ワンダフルワールド010多様性の世界
はじめまして。こんにちは。
寒い朝が続いている今日この頃、コーヒーやハチミツやマンガや音楽にホッとしながら、暖炉のような心地よいマンガを構想中のGプレッソです。
さて、今回のワンダフルワールド010におきましては、『多様性の世界』と題しまして、近年、世界中でキーワードとなっているダイバーシティに関して、ワタシなりにその意味を拡大して綴ってみようと思います。
『あらゆる全ての多様性を尊重する』-とはどういうことか?そもそも可能なのか?-ということも含めて考えてみたいと思います。
※今回の記事におきましても、あくまで『個人の感想』であり、あらゆるどのような「多様性」に関しましても、比較やよしあしなどのジャッジ的な意図は皆無であることをご理解いただければと思います。
よろしくお願いします。
もくじ
はじめに 80億人の多様性
Ⅰ ヒト多様性-個々性スペクトラム-
Ⅱ 文化多様性
Ⅲ 生物多様性
Ⅳ 存在多様性
Ⅴ インクルージョンな世界
おわりに ダイバーシティ社会へ
連載Gマンガ
『ボクはディオゲネス』第500話
『デイドリームビリーバー』構想進捗リポート
あとがき さかなのこ
はじめに 80億人の多様性
全過去・全歴史を背負うヒトとしての『個』
今回、『多様性』に関して考えてみようと思えた時、まず最初に改めて確認しておこうと思えたのは、現在地上に生きている80億人や過去に生きて来た無数の人類「ヒト」は誰であれ、生まれてよりの-遺伝記憶を含め-あらゆる体験・経験その全ての全歴史を背負って暮らしている
-という端的な事実です。
現存人類においては、『80億の個々性=80億の多様性』があるのだーということを頭の片隅において忘れないようにしたいと思います。
Ⅰ ヒト多様性-個々性スペクトラム-
多様性とは何か?
おそらく世界中の国々で、日々大人から子供たちの間で日常会話の中で使用されているだろうつぶやき『ヒトそれぞれだよね』というワードーその中で『それぞれ』の内容とは、具体的に果たしてどのようなものが挙げられるでしょうか。
「それぞれの多様性」というときの『それぞれ』とは、一体何が多様なのでしょうか?-to each , their own-
今回の記事版として、パッと思いつくのは以下のようなものです。
○内面的特性
性格(気質)
穏やか~激しいスペクトラム
指向・嗜好のベクトル
好きなこと-嫌いなこと
WANT ほしいもの
したいこと 行きたい場所etc
デザイア
欲求・欲望の度合い
有している価値観
etc,etc
○身体的特性
遺伝的特性(人種的・民族的含め)
体格 骨格 筋肉量
髪の毛の色・質 肌の色 目の色
鼻の形 唇の形 顔の形 etc,etc
○育ってきた環境
生まれ育った場所(家庭も施設的な場所も含め)
育ての保護者(親を含め共に暮らしたヒトたち)
地域(どのような地域的集団であったか)
通った学校(フリースクール等含め)
出会った先生・教師・大人たち
周囲の自然環境
母語・第一言語
宗教観・信仰観
浴びてきた文化
etc,etc
○技巧的特性
得意なこと-苦手なこと
できること-できないこと
etc,etc
○個的運命的属性
存在的運命 生まれた場所・時代etc
生まれた国・家
暮らしている国・地域
セクシュアリティ
※心・身体・指向・表現など含め
etc,etc
また、繰り返し何度でも反芻しておきたいのは、上記のあらゆる全ての「『それぞれ』の内容」それらには「一切の価値の優劣は一切皆無」
-ということを自戒して深く心に落としておきたいと思います。
※『多様性』に関して、一つオフィシャル的な分け方としては、
今回様々なネット情報を見た中では、『表層的多様性』『深層的多様性』という考え方を目にしましたので、備忘録・参考として掲載しておこうと思います。
Ⅱ 文化多様性
文化:当該集団の中で共有されている価値観・思考方法・行動・風習・伝統などの総称で、世代を通じて継承されているもの
「多様性」というとき、『文化の多様性』というワードも近年の社会的重要キーワードとなっています。
ヒトが寄り集まって暮らし始め、大きな集団になっていく中で、それぞれの文化というものが生まれていくことは、ある程度教科書で習ってきます。とはいえ、国際的な学校スクール出身のひとや、職場環境が国際的なひと、 積極的に異文化に関心を抱いているひとetcではない場合、
実際の生活の中で、異文化に触れる機会は実は中々ないのかもしれません。 ※ここでは、歴史の中で、かつての異文化が自国に溶け込み、もはや異文化ではなくなってしまうケースを除いて考えてみようと思います。
世界の場所や組織や家庭や階層まで『文化のそれぞれ』の中身とはどのようなものが考えられるでしょうか。
以下、パッと思いつくキーワードを並べておきたいと思います。
暮らし方 価値観 仕事観-余暇観 働き方
人生観 死生観 男女観(セクシュアリティ観)
芸術全般 伝統芸能 伝統工芸
宗教・信仰のあり方
言語 文字
道徳 モラル 禁忌(タブー)
ルール マナー
食生活 衣装 お祭り
サブカルチャー おもちゃ
スクール 子育て 世代間関係(お年寄り-若者-子ども)
街 町 産業
・・・・・・etc, etc
私的異文化体験
休日のコーヒー(ジパング伝来は17世紀中盤説あり)を楽しみに暮らしているワタシの「異文化」の私的経験を、備忘録として改めて想い起してみたいと思います。
○小学生の頃 スポーツ少年団の国際交流で2週間ホームステイにやってきたドイツからの学生さんと生活した記憶
○学生の頃 同じゼミに所属していた中国からの留学生の方々
○沖縄のナイトマーケットでのアメリカ人青年たち
○ボブディランのコンサート
○インド・カンボジア・タイ旅行先での現地のヒトビト
○かつてのアルバイト先でのインド人・パキスタン人のシェフたち/韓国人・中国人のアルバイト仲間
○クリスマスや祇園祭などイベントフェスティバル
etc,etc
いずれも、特別深いコミュニケーションを取れたわけでもなく、およそ半世紀の全過去の中で、『異文化』とのリアルな触れ合いは限られたものでした。
日常生活の中では、例えば駅の看板表記が英語だけではなく、中国語・ハングルも同時に表記されていることや、生活の中で異国ビトのファミリーを見かける機会も増えてきた感があること、など多文化混合の進展が実感できます。
その他では、やはり興味の向く「読んできたマンガ」や「観てきた映画」「聴いてきた音楽」「触れてきた芸術」「慈しんだキャラクター」や「リスペクトする偉人たち」などがあげられるのだと思いますが、それらのささやかな「異文化体験」が、いつの日かワタシの中で醸成されて「ワンダフルな何か」に昇華されて欲しいと願っています。
また、上記のような大きく「国別」や「世界規模の地域別」的なアスペクトだけではなく、それぞれの国内においても「都会と田舎」の文化の違いや、
ジパングにおいては、各県ごと(市ごと・村ごとetc)の文化の違いも顕著に感じられます。さらには、それぞれの家庭においてもそれぞれの異なる文化があるのだと想像できます。
Ⅲ 生物多様性
さて、上記までは、いわゆる人類に限って考えてみた「多様性」でした。
ライトではありますが、ここでは「生物多様性」にも触れてみたいと思います。
改めて、地球上では人類以外にも、
動物 180万種~
植物 30万種~
全生物(菌類や微生物含め)3000万種超~
の生き物たちが暮らしています。
※数字は解釈やデータにより様々なので幅広く考えています。
そして、3000万種超の生き物たち(個体数で言えば文字通りの無限個数のそれぞれのいきものたちですが)が、どうにかこうにかバランスを保ちつつ暮らしてきたこれまでの歴史が「地球史」の中の38億年ほどのようです。
近年(といっても人類の科学全盛のスタート期以来でしょうか)、このバランスが加速度的にアンバランスになってきている現況のようです。
ひとまずは、善悪・よしあし無記として、
具体的には
・生態系(Ecosystem)-食物連鎖/生態ピラミッド/自然循環-の多様性 が崩れてきている
・種の多様性が脅かされている-絶滅生物・絶滅危惧種の存在
・遺伝子の多様性が変化し続けている
これより先の時代において、ワタシたち人類もハッピーになり、全生物群もハッピーな関係性とは、果たして可能なのでしょうか?
悩ましいところです。
Ⅳ 存在多様性
さて、前項までは「地球」限定における『多様性』でした。
ワタシ(たち)が映画マトリックス的装置に繋がれて夢を見させられているのでない限り、素朴に考えるなら、最大パイの〈世界〉は、地球だけではなく、多様性は宇宙にまで広がる概念なのだと思えます。
そして、宇宙を超えた全カテゴリーを包含し得る概念は『存在』であると思えますので、ここでは『存在多様性』に関してライトに考えておきたいと思います。
現状考えられる「存在」の種類にはどのようなものがあるでしょうか。
以下、パッと思いつくものを並べておきたいと思います。
・存在 非存在 存在外存在 無存在※
・宇宙 銀河団-銀河群-銀河系-各銀河の星々 ブラックホール パラレルユニバース マルチバース ミックスバース あらゆるオムニバース
・各次元存在 多次元存在 -次元多様性
・各時間存在 過去 現在 未来 -時間多様性
・生命存在 無生物 非生物 無機物(と思っているものたち)
・最極大マクロ存在存在~最極小ミクロ存在存在まで
etc,etc
各々の存在/宇宙/次元/時間/生命/最大~最小-の存在において、
無限個数の多様性が、回り(廻り)続ける万華鏡のようにリアルタイムで展開し続けている『存在多様性ワールド』の事態な感じです。
※上記表現は個人の感覚・感想に偏っています。まるで伝わらなかったらすみません・・。
果たして、現況、天の川銀河に属している惑星地球の中に営み暮らしている「人類の営み」は、「存在多様性」にどのような影響を与えているのでしょうか?
よく言われるようなバタフライエフェクト(北京の蝶)が本当の真実であるならば、砂粒の個人の僅かなささやきが、いつの日かの何かにつながることを信じて、ワタシも『ワンダフル』を描いてみたいと思います。
Ⅴ インクルージョンな世界
さて、上記までの「ヒト多様性」「文化多様性」「生物多様性」「存在多様性」をサラッと見てきましたが、ほとんど無限数とも言える「多様性」な世界の中で、
人類圏に戻り、限って言えば、
それぞれの土地・地域・国などの「社会」においては、マジョリティー(多数派)-マイノリティー(少数派)という区分が生じています。
もちろん、区分というヒトの習性それ自体が云々というわけではなく、
また、すべてのケースが必ずしも不自然だとか不当だというわけではなく、
しかしながら、その区分によって、多くの場合、マイノリティー側が不利益を被ったり不当な差別を受ける側に回ってしまうケースがほとんどです。
※マイノリティー:少数者/少数派
世界各国・地域性や時代などにより、それぞれ異なっているということは当為として、 社会的なマイノリティー(マジョリティーの存在によって必然的的に位置づけられてしまう)とされてしまう『要素』にはどのようなグループがあるのでしょうか。
以下、マイノリティー要素を含んでいる(ように実感でき得る)ワードを挙げてみれば、
「障がい」「発達特性」「セクシュアリティ」
「MEN&WOMEN-男女問題-」
「子ども-大人&子供問題-※」
「異国のヒトびと」「ミックスルーツのひとびと」
「移民の方々」「難民の方々」
「当該社会における少ない民族のヒトびと」
「当該社会における少ない宗教信仰を有するヒトびと」
「心の病」「身体的病」
「世代」
etc、etc・・・・・・
個人的にも一つ一つに思うところはありますが、本記事にまとめるには冗長になってしまうので掲示することに留めておきたいと思います。
社会的マイノリティー問題を考えようとする時、同様に、世界的な社会問題として
「先進国―発展途上国問題」における搾取・不公平問題や
「当該国内経済格差問題」「支配層的少数者問題」
「ピラミッド構造社会」等も脳裡に浮かび上がります。
こちらに関しては、『ワンダフルワールド⑨社会とは何か?』において結びついてゆく問題であるのだと思えます。
さて、社会的なマイノリティー問題をフラットにしてゆくためのキーワードとしては、どのような方途が考えられるでしょうか。
パッと思いつくのは以下のような感じです。
・ 異文化・多文化理解の教育・啓発-の進展
人種や民族や宗教や国etcの異なりを知る
国際理解・交流を進める
教育によるものやエンタメによる提示など
・区別や差別はなぜあるのか?(無意識も含め)-を考える
差別をする人-しない人はどう違うのかを考える
ヒトはなぜ異質なものを受け入れがたいのか?-を考える
・共生社会へのアイディアを集積してゆく
ロボットやAIなど先端技術を積極的に取り入れてみる
トライ&エラーで前向きに取り組んでみる
上記の理解を踏まえ、
○心理的バリアを取り払うこと
○具体的ルール作り(法律的整備など)
○実効性のあるデザインの構築
etcが揃って用意されたなら、
あらゆる要素を包摂(インクルージョン)でき得るワンダフルな社会、がいつの日にか到来するでしょうか。
社会の様々な領域で、様々な取り組みは少しずつ展開されているのだと思います。
個々人の思い・取り組み方・関り方も多様であり、現在という、時代の大きな変わり目に、ドラスティックに変わっていくのか-変えていけるのか-、引き続き着目してアンテナを張っていきたいと思います。
おわりに ダイバーシティ社会へ
今回の記事内容の結論的なことを自身的にライトにまとめてみれば、
多様性とは最終的には『個々性』に還元される。
だから『80億人の個々性皆誰もが「ワタシ」という名の孤高のヒト』
なのだ、ーという前提を踏まえて、
ヒトも含め各々の存在多様性が、相互に尊重されながら、柔らかくインクルージョン(包摂)される「ワンダフルワールド」が到来してほしいな-という理想を願いたいささやきでした。
しかしながら、「現実」はそんなに甘くできてはいないことも理解できます。昨今の世界情勢を鑑みても、やがて、本当の意味での多民族国家になってゆく-のでしょう-ジパングゆえに、教育や啓発を含めたインクルージョン社会のデザインは待ったなしの状況なのだと実感できます。
「生きづらさ」は、どんな世界のどんなマジョリティー・マイノリティーに関わらず、最終的には個人的な尺度に収斂されるのだろうことを含め、どのような多様性社会が可能であるのか関心を絶やさず持ち続け、
「いろいろだよね」
「同じ場所で いろいろなヒトが一緒に暮らしていくんだよね」
「お互いに恐れ合ったり憎み合ったりしないで、できれば助け合って生きていくために、それぞれ何を学び、何を実践していけばいいのだろうね」
「ワタシたちにも、できることはどんなことだろうね」-と、引き続き自問していきたいと思います。
本記事の最後に個人的な領域の昔のお話ですが、一時期思うところあって、特別支援学校教員免許を得るために、支援学校に教育実習に赴いた経験がありました。
詳しくは書けませんが、当時の体験を踏まえて『65億人あらゆるヒト皆(ワタシ自身も含め)それぞれの希望・輝きを目指して生きてゆくべきなのだろう?』-という兼ねてよりの問いの種が具体的に芽吹き始めてきました。
とはいえ、やがて黄昏を迎えてゆくワタシ自身が、2022年未だに「本当の本当に自分がやるべきことは何なのだろう?」と迷いつつ暮らしていることは、『桃栗三年柿八年』どころの話ではありません。
それでも、好奇心のアンテナは倒さないように、日々の小さなワンダフルや勇気を与えてくれるコンテンツ・芸術などに心の栄養をもらいながら、自分ができ得る『表現』への模索を続けていきたいと思います。
多様性の時代がワンダフルな色に花開きますように。
本日は記事を訪れて頂きありがとうございました。
以下は連載2Pマンガの掲載です☟
連載Gマンガ『ボクはディオゲネス』
第500話 スケールの大きな話
『デイドリームビリーバー』構想進捗リポート
リアルワールド×メタバース‐VRストーリーコンテンツ
今回はアニマルパーティーのコンセプトイラストの1枚絵の中から、『闇のシャーマンチーム』バイソンパーティー絵の紹介です。
それぞれのパーティー・キャラクターたちの名称は、閃いた折、随時
名前を付けていきたいと思っています。
ゆっくりペースですが、引き続き徐々に着彩していければと思っています。
あとがき
小秋日和の10月上旬に、映画『さかなのこ』を観覧してきました。
さかなクンの自伝的ほぼフィクションということでした。
さかなクンは、幼少期より「さかな」に関心を持ちづづけることで、飛びぬけた知識と実践を重ねることで「おさかな博士」的地位を社会の中で確立された努力のヒトですが、同時に芸術的感性も披露されてきた方なのだと知り『純粋に一つのものごとに関心を持ち続けること』の美しさを体現した方だったのか-と感嘆の思いを抱きました。
「好き」がよい方向へ展開していった幸せなケースなのだと思います。多様性社会が謳われる昨今の世界において、そのような生き方を選ぶことは、とても素敵で重要な道標になるのだろうな-と感じました。
『一筋の道を歩くということ』の意味を改めて考えてみる契機を頂きました。
次回予告
次回のワンダフルワールド011では『世代論を超えて』と題しまして「世代」に関してライトに触れてみたいと思います。
テーマにご興味をお持ちの皆様におきましては、ぜひお時間のある時にでも覗いて頂ければと思います。よろしくお願いします。
著者紹介
電子書籍の宣伝
↓アマゾンキンドルにて電子書籍発売中です。
キンドルアンリミテッドでも読めますので、もしご興味頂ければぜひ一読していただければと思います。
note記事のおしらせ
2023年6月時点でnote記事に以下のラインナップをアップしております。何か引っかかるタイトルがございましたら、ぜひ訪れて頂ければと思います。
『マンガワールド-Gプレッソの。①~⑫』の記事におきましては、 概ね以下のような内容を綴っております。
①マンガへのリスペクト
②人類の絵の歴史
③世界とマンガの歴史
④マンガ構造論-マンガに必要な要素とは?-
⑤絵の好み論-マンガの絵柄について-
⑥絵描くということ-絵描く能力とは何か?-
⑦マンガ表現場・発表場
⑧マンガを作るということ-具体的マンガメイキング-
⑨マンガのジャンルとは?
⑩コミックコード・著作権・剽窃問題・パブリックドメインなど
⑪マンガの未来
⑫究極のマンガとは?
また、マンガ実作や絵の歴史やマンガの歴史に関してエクストラ版としてまとめた3つの記事もアップしております。
広くマンガファンの皆様におきましては、興味のあるテーマがございましたら、ぜひ訪れていただければと思います。