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世界フルリモートで働く、ポジウィルトレーナーです!



はじめまして。会社員として世界フルリモートを実現している横澤海(よこさわうみ)と申します。2023年の夏、金融業界内でマレーシアからヨーロッパの会社へ転職しました。仕事内容はほとんど同じでいいけれども、「ただ自分は家で心地よくまったり働きたい!」という思いと犬を家族に迎えるため帰国し、海のそばで過ごしています。そして、ポジウィルのキャリアコーチングのトレーナーとして「このモヤモヤをなんとかしたい」思いを持つ方に本気で向きあいたい思いから、キャリア支援をしています。

人生を通してありたい姿は、人間ビタミン剤として、手に届く範囲の人の心の栄養度を上げることです。

この記事では以下、就活経験なし、海外留学、フリーター、国内で就職、海外転職をしてきた私の人生を振り返っています。キャリアストーリーや海外という言葉から大それた響きに聞こえますが、今に至るまでの選択をありのままにお伝えします。(海外=すごい!は思考の癖かもしれません…!)

就活をしなかったこと

周りが夏のインターンに向けて真っ当に就活の準備を意識し始めるころ、私はフードトラックでサンドイッチを売りたいという夢があり、友人と2人でクラウドファンディングの計画をしていました。大学3年生から動き始めていたこともあり、両親にその思いを伝えて本気で活動していました。アルバイト三昧をして貯金、趣味の海外旅行も楽しみつつ、無意識的に就活という言葉は頭に入ってきませんでした。
しかし卒業間近の12月、「自分たちのスペシャリストとしてのスキルが揃ったら、コラボレーションしようね」という明るいポジティブな理由でしたが、友人とその夢を断念する運びとなりました。

その直後、私はバーンアウトを経験しました。あまりにも情熱を注ぎ込んだ反面、社会と分断するという形でSNSやLINEから一切離れて以来、心配のメッセージを読むことができませんでした。自分の部屋に立て篭もり常にびくびくした状態で、物音にも光にも、実家暮らしで聞こえてくる両親の声にも過敏に反応していました。怖くて怖くて仕方がありませんでした。今振り返ると一人で孤独に時間を過ごす選択をし、見えない何かからバリアを張ることで自己防衛をしていました。

立て篭もりから復活したあたりについてあまり記憶がなく、いつの間にか「何かしなきゃいけないなら、海外生活しかない」と、すがるように情報をかき集めました。父から言われ、情報をまとめ、理由とメリットなどを書いてA4サイズの紙1枚でプレゼンをしました。とにかく必死で、何かしなくては自分は終わってしまう、と期限がないはずの人生に焦っていました。この生きづらい(と自分が閉じた世界を勝手にそう感じていた)日本を離れるしかない、とその道だけにすがった気持ちでした。

海外生活をしてみた

フィリピン・オーストラリアへ渡り、10ヶ月語学学校へ通いました。知り合った友人たちと4年以上たった今でも、連絡をとり続けています。英語を学びにきたという共通項の元、地球の反対側からやってきて出逢い、お互いに必死に生活をする同志・仲間という感覚でした。自由でそれぞれが今その瞬間を心から楽しんでいました。今でも日本でできた友達とは違うように見えます。輝き続ける自由なその姿は、心の水しぶきとしてきらきらして見えています。自分の思考の癖ですね。でも生きている感じがするんです。

当時自分の生きがいとなったのは、語学学校でのバリスタとしてのボランティアワークでした。学校内で放課後、コーヒーを作って出すアクティビティを英語講師と一緒に立ち上げました。バリスタとしての魅力は、2つあります。

・コーヒーマシンを扱う楽しさ
・お客様と1:1で、かつ浅いからこそ一瞬でポジティブな空気になるコミュニケーション

これを最高に楽しいと感じつつ、当時、永住権の獲得も調べたりしていました。惜しくもコロナによるロックダウンで帰国しました。

オーストラリア生活の前に、手書きで父と約束した誓約書がありました。その3箇条のうちの1つが「帰国したら就職をして社会人になること」でした。しかし、コーヒーのスペシャリストになりたいとの思いから、フリーターとして2社の面接へ赴きました。これを父は忘れていたのかグッと飲み込んだのか、いまだに分かりません。ありがたいことに、第一希望先は最終面接までスムーズに進みました。しかし、コロナ本格化により取り消しとなります。ショックよりも仕方ないという気持ちの反面、あそこで働いていたらどうだったかな、と今でも思うことがあります。

その後、ふらっと遊びで入ったあるお店で、バリスタの姿とその建物の壮観に圧倒され、アルバイト入社しました。面接で「コーヒーのスペシャリストになりたいんです」と一生懸命伝えた瞬間と思いは、鮮明に思い出すことができます。純粋な気持ちでした。

そこから1年弱、全国の店舗からの選抜メンバーを先輩方にもち、時には日本一のタイトルを持つ方にシェイクの仕方を教わったりと、とにかく学ぶ姿勢を受け止めてくれる温かい職場で過ごしました。コーヒー業界に足先を入れた期間のおかげで、色々なバリスタさんと話して1〜2人またぐと知り合いの名前がポンポン出てきます。「狭い世界だね〜」とお互いがにやにやしてローカルな暖かさを感じることがあります。それがとても好きでかけがえのない時間になりました。

上には上がいる、スペシャリストの壁

レベルの高い環境に囲まれた中で、バリスタとしての経験も未経験で飛び込んだ私は、自分の「先輩のようになれる日を目指す」と目標を掲げて日々頑張っていましたが、その志は打ち砕かれます。誰もがレベルアップしようと全員が上を目指していた環境の中、自分の目標設定も明確ではない、なんとなく抽象度の高いスペシャリストへの道は、到底なれず、むしろ不向きなんだと自覚する瞬間が日々増えて行きました。
経済的にも厳しかったったものの、実家を出たいと1人暮らしをしたり、さらにコロナ禍のフリーターであったことから生活の条件面でも厳しくなりました。3店舗の掛け持ちをし、お客さんとの楽しいはずの接点もその瞬間以外、心は疲弊し精神的にも追い詰められました。そして全て退職をしました。

2回目のバーンアウトでした。

3年遅れの社会人

そこから誰かに相談することなく、再び、時間がかかりながらも心は復活しつつ実家へ戻り、もう自分のやりたいことをやるのは一旦やめ、父と過去に約束した「社会人になる」ことを1年越しに選択しました。その時お世話になった転職エージェントの女性キャリアアドバイザーに憧れ、スタートアップの人材紹介事業を志望しました。

第一希望の会社に入れたので、そこからはもうハッピーです。会社も大好き、人も好き、やっていることも1:1のコミュニケーションから始まる人材紹介業でした。しかも最終面接から数日たち、3日後から入社する人もいるので、一緒にどうですか?と想定より早めのスタートを提案されました。社会人としての知識が全くない私は、人事のその一言を「期待されている、よっしゃ」と勘違い、喜び・期待いっぱいで入社をしました。

立ちはだかるのは営業成績の壁。スタートアップで、社長との年齢差は1年、ほとんどが同い年かそれより下の社員30人ほどの規模感。同時入社の他の2名に明らかに見える数字の差で置いてけぼりになりました。「できちゃう」タイプの元々インターンをしていた新卒、同い年で手の抜き方が上手な「2社目」の彼女。この二人には本当に助けられながらも、もう自分は情けない気持ちでいっぱいでした。

結果、4ヶ月で離職しました。原因は、周りに助けを求めなかったことでした。人に頼ることが自分の苦手なことだと、この時に初めて知りました。会社を辞めた今でも、会社の人たちが好きです。しかしその付き合いは途切れてしまいました。

初めての海外転職

当時のパートナーの影響と海外で働いてみたいという興味から、マレーシアへ海外転職をしました。現地採用です。マレーシアのキャリアアドバイザー5名ほどとコンタクトを取り、一番相性のいい方と一緒に準備をしました。とはいっても履歴書は友人のネイティブスピーカーに添削してもらい、おんぶに抱っこでした。この頃から、一人でできないことを抱えることがなくなり、パートナー、英語を話す友人、転職エージェント、家族と周りの貴重な存在を頼ることができるようになっていきました。すごくスムーズで、転職エージェントの彼女とはマレーシアでご飯も行く仲になりました。その後、キャリアアドバイザーとして1社目でやりきれなかった思い、対人支援を学ぶためにポジウィル認定講座(現在:コーチングスクール)を受講。そのうちに自分の人生、今の欲求、どんな気持ちと思いがあるか、人生観、仕事観、日々整っていく感覚から満足しつつ心地よい時間を過ごしています。

パートナーとはお別れをし、日本へ犬を飼うために帰国しました。しかし、いつまた海外へ飛び出したくなるかわからないので、世界フルリモート可能な職を選びました。結果として、ヨーロッパ金融業界の会社員となりました。

キャリアを考える=ライフデザイン

私のありたい姿として、「人間ビタミン剤」として生きることをミッションに掲げています。大学卒業後から現在まで半分以上を海外で過ごしていると、自分が見てきた「働く」概念が日本にずっといる人とは違うことに気づきました。そんなことを日常で話していると、何人かの友人から相談したいと声をかけられるようになりました。ワークライフバランスを考えた時、キャリアデザイン・ライフデザインを学んできたことを、ポジウィルを通して還元したいと思うようになったのです。現状をどうにかしたい、けれどそのモヤモヤのトンネルからなかなか抜け出せない方々を「私も本気で伴走したい」と認定講座/現コーチングスクールを受け、キャリアトレーナーとなりました。

自分らしく心地よく働くために、ワークライフバランスをデザインする

これがトレーナーとして伝えたいこと・大切にしたいことで、ぜひ伝わったらいいなと思います。人には人の乳酸菌のように、各個人が自分にとって最高に心地いい状態を作れたらと考えます。私自身が世界フルリモートを選択し、これまでにない充実感を得ている日々を過ごすように、です。

今この記事を読んでくださっている方で、思考がぐるぐる回り、環境も相まって「なんだか悪循環に陥っているな」「なんとなく充足感はあるけれども、納得・満足は満ち足りないな」と感じているのなら、お話を聞かせてください。私が人間ビタミン剤として、自信を持って一緒に向き合う時間にしていきます。私もできたので、あなたもできます!しっかり自分に向き合いさえすれば、です。自分を見つめ向き合うチャンスは、人生数えるほどしかありません。その考えるトンネルは長く、怖いかもしれません。しかし逃さないでほしいんです。

きらきらした心のしぶきを感じる、ヘルシーな人生にしませんか?

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キャリアについて悩んでいる方はぜひ無料カウンセリングにお申し込みください。
お待ちしております!
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