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私の留学体験記①

2019年の8月から私は、アメリカカリフォルニア州のモントレーという小さな町に位置するCSUMBという州立大学に交換留学生として通い始めた。


寮に着いてすぐに男6人での共同生活が始まった。二人部屋が二つ、一人部屋が一つで共用バスルーム二つと共用リビング一つといった具合である。


私は二人部屋だったため、韓国人のルームメイトがいた。女性禁制の軍隊学校にいた彼は、女性を連れ込んでいたのを教官に見られ、強制退学となり、アメリカ留学を決意したらしい。彼はすでに留学2年目であったため、大学のことをいろいろ教えてくれた。


彼とは、政治の話から下ネタまで、総合商社が取り扱う幅よりも広いくらいの会話をした。たまに食い違うこともあったが、今でもいい友達だ。


車好きのハウスメイトはよく、サンフランシスコなどの観光地に連れて行ってくれ、パイロットを目指しているハウスメイトにもいい刺激をもらえた。


寮生活もとても楽しかったが、唯一困ったのは掃除問題である。やはり掃除文化がないので、リビングやバスルームがすぐに汚れてしまっていた。たまたま日本人のハウスメイトが一人いたので、最初のうちはその子と二人でやってたのだが、だんだん嫌気がさしてきて、他の全員にもやらせるようにした。


郷に入っては郷に従え 

というが、これだけはどうしても従えなかった。


また、留学はパーティー三昧で飲んでばっかというイメージがあるかもしれないが、私の留学先は比較的そういうのが少なかったように思える。私立大学のほうがどうやら多いらしい。(それか、私が省かれてただけかも?)


でも、みんなマリファナをやるのは本当だった。アメリカではタバコよりマリファナが良しとされる風潮がやはりあり、タバコを吸う人が多い地域はそれに比例して治安も悪い。


そんな留学中は驚きの連続であった。まずは教育の面に関してだが、とにかくみんな意識が高かった、留学前もよく聞いていたが、想像以上に能動的で授業中もほぼ全員が意見を言うくらい積極的であった。授業が20分延長も当たり前である。


生徒は全員が全員若い人ではなく、退職してまた新しいことを勉強したくなってきた70歳の学生や、会社員になってから、映画監督にいきなりなりたくなって、映像メジャーに入学した30歳の学生など幅広い年齢層の人がいた。


私が就活生でもあるため、彼らアメリカ人と将来の目標や、仕事に関しての話もしたが、誰一人日本の就活生のように焦っている人はいなかった。ある人は、一通り女遊びしてから仕事を得るよといい、ある人は世界一周してから仕事は考えるという具合である。


いま、私が就活で焦ってないのも、彼らが主な原因だろう。(笑)


次に驚いたのが、学食のまずさである。とにかく死ぬほどまずく、毎日ピザ・ハンバーガーに身体が拒否反応を起こし、断食をする日もあった。


ほとんどの人は太ると思われる留学だが、私の場合は太るどころか痩せた(笑)


奇跡的にアジアンマーケットが大学付近にあったこともあり、定期的にそこで納豆や白米、辛ラーメンなどを調達してました。それらのなんて美味しいことか、、。日本食から離されてはじめて気づかされました。



交通機関に関しては、電車の交通網があまり発達してないため(日本おそるべし)車とバスが生活の中心でした。バスは大学付近は学生証があれば無料であったが、へーきで15分とか遅れてくるため、帰国してから2分遅れとかで謝る日本の駅員さんがとても不自然に感じた。


その他、毎日ポテチしか食べないアメリカ人やありえないくらいの肥満体型、洗濯機にしょんべんするクセのあるパキスタン人にも驚かされた。


あとはくそ高い物価と意味の分からないチップにも悩まされた。


サンドイッチでへーきで1000円とか取りやがる、日本のコンビニ様様ですな。しかもチップてなんやねん、最初からそれ含んだ値段設定にしてくれ、損した気分になるわ!!


ほんとにアメリカでの生活はお金がすぐ飛んでしまう。



9月中旬になり、そろそろお金稼がないとやばい、、と気づいた私であったが、、、、




その2に続く




みなもと










これでまた珈琲豆が買えます。ありがとうございます。