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知人にされた質問です。「日本では、どこにいっても、街の風景が似ていて、“ミニ東京感”や“ミニ都会感”を、感じることが多いのはなぜ」なんでしょう? 経済学者が地域経済発展の格差の観点から考えてみました。

近現代における日本の地域経済発展に関して、たいへん示唆に富む質問であったので、即答できなかったこともあって、ここに書いてみようと思います。

私が自分の専門分野の知見から、日本の地域経済発展の格差についてお話しすることを通じて、この質問に答えられるのではないかと考えます。以下では、近現代日本の長期的な地域間格差の動きを、実際のデータをお示ししながら、この質問への回答を試みます

実際、なぜどこでも「似た風景」や、東京などをモデルとした「ミニ都会感」を私たちは感じるのでしょうか?

回答の要旨

最初に結論から述べます。

われわれが外国に行って「同じ国のなかでも地域によってずいぶんちがった雰囲気があるのだな」と感じるのは、その国の地域経済発展にかなりの差があるためです

私は、少しの間、マレーシアにいたことがありますが、高層ビルの林立するクアラルンプールと、熱帯雨林の多く残る地方との間には、「これが同じ国か」と思うほどの雰囲気の違いを実感しました。

マレーシアの地域経済の発展格差は、地域により少なくとも数倍はありますから*、こうした都市部と地方に大きな発展格差があるがゆえに、「同じ国の中でも似たような風景を”感じない”場所がいたるところにある」ことになります。

しかしながら、現在の日本の地域経済の発展格差は最大で2.5倍です。質問にあるように、どこでも「似た雰囲気」や「ミニ都会感」を感じるのは、都会と地方の発展格差が世界的に見て小さく、どの地域でも「ミニ都会」を創り出すことが可能なためです。

したがって、日本の地域経済発展のパフォーマンスがよかったがゆえに、現在では地域間の発展格差がうんと小さく(戦前の数分の1です)、その良好なパフォーマンスゆえに、どこにでも同じような風景をわれわれは見ることになるというのが、ご質問へのお答えになります。

「たいへん地域経済の発展が良好であるがゆえに地域格差が小さく、それぞれの地域の雰囲気に退屈を感じる」というのは、世界的に見てたいへん贅沢なことなのですが……。

なお、現代日本に同質性を感じる一因は、こうした戦後の地域経済発展の高パフォーマンスにもありそうですが、今はそこまで大風呂敷を拡げないことにいたします。

とにもかくにも、なぜこうしたお答えになるかを、以下でご説明いたします。

地域経済発展の格差の推移

地域経済の発展格差の推移を検討するには、長期的な県民所得や県民総生産のデータが必要です。

しかしながら、従来の研究では、戦前期の国民所得の推計は行われていても、長い間、県民所得の推計は、資料的制約が大きく、実現できていませんでした。国民所得推計のように、いろいろな数値を積み上げていって県民所得を求めようとする試みは、資料不足から、ことごとく水泡に帰していたのです。

しかしながら、「下から積み上げていってダメなんだったら、頂上から国民所得を切り分けて県民所得を切り出していけばいいじゃない」という、「ユニークなアプローチ」を採用した人物がいました。

いえ、マリー・アントワネットではありません。それでは革命が起きてしまいます。それは実は私なんです**(自慢に聞こえたらすいません。でも事実なので)。

では、このおよそ100年間で、一人あたり県民所得から見た場合、日本国内における地域経済の発展格差がどのように推移したかを、まずは一覧表にして数値でお示ししましょう。表をご覧下さい***。

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(1)この一覧表の1行目の数値の推移を中心にご覧下さい。最初にお気づきになる点は、戦前は最富裕県と最貧県との間の地域発展格差は10倍前後ほどもあるのに、戦後はそれが2倍程度にまで大きく縮小している点であると思います。

(2)この数値の動きが示唆する第一の点は、戦前では地域経済発展に大きな格差があったことです。すなわち、都市県の人びとはどんどん豊かになっていき、その一方で地域経済発展が遅れた諸県では、そこで暮らす人びとはなかなか豊かにはなれませんでした。その結果、両者の間では、一人あたりの豊かさについて地域間での格差が大きく、さらに拡大傾向すらあったのです。

(3)しかしながら、第二に示唆されるのは、戦後になると一挙に地域経済発展の格差が縮小し、この国で暮らす各地の人びとの間の豊かさに、戦前ほど大きな格差がなくなったという点です。

(4)要するに、地域経済発展については、戦前では大きな格差がさらに拡大、戦後復興期に大きくに格差が縮小したあと、戦後はそれがほぼ一定に保たれた、ということになります。

100年間の変化

数値だけでは、イメージがつかみにくいかとも思いますので、1905年と2016年の一人あたり県民所得を横軸にとり、縦軸にその府県で暮らす人びとの数(都市化の代理指標)を取ったグラフを目に掛けます。

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青のドットが1905年のもの、オレンジのドットが2016年のものです。特徴的な府県名にはグラフ内に付記しました。

まず、100年前の日本、すなわち1905年の地域経済発展の状況を見ましょう。判明する事実は、おおむね以下のとおりでしょう。

(1)基本的な傾向として、都市化が進んだ地域ほど、一人あたり県民所得が大きいという傾向が見てとれます。

(2)1905年の最富裕県である東京府****の一人あたり県民所得は323円(1935~38年価格)であり、一方、最貧県である沖縄県のそれは37円でしたので、両地域の一人あたり豊かさの間にはには8.7倍の格差がありました
一人あたり県民所得が大きいのは、都市化の進んだ、三府(東京・大阪・京都)、神奈川、北海道、兵庫県、愛知県、福岡県であるのに対して、一人あたり県民所得は小さいのは、都市化があまり進んでいない諸県である沖縄県、鳥取県、宮崎県、岩手県であることが見てとれます。

(3)さらに、青のグラフが横に長く伸びていることからご推察いただけると思いますが、上記の上位県と下位県との間には、大きな一人あたり県民所得の格差が存在したこともお分かりいただけると思います。

つぎに、2016年の地域経済発展の状況を見ましょう。現代日本の地域経済発展について判明する事実は、おおむね以下のとおりです。

(1)基本的な傾向として、大都市を擁する府県ほど一人あたり県民所得が大きいという傾向は100年前と同じです。東京都、大阪府、愛知県、神奈川県などがこれに該当します。一方、沖縄県を代表とする、大きな都市を持たない諸県では一人あたり県民所得が小さいのも100年前と同様です

(2)しかし、100年前と大きく違うのは、オレンジのドットがかなり密集して分布している点です。これは、大都市圏を除く各県では、地域経済発展がかなりの程度似通ったレベルにあることを意味します。つまり、地域間での発展の格差が小さいのです。

(3)そして、最も豊かな東京(535万円)と最も一人あたり所得の小さい沖縄(227万円)の間の格差は約2.5倍です。戦前とは隔世の感がありますね。私自身、沖縄が好きで何度も訪縄していますけれど、印象だけ論じれば「沖縄はのどかでいいな」とは感じても「沖縄は厳しい状態だな」とは感じません(統計数字を見ると、若干ちがった印象を私は持ちはしますが)。

(4)こうした地域経済発展の格差が大きく縮小した原因は――別稿を用意しておりますが、要点だけ述べれば――著しい経済成長が長期にわたって維持されたことに求められます。具体的には、
 (a)戦後復興期の経済民主化が全国的にも地域内でも富の再分配を強く推し進めたこと
 (b)これによって所得格差が大きく縮小して、高度成長期には、国内に大きな大衆消費社会が登場して内需が大きく拡大したことたことに加え
 (c)安価なエネルギー価格に支えられた重化学工業の発展が主導する全産業分野の成長があったこと
などを指摘できます。

要約

以上でお示したように、戦後日本では地域経済発展の格差が大きく縮小しました。この数値の動きから、われわれが、なぜ全国で東京などをイメージしながら「ミニ都会感」を感じるのかというご疑義への回答をお示ししました。

つまるところ、その感慨は、戦後の地域経済発展が順調にいっており、国内の発展格差がなくなっていったこの国の高パフォーマンスの副作用とも言うべきものを、ある意味、斜めから見ているためにおこるわけですね。

戦後の経済成長が順調には進まず、国内格差が戦前のように10倍前後もあったら、「日本全国どこに行っても異国のようだ」とわれわれは感じていたでしょう*****。

その場合、「ミニ都会感」は感じない代わりに、いい言葉で言えば「地方の情緒」を感じたでしょうが、同時により強く感じるのは「地方経済の悲惨さ」という多くの途上国が抱えている悩みであったはずです。

私は、個人的には、あちこちにミニ都会が多数存在することが、日本の安定度の一因であると考えています。

いつもながらの長文におつきあいくださいまして、ありがとうございました。

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* Jules-Sébastien-César Dumont D'Urville, Isabel Ollivier, Antoine de Biran and Geoffrey Clark, "On the Islands of the Great Ocean," The Journal of Pacific History, Vol. 38, No. 2, pp. 163-174, 2003.

** 松本貴典「近代日本の地域経済発展――地域産業連関表によるアプローチ――」(松本貴典編著『生産と流通の近代像』第1章、日本評論社、2004年)。初出の研究だったので、この推計はずいぶん批判されていますが、少なくとも、1905年の推計は動かないでしょう。こうしたご質問に対しては回答ができるほどには、十分頑強な推計値であると考えます。この推計が持つ限界は、当該論文をご参照下さい。

*** 採録した年の意味は、以下のとおりです。
・戦前は15年おきです。
・戦後は1955年は戦後復興によって受けた変化を見ることができる年、
・1975年は高度成長の成果を観察できる年、
・1992年はバブル経済の影響を活写しいてるであろう年、
・2009年は平成で最も深刻な状況にあったこの国の姿が写し取られていることを考慮しており、
・2016年は近年のデータとして採用しました。

**** 東京府が東京都になったのは戦時中のことで、指揮命令系統を明確化するための措置でした。それまでは東京府は大阪府および京都府とともに三府の一つでした。

***** 事実、1906年に発表された、夏目漱石『坊つちやん』において、100年前の東京と愛媛県の松山とを比べて、坊つちやんはこんな感慨を持っています。
「大森くらいの漁村」から松山に上陸した坊つちやんは、第一印象を「人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思」いながらも、松山の街を散歩しました。
そして、「無暗に足の向く方をあるき散らした」結果、愛媛県の県庁所在地である松山を表して――愛媛県民ならびに松山市民の方々すいません――「ミニ東京」というよりは「ミニ東京にすらなっていない」ともとれる悪態をついています。
ちなみに、一人あたり県民所得から見た、東京と愛媛の当時の地域経済発展の格差は約4倍です。


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