見出し画像

花火,メタバース

例えば僕は花火を観に行った。4年ぶりの開催ということもあって多くの人が河川敷に集っていた。会場へと向かう人の行列が進まなくなってどうしたものだろうと、一時思ったけれど無事に土手に座って観ることができてよかった。

太陽が沈みきる前に打ち上げられた花火、見入っているうちにいつの間に空は濃い群青色に染まっていた。旅客機が花火のすぐわきを通過していく。飛行機のなかからも花火って見えるのかな? 見えるんじゃないかなぁ? さっきまで座って観ていた人がおもむろに立ちあがり、後方に座る人たちが花火を見づらくなってブーイングを飛ばしだした。立ちあがったその人はいかにも具合が悪そうに——後方を決して振り返らないようにして——再び座った。

これだけ多くの人々が密集して、一点を見つめているのだからいろいろと気に障ることはある。けれども花火はあと1時間で終わってしまうのだし、せめてそのあいだだけは苛立ちを感じないようにしていたい。子供の頃は花火の音が、全身にこだまするみたいな感覚がとても好きだった。体のなかにもうひとつの心臓ができたみたいなふしぎな感覚だった。しかし、わりと大人っぽい体つきになってから、花火の音を聞いても心臓はもうひとつ増えないようになってしまった。雷の音は子供の頃よりこわがるようになったのに。



こう言ったらなんだけど、僕は泣きそうだった。べつにだいの花火好きというわけでもないが、「4年振りの開催」にひどく同情した。自分も似たような経験をしているから。

演劇公演『No. 1 Pure Pedigree』が2回中止になったし、その間十分に演劇活動できなかった境遇に無理やり納得し順応していくために僕はひどく閉鎖的になっていった。

だけれども、今、自分と同じように河川敷に集っている多くの人たち——その数はおそらく東京ドームの収容人数よりも多いだろうね——の歓声を聞きながら観る花火は格別だった。そして僕はメタバースのことを考えた。

花火大会がオンラインで開かれるなんてことが起こるのだろうか。自宅にいながら、仮想現実の河川敷に集まって花火を鑑賞する。そんな未来がほんとうにやってくるのだろうか。



この記事が参加している募集

メタバースやってます

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。