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写真が今を生きるための力になる

日記101日目。

お久しぶりです。
映画「浅田家!」を鑑賞して、文章が書きたくなり、久しぶりにnoteを開きました。
単刀直入に、良かった。
私の大好きな日本映画「湯を沸かすほどの熱い愛」に似ていると思いながら見ていたら、同じ監督で脚本だったのですね。納得です。
ラストの落とし方も似ていて、ハッピーで良かった。

作品のあらすじはこちら。

家族を被写体にした卒業制作が高評価を得た浅田政志(二宮和也)は、専門学校卒業後、さまざまな状況を設定して両親、兄と共にコスプレした姿を収めた家族写真を撮影した写真集「浅田家」を出版し、脚光を浴びる。やがてプロの写真家として歩み始めるが、写真を撮ることの意味を模索するうちに撮れなくなってしまう。そんなとき、東日本大震災が発生する。

https://movies.yahoo.co.jp/movie/370524/
Yahoo!映画「浅田家!」の映画情報


映画を見ながらずっと考えていました。
私にとって、「写真」とは何だろうと。
そういえば、最近自分で撮る写真は景色や食事がほとんどで、『記録』のようなものばかりだなと思いました。
この作品に出てくるような思い出を留めたり、誰かを思いやるようなものとは違うような気がします。
たしかに私の『記録』の写真の中にも思い出は閉じ込められていて、見ればそのときのことを思い出しますが、何かが違う。
ここ最近のスマホのカメラロールを見ながらしばらく考えてみました。
私が最近撮ったのは、誕生日にもらったプレゼントたちと、こないだ外食したときのオムライス、上手く作れた酢豚、スタバのフラペチーノ、仙台でのハイキューツアー。
どれも自己満足というか、自分の心を満たすようなものという印象でした。
久しく誰かと写真を撮っていない。
自分と誰かの関係性を示すような、外との繋がりを感じられるような写真がありませんでした。
どれも内向きというか独りよがりのような印象でした。
この映画を見たからこそ感じた印象かもしれません。


そういえば小さい頃、よくいとこたちと写真を撮っていて、今でもその写真たちは祖父母の家に飾られています。
もうその写真の瞬間のことなんて覚えていないのに、不思議と楽しかった気持ちだけがよみがえってきて、ほっこりする自分がいます。
もう20年以上前のことなのに、何度も同じ話をしているはずなのに、未だにその頃のことを写真を見ながら話して盛り上がったりします。
時間はどんどん流れていくのに、写真を見るといつでもその瞬間に戻れて元気になれる。
この作品に出てくる写真たちは、そんな写真ばかりでした。
最近は、スマホさえあればいつでもどこでも当たり前に写真が撮れて、ひとつひとつの写真への特別感みたいなものを感じなくなってしまっているなと少し寂しく思いました。


映画のラストで主人公が語る台詞が素敵だったので、引用させて頂きます。

「人が失ったものを補えるのはきっと記憶だけで、その記憶を確かなものにしてくれるのが写真。思い出を残すだけでなく、時にはその写真が今を生きるための力にもなるんだと」

何年後かに見たときに、自分が元気になれるような思い出を詰め込んだ写真をもっと撮りたいなと思いました。
そして、それが誰かと共有できるような写真であればもっと素敵だなと思いました。

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