかっているし、そこから推測もできるし、自分なりの解釈もできているんだよ。その解釈が違うから回答に×が付くんだよ。

先生からは、この文章からは、○○○と推測して解釈しないといけないと断定的に言い切られてします。幼き私は、まったく納得できない。だって、そうは思うことができず、△△△としか解釈できなかったんだから。



そもそも、著者が言いたいことって問題に、答えが一つでいいのか? 解釈の仕方は、十人十色だろ。 その問題として不適切でしかないと思う。 

先生の指導方法「△△△は間違っているから○○○と推測しなさい!」

一つの解釈しかなく、個々の生徒の解釈を、無理やり一つに強制的に変えさせる教育でいいんだろうか?

そんなわけで、いつも先生とぶつかった。教師が導く正解の解釈と、生徒の自由な解釈との対立の構図だね。ぶつかったところで正解にしてくれるわけもなく、点数を取るために、持論を曲げて、正解らしい答えを覚えるしか手段はなかったんだ。


まったくダメダメの国語において、読書感想文だけは、いつもよかったんだ。三重県の最優秀賞をよく受賞させていただいた。今思うと、人の気持ちを読み取ることはできなかったけれど、自分の気持ちを表現できることは、小さい頃からできたんだと思う。読書感想文って、自分の気持ちを素直に表現すると良い作品になるらしい。

並の読書感想文は、要約をしたり、ストーリーを書いたりすることが多い。だから、先生からは、「自分の感想を書きなさい」と指導が入る。

私はそう言われれば、感想を書くことは簡単だった。というより、ストーリーのない本を題材に選ぶので、要約を書くことがそもそもできないから。題材の書籍は、星座ガイドとか草花図鑑で感想文を書いたんだ。

村上先生って名前の先生。なぜか変わり者の私に目をかけてくれた。小説を選ばない私を軽蔑せず、添削してコンクールに応募してくれたんだ。普通の先生だった添削もせず、赤点つけるところだろうね。

なぜかコンクールでは次々と賞をいただくことができた。自信になったね。村上先生に感謝!


発達障害をもって生活することは、今までの人生で、生きづらさを感じながら50代まで過ごしてきた。近年になって、LGBTやダイバーシティなどの啓発で、一人一人の個性に目が向けられる雰囲気になってきたことはとてもいいことだと思っている。 

義務教育の国語で学んだことと言えば、唯一、自分の意見と人の意見は違うってことを身をもって体験したことだ。

日本人として国語教育は、自分の意見を否定して、他者の意見に迎合することを強いる方針だと思う。

自分の意見を否定することは大変辛いことだ。一般的生徒は、その辛さを回避したいので、自分の意見を持たない選択肢をとっているんだと思う。他者の意見に合わせることを優先するためだ。自分の意見を持たなければ、自分の意見を否定しなくていいもんね。そうやって、考えないスキルを身につけたのだろう。

大人になって、「自分の頭を使って考えろ!」と上司から指導を受ける、思考力に課題がある社員は、正解を求めたがる日本人教育に素直に従った優秀な生徒だったのだろう。


生徒一人一人の個性にもって目を向けてほしいって切に願う。けど学校の先生も組織の一員だから、致し方ないよね。多くの生徒の個性に目を向けていれば、いくら時間があっても足りないだろう。

そうなると、当然、限られた型に生徒を押し込める指導方針になるのは、仕方がないのだろう。でもこれって、いわゆる日本人価値観を有無を言わせず、義務教育って名の学校で、仕向けているとしか思えない。

学校とは金太郎飴みたいな日本人が作り上げる工場でしかない


いつも反発して、生きづらい中でも、我を張って、学校生活をしてきたことを思い出した。人間関係においては、コミニュケーションはうまく構築できない学生時代だったけれど、知的レベルは標準だったため、ちゃんと大学まで卒業できたことは幸運だった。

受験科目は、もちろん国語が試験教科にない私立理系。

近年、AO入試も増えてきて、良い傾向だなと感じている。もっと個々の個性に目を当てて、教育指導ができたらいいのにな〜。



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フィリピン、セブ島のNPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で、里親支援を続けています。 子どもたちの大学卒業までの学費支援等、教育資金に活用させていただきます。 ホームページ→ https://daredemohero.com