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几帳面な僕のアジアカップ


「高田馬場駅でお客さまがホームに転落し、非常停止ボタンが押された関係で、現在電車に9分ほどの遅れが生じております」

ついに駅に到着したときには、デジタル時計は23:00を表示した。


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Kとは2017年のちょうどいまくらいの時期に友だちになった。そのころ、僕は情けない人間で、とても弱かった。表構えでは他人の目を気にしていることをひた隠しにし、内心では自分と誰かを比べ、一喜一憂をしていた。Kはきっと僕の弱さに内心うんざりとしていたんじゃないか。しかし、Kは底抜けに優しい。自らもつらいはずなのにも拘わらず、僕を気遣ってくれた。

先日、Kとひさしぶりに会って、ご飯を食べた。開口一番、
「なにが食べたい?」
と訊いた僕がとんかつを食べたいと主張してそのとおりになった。

学生でなくなって、演劇と雑文を書くことで生活をしている僕は決して裕福ではない。けれども、こんな生活が最も自分のためになると信じているので継続している。

本当に未来を考えるなら、お金を貯めたほうがいいのかもしれないが、未来のことなんて誰もわからないじゃないか。物価の動向でお金の価値は大きく変わる。僕はお金でないものを貯蓄したい。お金は簡単に裏切るけれど、自分は自分を裏切らない。

そんな僕にとんかつは高価だ。Kとの時間は概ね楽しく、気を大きくした僕とKは近くのファミレスへ移動して、スイーツを食べた。そこでもたくさん笑った。Kは唐突に、地図を書いてほしい、と言って、僕に紙とペンを渡した。困惑しながらボールペンを滑らせた。完成した地図を見て、
「あなたはA型ですね」
Kに診断結果を伝えられた僕は、違います、と返した。僕が書いた地図から、ある種几帳面さのようなものを感じたのだろうか? そういえば昔、女の子にも同じようなことばをかけられた。僕という人間は、他人から評価されるほど几帳面ではないと思うのだが。みんなは僕の几帳面なところしか見ていないからそのように感じるのではないだろうか。事実、子どものころの僕は生来のだらしなさから忘れ物を連発しては、母や先生にひどく叱られていた。僕のなかにはだらしのない僕も存在しているのになあ・・・。

僕が僕を几帳面だと思う点として、映画の途中で停止ボタンを押すことが憚られることが挙げられる。映画は90分から120分ノンストップで鑑賞されることを前提に製作されているから、観る側もそれに応えなければならない。大好きなサッカーも同様に、キックオフから最後の笛が鳴るまで見届けなければならない。選手は前後半合わせて90分を走り続けているから、観る側もそれに応えなければならない。というのが几帳面な僕の考えだ。

サッカーに詳しいわけでもないが、A代表の試合だけは欠かさず観るようにしている。言いようによっては、「にわか」だとか「エセ」の類の人間だ。

UAEで開催されていたアジアカップもほとんどすべての試合を応援した。2月1日はカタールとの決勝戦。本来ならば、最寄り駅に22:50に着く予定だった僕はぎりぎりキックオフを自宅でむかえられるはずだった。

「高田馬場駅でお客さまがホームに転落し、非常停止ボタンが押された関係で、現在電車に9分ほどの遅れが生じております」

僕は僕のポリシーを遵守することができなかった。キックオフから10分が経過したピッチが黒い画面から浮かび上がったのはカタールの強さだった。前半立て続けに2点を奪われたチームからは前の試合までの勢いが感じられない。素人目にだが、チャレンジができていないように見えた。選手たちの表情からも、うまくいっていないのはわかっているけれど具体的に何が悪いのかわかっていないことが読み取れた。

人生と一緒だ、とぼんやり思った。生きているかぎり、ひとは何かに不満を抱く。しかし、不満の解消法はわからず、引いた視点から自分を眺めると、自分が何に不満を抱いていたかさえわからなくなる。不満はそこに確実にあるはずなのに。


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日本は優勝を逃した。大迫選手のインタビューの途中でテレビはCMを挿入した。僕は無心にテレビを消して、無心に歯をみがいて、無心にベッドに入った。

一度だけ、スタジアムでサッカー日本代表の試合を観戦したことがある。その日も日本代表は勝利することができなかった。試合が終わった途端、ゲリラ豪雨が降りだした。日中の鮮やかな晴天ははりぼてだった。僕らは傘を持っておらず、びしょ濡れになりながら帰った。空に嘲笑われたようだ。空にも意思があるのだと、あの時ばかりは思った。


東京に1ヵ月ぶりに雨が降ったあの夜、似たようなことを夢想した。みぞれ雨の中を踊りながら帰る僕ら。低気圧が頭痛を催すあなたも、無条件に雨が嫌いな僕もあの夜だけは雨を祝福した。無機質無表情なコンクリートがあの夜だけは歓喜した。

びしょ濡れの僕らは震えながらそれは熱いシャワーを浴びた。それでも体の芯まであたたまることはなくて毛布に包まる。ひとしきり愛をぶつけあったあと、君がおもむろに窓を開けた。雨がやんで風が我がもの顔で窓からはいってきた。この風を誰が予想できただろう。カーテンがたなびく。世界中の誰もが、未だ手をつけていない澄み切った空気で肺を満たす。仕上げにそれを真空パックする。


あの空気を忘れないでほしい。あの味を忘れないでほしい。あの時間を忘れないでほしい。あの自由を忘れないでほしい。忘れてしまったら僕らは終いだとおもう。終いだとおもったら思い出してほしい。真空パックした空気を。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。