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【短編小説】 単純労働

新宿駅のネットカフェ、狭いエントランスでグリーンカレーを食べている。僕はここで部屋が空くのを待っている。

終電からもう2時間近くが経つ。みんなここで夜を明かすつもりで来ているのだ。僕は1時間近くエントランスで待たせてもらっているが、個室が空く気配はいっこうにない。

近くにあるコンビニエンスストアでレトルトのグリーンカレーを買ってきて食べている。タイからの輸入品。パウチを開けた途端にスパイスが鼻腔から流れこんできて、くしゃみをひとつ、ふたつした。今、涙を流しながらそれを食べている。

この涙は、なにを意味しているのだろう?

スパイスから催した涙。しかし、その涙は、僕のなかの、なにを洗い流しているのだろう?

例えば、これは比喩的な例のひとつだけど、眠っているあいだに脳はシャワーを浴びているのだという。いうなれば、眠っているあいだに脳は疲れとか汚れとかを洗い流しているのだという。夢をみることも、それと関係しているのかもしれない。適切な睡眠を摂って、脳にシャワーを浴びてもらうことで、認知症の原因となる物質を除去することができるのだという。つまり、適切な睡眠を摂れていなければ認知症のリスクが高まっていく。

近頃、忙しくて眠れていない、僕は物忘れが激しくなる一方だ。忙しい時期ほど他人と接する機会が多くなる(いや、他人と接する機会が多いから忙しいのか)。

僕みたいな人間は、他人と会って話すときにたくさんの気をつかう。

僕が傷つくことをおそれているからだ。僕は、他人を傷つけないように慎重に振る舞っているふりをして、じつのところ、自分を傷つけることをひどくおそれているのだ。そして傷つくことをおそれることは、実際に傷つくことよりもはるかにつらいことだ。

若い僕には夢があった。大学を卒業し次第、起業して億を稼ぐことだ。夢があった、大学生の頃の僕はたくさんの無茶をした。誰かを傷つけるとか、自分が傷つくこととか、考えている暇はなかった。僕は必死だった。だから、あの頃の僕は無自覚に人を傷つけていたかもしれない。少なくとも、自分が傷ついていることには無自覚だった。しかし、今よりもずっと生きやすかった。

大学を卒業し次第、起業して億を稼ぐという夢は、先延ばしになっていく一方だった。

大学を卒業して、僕は資格試験のための勉強を始めた。起業するにあたって、取っておいたほうがいい資格がいくつかあった。そんなことをしている間に数年が経った。26歳。僕よりも若い、現役大学生の起業家がテレビでインタビューされていた。

彼が制作したアプリケーションはβ版だが、これから日本の社会を決定的に変革するだろう、とアナウンサーは締めの言葉を述べた。

たいしたもんだ。

と僕は思った。

僕は機会を逃したのだ。そのうちに、そのうちに、と思っているうちに、先を越されたのだ。僕は負けたのだ。僕は工場で働いて日銭を稼いでいる。ここでは僕が努力して取得したいくつかの資格はまったく意味をなさない。僕は、僕が取得したいくつかの資格のことを忘れようとした。忘れなければ。やりきれなかった。

僕には実力がなかった。たったそれだけのことなのだ。実力がない自分が悪い。運がない。僕には運もない。

やめよう。

運のせいにするのはやめよう。

運も実力のうち。自分を活かせる場所を探そうとするから苦しむ。

機械になるのだ。マシーンになるのだ。与えられた仕事にひたすら取り組む。機械は文句を言わない。マシーンはずーっと同じ部品を製造し続ける。自分の心のなかに、もうひとつの工場を建設するのだ。ひとつの歯車になって働き続けることが必然なのだと、自分に言い聞かせるのだ。動かなくなったら、別の人間と取っ替えられる。僕はただのパーツなのだ。それだけで賃金をもらえることに、僕は感謝しないといけない。それは有り難いことなのだから。


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