porori

シナリオライターです

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マガジン

  • yowaine日記

    たまに日記を書きます。この場所はツイッター以外では言及しません。

  • 禁酒日記

    お酒を飲まずに考えたこと ※この世界では禁酒日記は2日目から始まります

  • 牧羊犬

    ひつじを見守るわんちゃん。夜のひつじの過去作BGMにポエムをつけたものが30記事ほどあります。

最近の記事

個人として大事に思うこと

断酒会についての本だったかサイトだったか忘れたが、「ひとりでいるとどうせ酒を飲んでしまうのだから、会に参加して無為に椅子をあたためるのが大事だ」と書かれているのを読んだ覚えがある。 この考えを個人的に気に入っていて、人付き合いを頑張るときの励みにしている。ひとりでいてもどうせろくなことはない。本当に酒を飲むくらいのもので、それなら誰かと無意味なことを話しているほうが良い、というか善い。オンでもオフでも誘われたらなるべく断らない。誘ってもらえるうちが華でもあるし、それで何か恥

    • 自分が伝えたいこと

      伝わらないということを伝えたい。 わかりあうことはできない。 理解し合うことはない。 それでいいかというと良くはないのだけれど、それでも愛し合うことはできると思っている。 伝えたい内容は伝わらないけれど、伝えたいと思ったこと自体は伝わる。 説明してもわからない。でも説明を一生懸命したことは伝わる。 説明されてもわからない。でも説明を一生懸命聞いたことは伝わる。 わかりあうことができないのは、実はすべてが伝わってしまっているからだ。

      • 自分としてすべきこと

        生きている人間にしかできないこと、それは誰かを認めることだ。生まれる前も死んだ後も誰かを認めることだけはできない。 ここに居る苦しみがあるからそこに居ても良いよと認めてもらえる嬉しさがある。それだけでもう少し生きていけると思える夜がある。夏に着る服を冬にもらうことのように。 誰かを認めることはほとんど時間と場所に依存している。心に響くかどうかは偶然とタイミングの問題だ。立派な人間になったからといって誰かを認める能力が向上するわけではない。想いがこもっているからといって通じ

        • 自分が言わないこと

          言っても仕方がないことは言わないように努力している。何かを言う前にいつも検証しているつもりだけれど、ときにはその検証が不用意な発言を強化することがあると感じる。 言っても仕方がないことなのに言った意味があるかのように研いでしまうことがあるということだ。なまくらなら、誰かも自分も傷つかなかったはずなのに。無害で弱いままなら殺してしまえたのに。 お腹のなかで言葉をためるということの弊害をそうして感じて、どうしたらいいのかわからなくなっている。 もっと簡単に言ってしまったほうが

        個人として大事に思うこと

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        記事

          自分が壊れたこと

          毎日やりたくないと思いながら、それに反する強い想いでなんとかやってシナリオが完成した。 シナリオが完成した夜に寝ようとしたら、やりたくないと思いながらもそれに反してやらなければいけないことが必要な気がしてきた。 結果、死にたくないけれどそれに反して死ななければならないのではないかと強く思ってしまって、恐怖で壊れた。 壊れる予感はしていたので目星をつけていた病院に行った。 薬をもらって、当時Youtubeで美味しんぼの公式が「海原雄山登場シーン」という動画を作ってくれていたの

          自分が壊れたこと

          自分にできないこと

          自分を許してないのと同じくらい、他人も許していないところがある。人が嫌い。なような気がする。好きな気持ちはあるんだけど。 自分を見下すのと同じように他人もと思うとぞっとする感覚がある。いまここを書いているのも恥ずかしいのだけれど、その恥を指摘する目線は内にも外にも向く。 怖いなと思う。それがにじみ出るのが。 しかし四つの窓の言葉の通り、自分のなかにはもっと醜いところがあるはずで、それが本当に怖い。もう十分に醜さが怖いのに。 言葉を書くのは得意だ。だからメールや何かの返信を

          自分にできないこと

          自分が考えること

          一昨日、また恥ずかしいものを書いてしまったなぁと思っている。自分の精神衛生を考えると書かないほうがいいというのも一理ある。恥ずかしい、後悔、胃の上あたりが鈍く熱くなるような……。 ただ生きるとか作るというのはそういうことで、自分の存在が直接プラスになることはない。資源を食うし場所も食うし立場も食う。両親がとてもいい人だったとしたら、その両親のもとに生まれるという枠を消費してしまっている。いい先生に恵まれたとしたら、他の誰かがその先生に会うのを邪魔してしまった。似たものを作れ

          自分が考えること

          自分がすること

          忘れないために記しておく。 書くときはいつも自暴自棄な気持ちがあった。初めて書いたときがまずそうだった。こんなもの書いて何になるんだという気持ちでエロ小説を書いていた。でもどうしようもないから書いた。 皆に好かれた作品でも同じような気持ちだった。こんなものをいったい誰が求めるのだろうという気分は終始つきまとっていて、書いている間は罪悪感と不安でいっぱいだった。 それを受け容れてもらえるのは正直わけがわからない。ずっとわけがわからないまま書いている面はある。出した結果に一番

          自分がすること

          禁酒日記1日目

          禁酒日記はこれでひとまず終わりにしようと思う。また何か書きたくなったら書きます。 自分のことが信用できないという気持ちは強くなるばかりだ。若い頃はもう少し何かを確信していたような気もするのだけれど、酔っ払っていない自分ほど信用できなくなっている。酔っ払っている自分はどうせしょうもないことしか考えられないので信用できないという形で信用できるのだが、酔っ払ってない自分はもうかなり意味不明だ。 私は間違っているらしい。 その不安感のなかで生きていて、地面を這っている。するとひ

          禁酒日記1日目

          禁酒日記0.9

          禁酒日記と銘打って結局お酒への愛着ばかり書いてきた気がする。 お察しのとおりお酒はやめられないと思うので、真の禁酒が必要にならないよう、なんとかごまかしごまかし健康でいたいと思う。 祖父が晩年、好きだったお酒を飲めなくなった。飲むと具合が悪くなって転んで起き上がれなかったそうだ。でもあの年まで飲めたのだから良いんじゃないかと思う。 安酒を一日中少しずつ飲むのは自分とよく似ている。お供えの紙パックのお酒にはいくらなんでももう少し良いものをとも思ったけれど、祖父は構わないかもし

          禁酒日記0.9

          禁酒日記5-6

          他人に期待しないほうが良いというのが今の常識なのだろうか。 過度な期待をかけるとお互いにとって負担になるというのはわかる。しかし他人にまったく期待しないのもさびしい人生だと思う。結局これも程度問題で、まあたぶん「甘えてばかりではだめ」というような説教がわいてくるのだろう。 SNSを見ていて思うのは、人には強い部分と弱い部分があるということだ。絶対的に強いひとや絶対的に頼れる人が居ないことがありありとわかる。逆に弱く見える人もしぶとく生きている。自分もまたつまらないことで悩

          禁酒日記5-6

          禁酒日記5-5

          動画の時代になってみて「文章は理解できないが動画で人が話してると理解できる」という人がかなりいることを知った。文章を扱う仕事をしている人間として、今までネットがテキストベースだったことにあぐらをかいていたのだなと思う。これからはライターの肩身がもっと狭くなって然るべきだろう。 きっと書いていることは伝わってなかったのだという反省がある。しかし同時に、何を思って書いていたのかはきっと伝わっていたのだという希望もある。メタコミュニュケーションというやつだ。 伝えたいことは伝わら

          禁酒日記5-5

          禁酒日記5-3

          また同じこと書いてる気がする。 この日記でもシナリオの仕事でも常に思う。思うくらいなら可愛いもので、どうしようもなく強迫されることもある。 しかし極論、同じことが書かれていても良い。良い話は何度しても良い話だと思いたいし、読者も読んでいるようで読んでいないことがあるのでさほど問題にならない。 ただ一握りの真剣な人のためになるべく違うことを書きたいとも思う。真剣な人ほどきっと生きづらいだろうから、何か心休まるものを提供できれば理想だ。 クリエイターは、同じものを違う語り口

          禁酒日記5-3

          禁酒日記5-2

          お酒での失敗があったりなかったりする。 お酒がなくても失敗する。 その失敗の場所はどこかというと、自分が属するコミュニティだ。家族とか友人とか仕事とか趣味とか人はさまざまなコミュニティに所属している。 そしてすべてのコミュニティは失敗するための場所だ。人間は生きている限り失敗せざるを得ないのだろうし、特に人間関係は不確定要素が多いので失敗の確率も増える。社会性を保とうとすると失敗の恥に耐えなくてはいけない。 失敗してしまうのは仕方ない。 大事なのは、どこで失敗するか、

          禁酒日記5-2

          禁酒日記5-1

          今更言うまでもないが、ほとんど禁酒はできていない。節酒日記くらいが関の山だ。お酒の量を減らすなら、飲んだ日にだけペナルティで日記を書くとかのほうがいいのかもしれない。 まあでもそんなことをして続くのは最初のほうだけだろう。人間は面倒くさいことをやりたがらない。策を弄しても気分は長く続かない。 だいたいなんでも気分が決める。 自分の機嫌を自分でとれる人が偉いみたいな話があるし、もっともだと思うけれど、それも行き過ぎればアルコールや薬物への依存に繋がりそうだ。 自分で自分を承

          禁酒日記5-1

          禁酒日記5-0

          承認欲求には穴がある。 あなたは承認されたいと思っているとしよう。 それはひとまず良いこととする。 でももう少し考えてみてもいいだろう。 承認されたいあなたがいるなら、承認する誰かがいるはずではないだろうか? そう、あなたを承認するのはいったい誰なのか? 両親や友達かもしれない。SNSの向こう側の誰かかもしれない。権威ある先生かもしれない。あるいは好きな配信者に認知されることかもしれない。 何にしろ、承認にはする側とされる側がある。あなたはどんな人を承認者として欲し

          禁酒日記5-0