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【ライターの仕事】20年前から撮影ディレクションの技量が上がっているのかどうか問題。



20代で働き始めた頃、広告制作の仕事をしていました。
その頃の上司から言われたアドバイスが、今も私の中で連綿と生きています。

今すぐ思い出せるのは以下のこと。

①まずは自分が全部できるようになりなさい。自分ができないことを人に頼めないでしょ?

→ちゃんと原稿が書けるようになってから、ライターに発注しなさいという教えの一環でした。書けないのに頼むな!という。

②原稿制作だけではなくて、台割りを作る人、画像処理する人、印刷に回す人にも目を向けて。全体を見るのは大事だよ。

→分業制は世の常ですが、自分以外の仕事を見なさいというアドバイス。それによって自分の仕事への理解も深まると。

③上司にお礼なんかしなくていいから、その姿勢は後輩に向けなさい。それが連鎖して未来がより良くなるでしょ。

→ご恩をお返しをしたい的なことを伝えた時の問答。そんな暇があるなら後輩を育成しなさいという教え。

もっともっとたくさんのことを教わり、その経験全てが今の私の血肉になっているのですが。

それでも「血肉になっているかどうか超あやしい」部分があります。

撮影のディレクションです。

私は撮影ディレクションが怖かった

大きな撮影案件が入ると、「原稿を作る」ではなく「人をディレクションする」仕事がメインになります。

まずスケジュールを決めて。
カメラマンのスケジュールを押さえ、スタイリストさんを入れたり。時にはモデルの手配。ヘアメイク。
クライアントとスケジュール調整し、準備。
そして当日の香盤表を作ったりとか。

これらをスムーズに進めるためには莫大な人間力が必要ですが、「原稿を作りたいだけの人」である私にはそんな力はありませんでした。

そのため、当時は何度もクライアントを怒らせ(申し訳ない)、担当替えも経験しました。失敗の連続で落ち込む日々。

さらにディレクターとして最も重要なのが「カメラマンと連携をとり、どんな画像を撮りたいかイメージを共有し、それを着実に遂行してもらう」という業務。

正直、撮影案件の全部をこなすので頭がいっぱいで、「そんな富士山の頂上決戦みたいな(謎表現)こと無理です」という気持ちでした。

当日は今より1000倍くらいカメラに興味がなく、写真を撮るとはどういうことかもわかっていなかったのです。

冒頭の一文に戻りますが。

①まずは自分が全部できるようになりなさい。自分ができないことを人に頼めないでしょ?

この精神とは逆走。「写真なんて撮れないよ!」の思いで、ずっと地下道を走っているような感覚でした。暗闇!

編集記事メインになるとちょっと楽に

広告制作をやめて、編集職になってからは全ページ撮り下ろしが基本になりました(それまでは借用が基本でした)。

毎日が「撮影込みの取材」の連続になり、当初はヒヤヒヤしていたのですが。

クライアント付きの大掛かりな撮影に比べ、飲食店や観光スポットをめぐって、サクッと撮影を重ねる地方情報誌の取材はかなり気が楽だったのです。
※仕事自体はブラックでハードモードです。

大きなフィルムは使わず、ひたすら35ミリで撮ることもあり、現像代もそこまでかかりません。ブローニーとか4×5なんて登場しない。

肩の荷が降りた私は「こういうふうに撮ってほしい」と、雑誌の切り抜きを見せたり、カメラマンさんと相談してスタジオでスイーツを可愛く撮るなどの「自分の中で精一杯のディレクション」体験を積み重ねることに。

その途中でアナログカメラからデジタルカメラへの切り替わりが始まり、現場での写真確認が容易になり、色味調整も手軽になって、「撮影への危惧」はやや薄れていったのですが。

フリーライターになり、撮影ディレクションをする機会が激減してしまいました。

編集者やディレクターがいる現場でぬるま湯に浸かる

フリーライターになってみると、編集者やディレクターさんから「発注される立場」になります。

取材現場に責任者がいてくれることが多い。その人がディレクションしてくれるのです。

そもそも私がカメラマンを選ぶこともありません。
さらにノーディレクションでいい写真を撮れるすごいカメラマンもざくざくいる。

ん?

これでもいいの?

世界はこんなに寛容?

原稿だけ書いてたら私、生きていける?


そんなことないという現実


そんなことありません。

分業体制の末端に行くほど、ギャランティも削がれていく仕組みです。多分。おそらく。

だからライターの私がディレクション業務をやらずに「ライターのギャラが安い」は案外お門違いで、もっと額が欲しいなら「ディレクションまで丸投げしてもらってOK」って言わないといけないのかもしれない。

「全部やっておくので、あとは回しておきます!」であるはずで(いやわかりません。名前が通った文筆家になればきっと話は違う)。

そして、最近「アポ入れから取材、カメラマン手配、記事作成、校正、写真の色味調整の指示など、全部やってください」という仕事を受けた時、私は愕然としました。

「取材先に編集者が来ないなら、私が撮影ディレクション! やらなきゃ!」

ぬるま湯から出なければ。

自分では撮れなくていいと思っている。理解を深めれば

必死でディレクションという名の作業。

でも突然レベルアップはできないので、ラフを見せながら、
「こういうカット撮ってください。横イチで」とざっくり指示して、欲しいアングルが固定されているなら「今、ここから撮って欲しいです」と伝える程度。

20年前と、私の基本はあまり変わらない。

ほんのちょっと変わったことは、最近お気に入りのカメラをプライベートで持ち始めて、写真に興味が湧いたこと。趣味で撮影することが増えたということ。スマホではなくミラーレス一眼で。

それだけなので大きな変化はありませんが、ほんの少し「ここで撮ったら暗いからブレるな」とか「光が多いから難しいな」とか。そういうのを想像できるようにはなりました。

でも、それ自体は「これ撮って」とお願いしたときにカメラマンさんが判断すればいいことであり。私がやることは「こういう画像が欲しい!」とイメージすること、それを伝えること、できるかどうか交渉すること。

20年を経て、改めて。写真については「自分ができるようになってから発注」でなくてもいいのかも、と思います。

ただ、何が欲しいかを明確にすることが大事。そのために、「カメラってこういうもの」という理解があればコミュニケーションが楽になると思っています。



こんなにダラダラ長く書いて、「撮れなくていいよ別に」という、すごい結論になりました!

ほんとかな!!!

写真が撮れるライターさんもこの世にはどっさりいるのも承知で。しかし、私は写真と文章は全く別物なので、別々のスタッフがやる方がいいと思っているのです。
自分がカメラもやるとなったら、写真を撮ることを優先し過ぎて、心と体で「現場を味わう」のを疎かにするだろうと想像できるため。

ということで、終わり。

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地方の出版社を経てフリーの編集ライターとして活動しています。
○地方でライターの仕事を続けるには
○単価アップを叶えるには
○そもそもライターってどんな仕事?
○編集の視点とライターの視点の違い
などについて、自分なりの解釈をしていきたいと思っています。




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