ないものねだりをする理由
ないものねだり。
自分にないものをあれこれ羨んで求める。
私はずっとずっと「何かが足りない」そう感じながら生きてきた。だけどその「何か」はいつも分からないままだった。今考えれば、そんなもの分かる訳が無い。私は自分ではなくて他人を見て生きていたから。
自分ではなく、他人に意識を向けて生きてきた。周りと比べて、自分が劣っていると感じて、羨ましくなる。いつも自分や自分の人生に自信が持てなかった。謎の孤独に耐えられない夜があった。
けれど、ワーキングホリデーで海外生活を経験して、そこで出逢った人たちとの交流を通して、多種多様な生き方があることを知った。私たちは、自由に好きなように楽しく生きられたらいい。相手を思いやる気持ちと感謝の気持ちだけを忘れないでいれば、どう生きたって素敵だ。
そう考えられるようになった頃には、生きていることがまるっと楽しくなった自分がいた。そして帰国してから気付いたことだけれど、ないものねだりをしなくなっていた。自分が持っているものを見れるようになったから。
私はあの子みたいに可愛くないし。恋人もいないし。お給料も友達より低いし。大学卒ではないし。挙げだしたらキリがない無数のコンプレックスをコンプレックスにしていたのは紛れもなく自分だ。
劣っている人なんて、この世にいない。綺麗事だと言われればそれまでだけれど、綺麗事がない世の中なんてなんだか寂しい。キラキラした綺麗事だってこの世界には必要だと思う。
人の人生に何かを言いたい人は必ずいる。その言葉に惑わされることもある。けれど、自分の人生の責任を取るのは自分で、他人は責任なんて取れない。誰の言葉を信じるかも自分次第。最後は、自分しか自分を救えない。
自分自身に意識を向けて生きる。
そう生きるようになってから、なんだかすごく楽だ。生きやすい。
自分の性格、自分の家族、自分の周りにいてくれる人、自分の容姿も含めて今私が持っているものを見つめてみると、満ち足りていることを知る。ありがたいなと思う。
不安になったとき、自信を失くしてしまったとき、そんな時は自分自身に意識を向けてみると小さな幸せを見つけられるかもしれない。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^