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【烙印】 ショートショート#3

 十時を過ぎた頃、学校の前に着いた。担任の岩田が二階の職員室の窓から外を眺めているのが見える。岩田は俺に気付いたらしく、怪訝けげんな表情を浮かべた。そしてすぐに職員室から走り出ていった。俺はそそくさと校舎へと向かう。
 下駄箱で靴を脱いでいると校内放送が流れた。
「校長先生、荷物が届きました。至急、昇降口までお越しください」
 岩田の声だったが、初めて聞く放送を不思議に思っていると、見知らぬ男が立ち塞がり俺に向かって叫んだ。
「おいお前、とまれ」
 驚いて固まっていると誰かに背後から勢いよく押し倒された。必死に抵抗していると、俺の耳をつんざくような岩田の大きな声がした。
「ここは俺が押さえておくので、野崎先生は警察に連絡してください」
 野崎と呼ばれた男は急いだ様子でどこかへ走っていく。
「岩田先生、俺ですよ。中谷です」
「そうだ、お前は中谷祐介だ。なんでここにいる」
 フルネームで呼ばれることに違和感を覚えながらもこう答えた。
「なんでって、ここの生徒だから」
「違う、お前は二年前に卒業しただろ」
 岩田の押さえる力があまりにも強く、息苦しさを感じていると誰かが駆け寄ってきた。
「もしかして中谷くんか」
 校長の青柳だった。青柳は岩田をなだめると俺を起こしてくれた。青柳の提案で生徒たちの不安を煽らないようにと、校長室へ移動することになった。



 ブラウンの木目調のテーブルを挟んで、俺は青柳と岩田の向かいに座る。
「中谷くん、事故にったことを覚えているかい」
 優しい口調で青柳は問う。
「なんのことですか」
 俺がそう答えると岩田は声を荒げた。
「お前にとって都合の悪いことは全部忘れたとでも言うつもりか。秋山が退学したのも、宮本が自殺未遂になったのもお前が原因だろ」
「岩田先生落ち着いて。話が進まない」
 青柳は岩田を一瞥いちべつしたあと、俺の方に目を向けた。
「君は卒業式の日、教室から出たあとに階段から足を滑らせて落ちたんだ。強く頭を打ったみたいで、長く入院していると聞いたよ」
「入院……」
 母のしわくちゃな泣き顔。ガラガラと車輪が回る音。白い天井と壁が下から上へと流れていく景色が暈けながらも呼び起こされる。
「最近になって君は退院したようだけど、事故の後遺症で記憶障害になってしまったみたいでね。しばらくは自宅療養していると聞いていたよ」
「それよりなんでここに来た」
 岩田が強い口調で聞いてきた。
「起きて、学校に行かなきゃって」
「だからお前は」
「そうか。きっと、急に在学中の頃の記憶がよみがえったんだろうね」
 青柳は岩田を静止するように言った。
 程なくして野崎の通報で警官が来た。校長が事情を説明してくれたおかげで逮捕されることはなかった。警官は自宅まで送ってくれることを承諾してくれて、俺は帰ることになった。
 警官の背を見ながら、岩田の言っていた秋山と宮本のことを思い出していた。二人ともどこか気に食わないというだけでいじめた。確かそうだった、気がする。
 岩田は二人を庇っていつも俺に突っかかってきて、それが俺を苛立たせた。だから意地になって余計にいじめた。確か、そうだった。
 在学中の悪行が断片的に呼び覚まされて、ひどく困惑した。
「中谷、お前は罰を受けるべきだ」
 パトカーに乗る直前、岩田のきつい声が背に刺さる。それを聞いた途端、あることを思い出した。
 青柳が言っていた通り、卒業式のあと俺は教室の隣にある階段から落ちた。そしてあの時も確かに聞こえたのだ。

「お前は罰を受けるべきだ」

 背中を押されて階段を転がり落ちていくなか見た最後の景色は、岩田の冷たい目だった。
 はっとして振り返ると青柳の半歩後ろで岩田が俺を見ている。その目はあの時と同じ冷たい目。俺はすぐさま目線を外し、駆け足でパトカーに乗り込んだ。
「次はかばいきれないかもしれませんからね」
 扉が閉まる前に聞こえた青柳の最後の言葉は、俺に対する忠告なのだろう。走り出したパトカーの中で、もう二度とこの場には来てはいけないのだと強く感じた。

「わかってますよ。ただ、あのとき俺を庇った校長にも犯罪者の烙印は押されてますからね」
 岩田は吐き捨てるように言って、校舎へと入っていった。(了)

・・・

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