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読書について…現代情報爆発社会💥への箴言

書評 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

ドイツの哲学者ショウペン・ハウエルの著です。本著📙は色褪せない、現代の情報化社会への普遍的な箴言と捉える事が出来ると思います。表題の『読書について』の他、『思索』、『著作と文体』の二本が収められています。 

現代はショウペン・ハウエルの時代と異なり書籍📖のみでは無く、テレビや新聞、特にインターネットの発達により個人が追いかけ得る能力以上の情報が社会に溢れており情報爆発社会💥と言ってもおかしくありません。我々にはその様な情報過多の時代を生きていく為の羅針盤🧭が必要ではないでしょうか❓本著📚はその為の羅針盤🧭足り得る、その様な本です。時代を超えた普遍的な解答がここには収められています。先ずは冒頭の諸言です。

無知は富と結びついて品位を落とす。貧困と困窮は貧者を束縛し、仕事が知にかわって彼の考えを占める。『無知なる富者』はただ快楽に生き、家畜に近い生活をおくる。その例は、日々目撃することが出来る。富と暇の活用を怠り、富と暇に価値を与える生活に意を用いなかった点をさらに咎めるべきである。

冒頭の緒言は知に対して、学ぶ事に対しての戒めと言うべきものですね。生活に余裕が生まれれば知性を磨いていかなければいけない。快楽を貪るって生きるのは家畜🐖と同じであると厳しい言葉です。

読書は他人にものを考えて貰う事である。だから、読書の際にはものを考える苦労は殆どない。ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失って行く。多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡を留めないのである。従って、読まれたものは反芻され熟慮されるまでには至らない。だが熟慮を重ねる事によってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。絶えず読むだけで、読んだことを後で考えてみなければ、精神の中に根をおろすことも無く、多くは失われてしまう。

次も重要な緒言だと思います。読書にしてもインターネットで情報を読むにしても熟慮を重ねて反芻🐄する事で始めて自分のものとなると言う事です。ただ情報を眺めてそれに晒されてばかりだと、それは自分のものには成らないわけです。中国の論語👨‍🏫でもほぼ同じ事が言われていますね。

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。
孔子先生はおっしゃいました。「学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはありません。また、自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険です」と。

続いては悪書に対する戒めです。

文学も日常の生活と同じである。ただちに、どうしようもない人間のくずに行き当たる。彼らはいたるところに群をなして住んでいて、何にでも寄りたかり、すべてを汚す。だから、悪書の数には限りがなく、雑草の様に文学の世界に生い茂っている。雑草は麦の養分を奪い、麦を枯らす。すなわち悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである。金銭めあてに、あるいは官職ほしさに書かれるに過ぎない悪書が、横から略奪するのである。従って、悪書は無用なばかりか積極的に害毒を流す

これはまさに現代の状況を表していないでしょうか。テレビ、新聞、インターネット…巷にはホントに価値の無いと思われる本や情報が多すぎます。それに注意を向けるのは唯々、金と時間の浪費Ⓜ️です。人生は有限ですのでそんな悪書、無意味な情報に割く時間は余程勿体ないと思います。ではどうしたら、そんな悪書や無意味な情報に金や時間を取られないか❓ 著者は以下を述べます。

読書に際しての心掛けとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がそのつど貪り読むものに、我遅れじとばかり、手を出さない事である。出版された途端に増版を重ねる様な政治的パンフレット、宗教宣伝用のパンフレット、小説、詩などに手を出さない事である。愚者のために書く執筆者が、つねに多数の読者に迎えられるという事実を思い、つねに読書のために一定の短い時間をとって、その間は、卓越した精神の持ち主、あらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟慮すべきである。この様な作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する。悪書は読まなすぎるという事も無く、良書は読み過ぎるという事もない。悪書は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす。

今の啓発本だのや、テレビや新聞などのオールドメディア、インターネットで流れる動画等、時間を割く必要もないものが多すぎやしませんか❓ ただ人々の先導や集人目的の為のもの、視聴率を上げたり、再生数を上げる為だけのもので、中身は薄いが表層的に人々の関心を集め金儲けに繋げて行こうそんな思惑が見えてくるもの。そんなものに金と時間を割いても精神への害悪にしかならないと著者ははっきりと述べます。そのようなものに時間を割く必要もないわけです。つまり、人生は短く、時間と力には限りがあるからです。非常に合理的🈴ですね!

昔の偉大なる天才的作家を論じた書物が、次々と現れている。主題として選ばれる作家は時によって様々である。ところで一般読者は、この様な雑書を読むが、肝心の著作家その人が書いたものを読まない。それというのも新刊書だけを読もうとするからである。現代の浅薄人種がたたく皮相陳腐な無駄口が、偉大なる天才の生んだ思想よりも読者に近いからである。A・W・シュレーゲル『努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。』人々はあらゆる時代の生み出した最良の書物には目もくれず、もっとも新しいものだけをつねに読むので、著作家たちは流行思想という狭い垣の中に安住し、時代はいよいよ深く自らのつくり出す泥土に埋もれて行く。

これも意味深い緒言です。解説本なんて沢山ありますけれど、現代人が金儲けのために書いた浅薄なものを、何か裏の思惑があって書かれた浅薄なものを有難がって読むな、きちんと偉大な思想に直に触れよ📚と言っているわけです。確かに解説本などに走る人は多いように思いますが、それを作った著者の精神は皮相浅薄ものだとそう著者は言っているわけです。

文学には、真の文学と偽の文学との区別がある。真の文学は永遠に持続する文学となる。それは学問のため、あるいは詩のために生きる人々によって営まれ、静かに厳粛に歩む。偽の文学は、学問あるいは詩によって生きる人々に営まれて疾走する。その当事者たちは大声に叫びちらす。それは毎年数千の作品を市場に送り出す。しかし、二、三年たてば、人は問う。いったいあの作品はどこに行ったのかと。

学問のため、詩の為に生きる人々によって書かれた本物と、学問あるいは詩によって生きる人々によって書かれた偽物。そして本物の情報と偽物の情報。この本物と偽物とのこの区別は重要ですね。偽物、所謂、悪書に金と時間を割き人生の無駄遣いなどしたくはありません。この偽物が溢れているのがまさに現代の情報社会だと思います❗️

最後に、ショウペンハウエルの本の読み方をご紹介します。

反復は研究の母なり。重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それと言うのも、二度目になると、その事柄のつながりが良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象を受けるからである。作品は著者の精神のエキスである。作品は著者の身辺事情をはるかに凌ぎ、圧倒する。普通の人間の書いたものでも、結構読む価値があり、面白くてためになると言う場合もある。まさしくそれが彼のエキスであり、彼の全思索、全研究の結果実ったからである。

重要な書物は二度読む。これは良いポイントだと思います。私が書評を書いているものは主に以前、読んだ本でこれは!と思ったものに着いて書評を書いています。書評を書く事で繰り返して読まれ、反芻され自分のものになるを地で言ってるかと思います。また作品は著者の精神のエキスであるという事もまさにその通りであって作品を味わうと言う事は、作者の精神の要髄を味わっている訳ですね。

いかがでしたでしょうか❓ 本書は現代の情報爆発社会💥でいかに無駄無く良質な情報に触れて学んでいくかと言う点で、我々の羅針盤になる箴言だと思いました。実践する価値はあると思います😊ビジネスにも活かせる立派なビジネス書だとも思いました。

(了)





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