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私はこのようにして研究者になりました


はじめに

 私が小学生の頃だったでしょうか、テレビで”お金がない”というドラマが放映されていました。当時、小学生ながら兄弟愛とお金のドラマを見つつ、”お金が無いと困るけど、お金だけが全てでない”と思ったことがあります。私は、理学療法士として社会人経験を経由して、現在は研究者として働いています。今回は、お金について考えるために、社会人になってから、どのようにお金を使ってきたかを振り返ることで、いつ頃から研究者を目指し始めたのか思慮したいと思います。

Stage 1:浪費のはじまり

 社会人になりたての頃の私は、自転車操業の浪費家生活をしていました。毎月の収入から一人暮らしに必要な経費を差し引き、残りを自由に使い切っていたかと思います。特に多くの割合を占めたのが、知人との食事代・飲み代です。病院に就職をしましたので、同僚と食事をしたり飲み会をしたりすることが自然に多かったわけですが、仕事が終わったにもかかわらず、それらの場では仕事に関わる話題がほとんどを占めていました。その当時、尊敬する理学療法士について語り、将来の目標を語り、ときに上司の愚痴を言ってみたり沢山の話をしました。不思議なもので、その食事や飲み会が終わると自分のモチベーションが向上し、帰宅してから理学療法の勉強を始めていました。食事や飲み会は、1週間に2回ほど実施していたかと思います。
 また、週末は買い物に行くか研修会・学会に参加していました。理学療法士の学会はおおよその相場が3,000円から5,000円ですが、研修会になるとより幅広い価格帯になり無料から50,000円の費用を支払っていました。当時は、参加できるものを探してほぼ毎週、何かしらの研修会・学会に参加していました。学会については、追加のストーリーがあります。職場に来ていた素晴らしい理学療法士の大先輩が「学会に参加するなら、必ず発表しなさい」とおっしゃっていましたので、学会のことを良く理解しないまま、新人ながら発表演題を作るしかないと考えて研究しました。若い頃の勢いは自分でも感服するほど、新人と言われる1年目から2年目の間で5回ほど全国学会、ブロック学会、県学会で発表を経験させていただきました。この頃の私は、意欲的な臨床家であり続けたいと考えていましたので、学会に参加すること、学会で発表することが同僚との差別化を図るためにとても重要であると考えて、取り組むことの優先順位や内容を吟味せずに学会発表をしていました。当時の発表内容を見返すと、恥ずかしい限りです。この頃、研究職を目指そう、研究職になりたいと思ったことはありません。
 お金についてあまり考えずにいたStage1ですが、自分自身が働いて得た収入をやり繰りすることは自律感があり、大人になった満足感を味わいました。自己責任でお金を①何に対して②どのぐらい使うかという裁量権があることは、一気に自由度が高くなりますので、良い経験でもあり、楽しい経験として私の記憶に保持されています。

Stage 2:キャリアを成功させるために投資をはじめた

 当時、私が所属するリハビリテーション科の最年少でした。つまり、全て先輩ということ成るわけですが1年経験が長い先輩の他に、15年以上の経験がある上司がおりました。この上司が社会人大学院に進学し、その研究データの収集を私達部下が全て収集する歪な現状がありました。私自身も学会発表を繰り返しておりましたので、自分でも社会人大学院に挑戦して、やり抜く自信がある状態であったかと思います。運が重なり、病院で働きつつ社会人大学院で学ぶ、二足の草鞋を履く生活を開始しました。社会人になってから初めて、私のお金事情を計算しました。たまたま、大学院受験料・前期授業料相当の金額が口座に残っており、大学院受験を宣言し、慌ただしく準備を開始しました。専門学校卒の私は、理学療法士免許を取得して働くことが出来ていましたので、それなりに充実していましたが、大学院と聞くとできる人のイメージがあり、挑戦できるなら挑戦してみようと考えました。今、考え直すと、「大学院で何が学ぶことができるのか」を考えずに、お金を捻出した私は何かに取り憑かれていたのかもしれません。
 その後、合格して入学金と前期授業料を納め、貯蓄が底をつきました。今でも鮮明に覚えています。毎月の給与をやりくりして後期授業料を貯蓄する生活がスタートしました。二足草鞋生活は、自分次第で忙しくすることもできるし、修了基準最低限の閾値付近の学びを選択することも可能な自由な状況でした。私は、仕事に行く前、仕事後の時間をなるべく多く研究方法の勉強、研究論文の読破に使用したいと考え、自分自身で忙しくする社会人大学院生活を選択しました。それはなぜか、職場の上司と同じ様になりたくなかったからです。この頃から、食事や飲み会に参加する回数や研修会参加が自動的に減少する傾向にあり、これまで支出に割り当てたお金が学費の貯蓄に回ることになりました。ただし、社会人大学院生活でもお金を使いました。例えば、読みたい研究論文を入手するために、研究論文を有料ダウンロードしたことです。その当時、私の文献検索技量が低く、有料でなければ入手できない病にかかっていました。無闇矢鱈と有料ダウンロードを行い、1つの論文をダウンロードするために数千円から10,000円を使っていたかと思いますし、研究に関連する書籍を沢山購入して満足する生活でした。
 今、再検索してみると無料ダウンロードできる論文が多くありますので、もったいなかったなと思いますが、この頃でさえ、突出した臨床家になりたいと思うことはあっても、研究者になりたいと考えたことはありませんでした。当時、理学療法士が大学院を修了していることが珍しい時期であったこともあり、大学院に進学すると言うのは相当できる人と勝手に思い込んでいたのかもしれません。

Stage 3:研究活動にお金を使いすぎて結婚式代がない

 充実した仕事、充実した社会人大学院生活をすごしながら、恋人にも恵まれて結婚を決めた私はお金についての考えが非常にあまかった。単純に、貯蓄から大学院の学費を差し引くとわずかな残りしかない状態でした。その当時の私は、プライドばかり高く、恋人に正直に言えずに何かを理由につけて時間稼ぎをしながら、貯蓄に注力しました。節約のために真っ先に実践したのは、有料論文のダウンロードをやめる、研究関連図書の購入をやめることです。
 読まなければ中途半端な研究になる様な気がして、私のプライドがそれを許しません。かといってこれまで通りにお金を使うことも良い選択とも思えず、人脈をたどり研究者から論文を頂く様にコンタクトを積極的に始めました。研究者の方は、有料のデータベースにアクセスできる権限があることがあり、ダメ元で聞いてみたら、無料ダウンロードできることを教えてもらい、状況が好転しました。これには、おまけの話があります。研究論文ダウンロードをお願いするために研究室を訪ねると研究者の方から、①どのような研究か、②それは何に役立つのか等2、3の質問いただきますので、それなりに回答してその場を離れますが、数日たつと私の回答がわかりづらいと気がつき、的確な回答を作成する習慣が身につきました。おそらく研究者の方は、私ができること・できないことの分別がつかない状態を察して、質問をしてくださったのではないかと思います。これは、節約して福が来たコミュニケーションの例として、普段から大学院生に紹介しています。さらに、あまり良い話ではありませんが、私の場合は、学会が全国各地で開催されますので学会発表 兼 デートの合わせ技を行うこともあり、学会発表とデートの思い出が残っています。
 お金がない私を恋人が理解して協力してくれたと言う少々お惚気話でした。

Stage 4:新しいキャリアに向けた準備

 新婚の私は、理学療法の新規領域で働いてみたいと考えて充実していた職場を退職し、地元に帰省しました。この頃は、社会人大学院の研究が落ち着きはじめ、修士論文の執筆と公聴会に向けた準備を進めていましたので、仕事に多少の負荷が加わったとしても余力がある状態でした。これまで以上に、意欲的な臨床家に自分が成ることで有名になりたいと考える様になりました。そのために、理学療法士があまり働いていない領域で働くことに魅力を感じる様になり、後先考えずに職場を変えました。今では、根拠無くして職場を変える気持ちはありませんが、その当時は根拠がなくても職場を変えてしまったのですがら、勢い任せです。さらに、あるお方に誘われて、理学療法士養成校にも勤務することになりましたので、平日は理学療法士として勤務し、週末に理学療法士養成校に勤務する生活を過ごしていました。新しい職場環境は、慣れるかどうかと言う点も気になりましたが、それ以上にどの職場にも問題や課題があり若手に多くの仕事が届くことが共通していると気づき、”この忙しい状況は、早く仕事ができる様になる可能性があるので、実力をつけて決定的な差別化を図りたい”と思っていました。俗に言う、「ピンチはチャンス」です。ただし、十分な貯蓄がない状況に変化は無く、格安賃貸住宅を借りて新婚生活をすごしていました。それでも、新婚生活というのは何事も盲目にするもので、節約していたはずなのに、節約していることを忘れて生活を楽しんでいました。
 それから大学院修士課程が修了するころ、指導教授から「修士課程修了に続けて博士課程に進学すると入学金がタダになる」と言われて、"タダ"に惹かれて博士課程を受験しました。誰かが”タダより高いものは無い”と言っていたのを聞いたことがありますが、全くもってその通りになりました。

Stage 5:教員生活のはじまり

 博士課程の合格通知が届いた頃、大先輩の理学療法士が教員を引退するとのことで、その後任であると本人から伝えられ、私は、お世話になった恩返しのつもりで臨床で働くことを辞めて、平日は理学療法士養成校で勤務することにしました。勤務地への通勤事情を考えて、引っ越しをしましたので引越し代と新居の賃貸住宅への敷金礼金の支払いを済ませ、環境調整を急ぎました。この頃の私は、服装や持ち物を整えて教員らしく格好をつける様になり、貧乏なのに浪費をする生活を再開してしまいました。その当時は、教員に権威や威厳があった時代でしたので、先輩教員が外車を乗りここなす姿等が別世界に見えて、真似をしたかったのかもしれません。今は、そんな気持ちさらさら無いのですが、若い頃らしい判断だったのかなと思います。
 さて、浪費を続けながら教員になった私は、授業資料の作成に追われる日々を過ごし始めます。平日の隙間時間で研究論文を読み、土日をデータ収集に使用しながら、博士課程の研究に取り組みました。データ収集環境が変化し、身の回りに研究機器がありますので、自身の研究と関連が無い機器と使いこなせるように使い始め、それに関連する消耗品を調達して練習を進めました。それと同時期に、研究論文を投稿して学術誌に論文投稿してみました。査読審査で付された意見に回答をしながら原稿を修正することで原稿が洗練されていくような気がして、ここから論文投稿に没頭し始めました。これは後に掲載料の請求で気づくことになるのですが、複数の論文掲載を喜んでいたところに、請求書が届き○万円、○万円、○万円と続き、掲載料貧乏状態に陥りました。それから、掲載料を確認してから論文投稿を決める習慣が身につきました。この時期に転機が訪れます。それはあるお方に誘われて、大学教員(研究者)にならないかと言われたことです。それまで、意欲的で有名な理学療法士になりたいと考えていた私にしてみれば、初めて大学教員(研究者)??自分が??ナイナイと考えた瞬間です。その当時の私は、大学教員(研究者)になってみたいが、実力が無いと言うことが直ぐ知れ渡るのでやらない方が恥をかかなくて良いとも思っていました。最終的に、その話は流れてしまいましたが、私の気持ちはとてもホッとしたと言う気持ちでした。
 それから1年が経過し、博士課程の修了条件になっていた国際学会発表を経験するために、国際学会に申請して、渡航費用35万円を支出しました。国内の学会であれば数万円で完結するところを、数十万も支出しなければならない国際学会は対価に見合わないと思いつつ、イヤイヤ参加しました。英語が苦手、国際学会参加経験無しと来ればそのような状況になりがちかと思います。ところが、国際学会に参加してみると、”えっ、なんで楽しくて、こんなに勉強になるの”状態です。観光そっちのけで学会会場に入り浸っていました。お金は無くなったけど、とても充実した国際学会で、私の人生の中で国際学会良いなと言う気持ちが芽生えた時期でもありました。そして、博士課程での研究が修了に近づいた頃に子供が誕生しました。子育てをしたことが無い私は、抱っこをする、着替えをする、オムツ交換をするのも初めてであり可愛い我が子を見てドキドキとわくわくの連続した日々を過ごします。
 国際というキーワードを知ったものの、子供の誕生によって子どもに夢中になり国際に関連する活動を何一つ推進せず、子どもが寝てから研究活動を行う生活に変わりました。余談ですが、初めて発表した国際学会の大会長と7年後に一緒に仕事をする様になりました。運やご縁もあって今の自分が支えられていることに感謝

Stage 6:研究者への道のりを歩み出す

 博士号を取得した後は、第一優先順位が子どもになる生活を満喫し始めました。子どもが笑った、眠った、泣いた等、表情の変化を記録したくスマートフォンで写真を撮影するのが趣味になりました。ですので、ほけんの窓口に行き学資保険の相談をする、オムツや洋服購入などして出費を重ねました。この時期は、子どもに夢中で、①自分自身のキャリアを考えなかった、②洋服でカッコつけることをやめた、③有名になりたいと思わなくなった等の変化を生みました。博士号を取得してから1年が経過する前だったかと思いますが、再びあるお方から「大学教員にならないか」と話をいただく機会がありました。この頃の話はかなり具体的な状況でして、大学を訪問して職員にキャンパス案内いただいたり、居住エリアを見学したり、他大学教員と対談しました。私もその気になり、職場を変えて大学で働くことにしました。大学教員からスタートしたのかと言うとそうではありません。
 私の確認ミスで非常勤職員として働き始めることになりました。これまでの安定した仕事を離れて非常勤に成ったわけです。何も言わずに支援してくれた妻に感謝するしかないのですが、想定していた”常勤”でなかったこともあり、休日に細々と研究活動を継続する日々を過ごしていました。非常勤職員の仕事内容は非常に充実していましたが、大学教員の方々が教育・研究の話をよくされることを側で見ていましたので、”解明されていないことを解明するために取り組む楽しさ”、”できないをできるに変える喜び”、”科学的根拠を構築していくやりがい”等が私の心の中で次第に育ち、前向きに取り組む大学教員の姿勢が良いなと思う様になり、将来は私も大学教員になりアカデミアをスタートしたいと闘争心が芽生えました。
 これには笑い話があるのですが、交通費の支給が遅れたために数ヶ月間の交通費を私が先払いして通勤していましたので、この時期は通勤貧乏になっていましたが、私の心に闘争心を発火させてくれたこの経験は、私の財産です。この闘争心がのちに6年間で教授になった原動力の一つです。貧乏してもお金だけでは買えない経験を買えるなら買って欲しいです。どうしたら特殊な経験が来る様に成るのかということは有料記事を挑戦するときまで温存させてください(笑)。

Stage 7:我武者羅に働く

 ご縁があって、あるお方から大学教員にならないかとお誘いをいただきました。非常勤職員ながら新しい仕事でプロジェクトの役割をいただいていましたので、途中で投げ出すようなことはしたくないと考えていましたが、すぐに大学教員になれる機会が舞い込みました。非常勤職員としてお世話になっていた職場からも大学教員のお話を頂戴していましたので、どちらを選択しても大学教員になれる状況でした。そのため、新しく頂いたお話は、大変ありがたいことでしたが、お会いして丁寧にお断りを入れようと考えて、大学を訪問しました。すると、訪問した大学の長がとてもユニークな方で、私はお断りにお伺いしたにも関わらず、「是非来たいとおっしゃっている様ですが・・・」と話題を切り出され、私が爆笑したことで断る雰囲気を台無しにして断れない雰囲気になり、話を持ち帰りました。最終的に、地元の大学であり、自分が挑戦せずして誰が実行するんだと無敵の正義感が出現しまして、非常勤職員の役割を全うして職場を変えることを決意しました。
 いよいよ私のアカデミア活動がスタートすると期待して入職しましたが、ひと月ほどで新しいプロジェクトの役割が舞い込み、アカデミアの活動が空想の世界に飛びました。これもまた、魅力的なプロジェクトで時間を問わずプロジェクトの成功に向けて邁進しました。何が魅力的か、それはまだ成し遂げた方があまりいらっしゃらない、新規性あるプロジェクトです。私は、多くの方々が挑戦したが失敗してきたプロジェクトと表現しても良いだろうと考え、失敗が続いていたのだから、一生懸命やって失敗してもしょうがいない、でも成功したら面白いと解釈してプロジェクトに専念しました。成功の可能を高めるために、計画・連絡・調整を縦横斜めと繰り返し、邁進しました。この時期は、栄養ドリンクに大変お世話になりました。この頃の癒しは、帰宅して子どもの寝顔でした。出口のない迷路を2年続けてプロジェクトが成功したときには、爽快感と充実感および達成感を感じました。この経験から、卓越した個人の仕事ができる研究者は散見されるのですが、個人の仕事とチームワークが卓越している研究者は稀であると理解しました。
 この頃、子どもの成長もあって住宅ローンを組むことを念頭に置き、モデルルーム巡りを始めました。住宅の見積もりを取り、住宅ローンのために30年先を見据えてお金について考えなければならない等を学びました。金融リテラシーを全く理解していなかった私にとって、考える機会になったことは間違いありません。

Stage 8:真のアカデミアになるために

 現在の私は、このステージにあります。これまでの経験から、努力すれば目標達成できることが多いと信じていますが、全てには通用しません。アカデミアの活動は、難解なものに迫り、解決方法を見つけ、課題を解決し続けること、つまり答えが明らかでない命題に取り組み結論を導くことに貢献することにあります。それに関連して、後身の育成など発展的に物事を進める推進力が必要です。それは、専門領域の研究力では対応できず、人間力が求められます。人によっては、知恵が求められると発言するかもしれません。人間力や知恵は、どのようにして習得できるのでしょうか。そして、どのぐらいの人間力や知恵がアカデミアに求められるのでしょうか。これらの議論は、しばし量的や質的に置き換えられて議論されますが、私見では、質なくしてアカデミア無しと考えています。したがって、「専門領域を超えて重要とされることを思慮し、それらを身につけるために広く精進する行動(過程)を大切していると明言できる暮らしをする」ことができる様になりたいと考えています。いつになればできるかわかりませんが、できる様になればさらに心身ともに充実するのではないかと展望しています。
 さて、これまで浪費癖があった私のお金事情ですが、現在は"国際"をキーワードにしながら浪費を継続しています。これを意味のある浪費と表現したり、能力開発に向けた投資活動と表現したりしています。

まとめ

 社会人は、お金の使い方が変化していくとの私見を述べました。私が社会人になって以降のお金の使い方を振り返りました。①研究者になるために研究を開始したわけでない、②研究者を志す前に研究を開始していた、③博士号を取得してから研究者になりたいと思う様になった、④私はお金を自分自身の研究活動関連経費に多く割り当てた、⑤お金の使い方を振り変えることは今の自分をより理解できると言うことがわかりました。



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