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知識ゼロから Zoom演劇を 生配信で上演した話⑤ 演出編


オンライン演劇 リーディング『音の世界』の裏側。
『音の世界』の公演情報はコチラ

読んでくださってありがとうございます。Celebration of Possibilities西村壮悟です。

前回は、『音の世界』の制作面について、書きました。

今回は、演出をする際に実際にどういうことを考えたのか、について書きます。


シンプルに、書かれていることに忠実に

あえてZoom演劇で近代演劇の作家、岸田國士の戯曲を選んだのだから、その世界観を大事に作りたい。
これが前提でした。

登場人物の行動や意図が絡み合って、物語が進んでいく、という会話劇のごくごくベーシックな点を抑えた作品にすることを第一にしました。
新しいアイデアや派手さがなくても、中身が詰まっていれば、会話劇は上質なエンターテインメントになるからです。

『音の世界』という戯曲については、前に書いた記事を読んでもらえれば伝わるので簡単にしか書きませんが、
登場人物は、相手を愛しているのに素直にその思いを伝えるのではなく、嘘をつき、挑発したり、拒絶してみたり、傷つけたり、騙したり、泳がせてみたりします。
その営みが、愚かしく、哀しく、滑稽で、真情あふるる軽薄さに満ちているのがこの作品の魅力。
そしてそのやり取りが、作品が書かれた約90年前は真新しいコミュニケーションツールだった電話を使ってなされるのが特徴的な戯曲です。


Zoomの絵

Zoomの特徴をよく表したのがこれですよね。

小津映画のような構図。
僕は昔、俳優座五期生の女優さんに「本当にあの頃、みんなああいう風に相手をじっと見続けて喋ってたんですか?」と質問したことがあります。
喋っている人ひとりを映すスピーカビューだとまさに小津映画のようになります。なのでギャラリービュー設定にしました。

固定されたアングルなので、そのなかで動くとすぐにフレームアウトします。同時に3人が動くと(僕の感覚では)ごちゃごちゃしてる感があり、それが6人にもなると気持ち悪くなります。
その点『音の世界』は人数が少ないのでやりやすいのですが、それでもシーンの芯以外の動きを抑えることは(稽古途中から)しました。
舞台と同じですね。
全員そこで生きているのだから動きもするし、誰を見るかは観客の自由だけど、演出としては整理をするのです。


シンプルな要素で

高級ホテルとビジネスホテル。裕福な夫婦と貧しい男。
その対比が出るように、衣装と照明で工夫をしました。
家にある明かりの種類と明るさや角度といった、ある物で出来る範囲内で、
その部屋の広さや雰囲気、そこにいる者の気分が感じられると思います。
カメラの角度、身体の向きやリズムでその人物の特徴や対比も作りました。

前回の記事で紹介した動画でワジディ・ムアワッドさんも言っていたのですが、オンライン演劇はシンプルで手作り感がある作りにしたほうが良いと思います。
どうがんばったって機材の面で映画のクオリテイでは作れないし、多くの人がNetflixで気軽に自宅で映画や海外ドラマを見ることに慣れているのだから、そこで勝負してもしょうがないです。
(そして今テレビ局が「リモートドラマ」と言って、オンライン会議システムを使っているように見せたドラマを作り始めています。セットに入ってカメラもマイクもライティングもちゃんとしてやっているから「これには勝てない」と思ってしまいそうになります)


出会い直す

前に書いたように、僕は10年以上前にこの作品をやったことがあります。
同じ役をやったので、自分の役に関しては土台がありました。
ですが、他の役については知っているようで全然知らなかったことに稽古を始めてから気づきました。
俳優は役に責任があり、演出は作品全体に責任があるので、まずは自分の役だけ考えればいいのとは違います。
個人的に思い出深かった作品だったのですが、あのとき共演した仲間たちはどんなことを考えていたのだろうと考えました。(そのとき女役と男甲役をやった二人は、僕は俳優として尊敬していたのですが、今は俳優をやめて、別の分野でがんばっています)

でも「知らない」ということに気づくことが出発点なので、そこから探求が始まるのです。


俳優へのノート

本来であれば、台本の読解に時間をかけて、たくさん話し合って、作品の世界や役について掘り下げていくプロセスが稽古のなかであるはずです。

理想的には、読み稽古と同時に、マイズナーテクニックのリピテションや、身体を使った「頭を使わず直感で関わる」エクササイズをしたいところです。
立ち稽古に入ってからも、役や関係性、時代などの設定を頭のなかの知識から身体に落とし込むための即興的なワークをやって、芝居をより密度のあるものにしていければ良いです。
これを書いていて今「やりたかったー!」と思わず言ってしまいました。そう、これらはつまり全部出来なかったことです。

リモートで直接会うことが一度もできず、稽古時間も限られていました。
ノートは、役の内面のことより「どう見えたいか」「どう動き、話すか」という外面的なことが多かったと思います。
演出として欲しい絵を示して、そこにたどり着くための内面的なものは俳優自身にお任せするというリザルト演出です。
正直、俳優としては好きじゃないやり方なのですが、時間が限られているので仕方ありませんでした。その分、俳優は自分でやらなければいけないことが多く大変だったかもしれません。

もうひとつ、外面的なノートを多くしたのは、結局のところこれは映像作品なので、オンラインでの会話劇はカメラにどう映るか、どう見えるか、が重要だと考えたからです。
舞台上での演技であれば、観客も同じ空間にいます。より俳優に共感しやすく(反面、嘘も分かる)、俳優の身体から発せられる全てのものが観客に影響を与えるはずです。
ですが、オンライン演劇ではカメラの枠に入っているものしか見えないので、(そのなかで役として行動をするのはもちろん)ノイズを削り、的確な表現をするのが良いです。

でも結局、俳優自身が「なぜそうするのか」に納得できていないと、同じことをやっているつもりでも違うのです。これは興味深い発見でした。
同じ箇所を何度かノートで言っていても、変わらなかったり、変わったけれど「そっちゃじゃない」が続くときは解釈が違うのでしょう。

ちなみに僕がやって見せることはしませんでした。
演出家がセリフをこんな風に言えとやってみせることが稽古場ではあります。その方が早いからでしょう。
今回、自分がやるのを動画に撮ってみたことはありましたが、それを見せることはしませんでした。そういうオーダーの出し方に疑問を感じますし、
それを送っても、リモート稽古ではフォローアップが難しいので、たぶん形だけの真似に終わってしまいかねないのと双方にフラストレーションが残ると考えたからです。
それよりは、ちょっと違うと僕が思っても本人のなかで繋がっているもののほうを選んだところもあります。


リーディングの距離

今回はリーディングなので、ほぼ台本を読んで演じていました。
テンポの早いやりとりなんかはいちいちテキストに視線を戻すヒマがないのですが、基本的にどこかに置いている台本を見ていました。
僕がどんな風にしてたかと言うとこんな様子(稽古段階です)。

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一方、演出として、目の前にいる相手と話すときはカメラ目線を主にして、電話しているときは正面以外を向くことにしていました。
なので、リーディングと言っても、割と普通のお芝居に近い作品となりました。
(そもそもリーディング自体が演じ方の幅が広いジャンルです。
僕が見た範囲では、日本だけでなく、アメリカやイギリスでもよく動くリーデイングが多かったです)
電話でのコミュニケーションと、対面したときのそれとの差。空間や関係性の違いが、この作品の面白いところなので、目線を使ってセリフを言うことは欠かせませんでした。

リーディングなので、ト書きも読みました。
リーディング公演のト書きは、物語のペースを作っていく重要な役割です。俳優のセリフを聴いて、呼吸を合わせて、しかし役ではなく地の文なので決して没入せず、絶妙の距離感と間で物語を動かしていきます。
同時に観客をも動かしているのかもしれません。ちょうど役者が相手役を動かそうとするのと同じように。

もうひとつ意識したことは、母音を意識することです。
ともすると現代人のテンポで発語してしまいがちですが、岸田戯曲の言葉の質感を大事にするなら母音を抜け落とさないようにするべきです。

どう聞こえるかということはオンラインでもとても大事だと思います。
Zoomでは、音声を同時には拾えないので、セリフをかぶせると、もう一人のセリフが本当に聞こえなくなってしまいます。
かと言って、相手が言い終わってから息を吸って喋っていると余計な間ができてしまいます。通信的なタイムラグもあるので、そのタイミングのズレが喋っている当人より、聞いている人には大きく感じられます。
聞こえないのが一番大きなストレスになりかねないので、セリフをかぶせることは避けながらも、余計な間が生まれないように、一番良いタイミングを(俳優自身の生理的な感覚と少し違っても)探しました。


オンライン演劇 リーディング『音の世界』は、6月末までアーカイブ公開中です。本編27分の短い作品なので、ぜひ見てください!

もしも気に入ったら、ぜひ公演情報ページもご覧ください。
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