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どんな人生を歩んで、なぜ農家になったのか、聞いてみた その2

私達が運営する『東北農家fan&fundクラブ プリサポ』は、掲載されている農家さんを100円~支援出来る、サイトである。

『東北農家fan&fundクラブ プリサポ』(https://pri-sapo.com)

そのサイトに掲載されている農家さんは、どのような人生を歩んで、現在まで至ったのか、農家さんを取材をして、記事として掲載している。

noteでは、掲載されている農家さんを紹介していきたい。

自分を貫き、発信し続ける「カッコいい百姓」

【にんにく・黒ニンニク農家 宮村祐貴】

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カッコいい百姓は。。運命

「若い時はやっぱり、都会に憧れがあり、上京しましたけど、お金ありきの場所ですね(笑)」

宮村さんは、高校卒業後、都会暮らしに憧れ、東京で暮らすようになる。

仕事は、建設業や飲食店を転々としていたそうだ。

そんな生活を送る中、とある出来事である想いを抱く。

「東京の飲食店で働いている時に、青森県産のにんにくを仕入れたと聞いて、嬉しくなったんです。でもその理由が安いから。自分のじいちゃんが農家で一生懸命働いている姿を見ていたから、その感覚に違和感を持っていましたね」

実家暮らしでは、常に食卓に置かれていた『にんにく』。

『本物のにんにく』を食べていた。

宮村さんの実家では、その光景が当たり前であり、そのことに『価値』に気付いていなかった。

「田舎にある『当たり前』が、東京にいると当たり前ではなくなる。当然のことですけど。。。今は、夜空の星がきれいだなーと眺めてしまう」

都会に出て気付いた、今まで当たり前にあった価値。

その価値に対して、違和感ともどかしさがあった。

「自分が感じる違和感とか、疑問を解消したいと思っていたことはありますね、特に農業に対しては、強く思っていました」

今までの常識を変えたい、世の中を変えていきたい、そんな想いを持ち始めた頃だった。

そのような頃、宮村さんの周辺では、状況が変わり始める。

祖父と、祖母が立て続けに亡くなり、宮村さんの父が末期がんに侵された。

遠く離れた、不幸続きの母が心配だった。

『農業をやってみたらどうだ』と、宮村さんのお兄さんから提案され、その頃、なんとなく農家になる事を考え始めた。

間もなくして、宮村さんの父がガンで亡くなる。

宮村さんは、

「田子で農業をやって死ぬ」

そう決意し、田子町に帰って来たのだ。

「もし、親父が元気だったら、一生帰って来なかったかもしれないですね(笑)」

あした、何をやればいいのか?

「農業をやり始めて、七年目になりますが、やっと一年間の流れが読めるようになりました。それでも、天候に左右されたりするので、まだまだです(笑)」

祖父が営んでいた畑を引き継ぎ、「農家」へと転身する。

「とにかく最初は手探り状態でした。直接教えてくれる人もいなかったので。トラクターの動かし方も分からなくて、YouTubeを見て参考にしていましたよ(笑)」

「明日何をすればいいのか、分かりませんでした」

一つの作業を進めることでも、常に手探り状態だったそうだ。

「晴れれば農家は休むもんじゃない!!そう言われていましたから、当時は休みなしで作業していましたよ」

就農当初は、不安とプレッシャーとの戦いの日々。

「小さい頃から、農家にはなるもんじゃないって言われてましたから、その言葉の意味は、十分理解しましたね」

その苦労から、農家であることの大変さを再認識し、宮村さんの「農業」に対しての想いは、ますます大きくなっていった。

そして、宮村さんは、問題を一つ一つ解決していき、独自性を築き上げていったのだ。

自分を売る、自分で売る

「農業をやり始めの頃は、パソコンを持っていませんでした、インターネットの知識はほぼゼロ。本当に何も知らない状態で始めましたから、とても苦労しましたね」

宮村さんは現在、自社のホームページでのネット販売を主としている。

それには、大きな理由があった。

「生産者が自分で値段を決められないって、農家になる前から、おかしいなと思っていました。だから、自分が農家になった時、売りたい値段で生産物を売ろうと決めていました」

色、形、大きさ、規格にとらわれない、生産過程も含めた、自分だけの価値を届けたいと、宮村さんは強く思っていた。

「自分が作ったにんにくを欲しいと言ってくれるお客さんに、やっぱり売りたい」

農家の本質を追及した、宮村さんの信念。

芯の強さを感じると同時に、宮村さん自身が、一番何を大事にしているのかが、伺える言葉だった。

「みやむーのにんにく」のホームページも、最初は全て作成し、ネット販売を始めたのだ。

「なんとか売らないといけないと思っていましたので、他のにんにく農家さんがやらない、自分にしか出来ないことをやろうと考えていました。そのために、お金と時間をかける覚悟をしましたね」

農作業をしながら、夜通しパソコンへ向かう日々。

身体も頭もフル活動させていた。

「最初、ホームページを作れば、すぐ売れるとおもったんですけどね(笑)」

しかし、簡単には売れなかった。

「お客さんと深く繋がっていないと、ネットでも売れないと気付いて、イベントなどに足を運ぶようになりました。ちゃんとお客さんと繋がりを持つようになっていきましたね、それからだんだんとネットでも売れるようになりました」

自分自身を売る事への大事さを実感し、行動した。

「繋がれる人を、一人ずつ増やしていきたいです」

宮村さんの誠実さが伝わってくる。

農家を憧れの職業に!

「農家を憧れの職業にしたいです。自分がその先陣を切って、カッコいい百姓をやっていけたらいいと思っています」

宮村さんの志は大きく、現実ときちんと向き合い、挑戦していく。

「農家を憧れの職業にしたい」

日本の農業が抱える根っこの部分を、宮村さんは考えている。

自分の感性を信じ、常識に捉われず、視点を変えながら、日々自分を成長させる。

そんな宮村さんは、すでに「カッコいい百姓」の姿である。

「まだまだ、勉強不足なので、YouTube聞きながら、農作業をしていますよ(笑)」

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