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会えなくなった人との「約束」はどこへいく?『ルラルさんのつりざお』誕生秘話――新担当者が聞く、絵本作家・いとうひろしさんの創作のもと

いとうひろしさんの絵本作家としての道程について、また、今年30周年を迎えた「ルラルさん」シリーズのこれまでについて、穏やかな気候の中、光が丘公園にてゆっくりとお話を伺うことができました。

それでは、刊行されたばかりの最新作『ルラルさんのつりざお』はどのようにして生まれたのか? 今度は喫茶店に入って、ラフを見せていただきながら、じっくりお話を伺いました。この本を作るテーマともなった「果たしえなかった約束」とは? 新刊『ルラルさんのつりざお』の副読本を読むつもりで楽しんでいただければ、幸いです。

いとう ひろし (伊東 寛)
1957年、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業。大学在学中より絵本の創作をスタートし、1987年『みんながおしゃべりはじめるぞ』(絵本館)でデビュー。主な作品に「ルラルさん」シリーズ、『くもくん』『くものニイド』『ケロリがケロリ』『おいかけっこのひみつ』(以上ポプラ社)、「おさるのまいにち」シリーズ、『だいじょうぶ だいじょうぶ』『くろりすくんとしまりすくん』(以上講談社)、『マンホールからこんにちは』『ごきげんなすてご』(以上徳間書店)、などがある。日本絵本賞読者賞、絵本にっぽん賞、路傍の石幼少文学賞、講談社出版文化賞絵本賞など、受賞多数。
ポプラ社 齋藤侑太
1985年、茨城県生まれ。2012年、ポプラ社入社。営業職、社内デザイナー、幼児向け書籍の編集を経て、2020年4月からいとうひろしさんの絵本の担当をしている。
ポプラ社 松永緑
福岡県生まれ。大学卒業後、児童書の出版社に入社以来、編集者歴30年以上。2000年にポプラ社入社。絵本から長編読物まで創作ものを手掛け、いとうさんの『ルラルさんのだいくしごと』『おいかけっこのひみつ』を担当。


「果たしえなかった約束」に対する問いから生まれたストーリー

齋藤 今作の『ルラルさんのつりざお』のストーリーは、以前から先生自身の頭の中にあったものだったんですか?

いとう うん。ルラルさんが色んなことをやっているシーンは頭の中にいっぱいあって、その中のひとつに、「つりをしている」というのがあったんです。その「つり」も、池とか海ではなくて、彼の「にわ」でしているという。自分でも、「何でかなあ?」という感じで、それで「どうしてですか?」と彼に聞く。(笑)そういうことからお話が始まっていくんです。

ルラルさんのつりざお表紙

『ルラルさんのつりざお』あらすじ
ルラルさんは、おじいさんから贈られたつりざおでつりをしたことがありません。一緒につりに行く約束をしたのに、おじいさんは亡くなってしまったからです。ある日、にわでルラルさんがそのつりざおを振っていると、仲間の動物たちがやってきて、魚をつりに行こうと湖に案内してくれました。仲間たちはどんどん魚がつれていきますが、ルラルさんのつりざおにはかかりません。あきらめかけたその時、ルラルさんのつりざおが、ぐんとしなりました……。

いとう それとは別に、自分の中に「果たしえなかった約束」というテーマがあって。年齢的なこともあると思うんだけど……。たとえば「じゃあ、また遊ぼうね」って約束をして人と別れるとする。でも、その相手が死んでしまったら、「その約束はどこにいくんだろう?」って思って。「ああ、残念だね」で終らせることも出来るんだけど、そうじゃない形にしたい。二人がその約束をちゃんと果たす方法があるだろうと。
それで、ルラルさんの「つり」のシーンを見た時に、彼がやっていることは、そういうことかも知れないと思ったんです。そしたら、ばーっと話が出てきました。

齋藤 つりざおの持ち主との約束ですね?

いとう そう。実は最初のストーリーでは「おじいさん」ではなく、友達だったんです。でも友達だと、山奥につりに出かけてそのまま戻って来ませんでしたって言うと、自分にとってすごく重過ぎると思って。

齋藤 確かに、ちょっと重く迫りすぎますね。ルラルさんの友達が亡くなるというのは……。

いとう そうなんだよね。だから申し訳ないけど、自然な形で死に近い存在と言うと、年を取った人だよねと考えて、おじいさんにしました。
お話の根本は、「果たしえなかった約束」、もしくは、「いなくなってしまった人の存在をどのように自分の中に位置づけるか」ということに対する問いで。それが自分にとって今一番気になっていることなんです。


こどもの本に「憧れて」、本を作っている

齋藤 それが現在のいとう先生にとっての、切実な問題ということですね?

いとう うん。「ルラルさん」の本は、こどもの本であるということは間違いないんだけど、こどもがどう思うだろうかとか、今のこどもは何を楽しむのかな? とか、そういうことから発想することは、まず無いです。

齋藤 そうなんですか!

いとう 自分のことや、自分の興味をかこうと思っているので。ただ僕は、こどもの本に対する憧れが強くあるんですね。こどもの本をかくということは、すべての人に対してかくということになると思うから。つまり、3歳の子に分かる本というのは、90歳の人にも分かる。もちろん20歳にも。
結果的に自分の本は「こどもの本」になるけど、話の発想の時点では決して「こども」に向けたものではない。こどもは、知識や経験が少ないけれど、同じ人間だと思っていて。本を作る僕は、大人としての責任はあるけれど、それを抜いたら自分と対等の立場だと思う。発想自体は60歳過ぎのおじさんのものだけど、それをちゃんとこどもにも分かるようにするには、どうしたら良いかということを、ものすごく考える。そこが書き手として一番重要な部分だと思います。

齋藤 「こどもの本に憧れている」という言い方をされたのが、すごく良いなと思いました。大人は絶対に彼らには戻れないから、近づくために憧れ続ける、というか。

松永 人生経験や知識の違いをこえて共有できる作品というのは、作品はもちろん、共有すること自体が素晴らしいと思います。こどもの時に読んだ本を、様々な年齢で読み返して楽しめる、ということも。でもそれができる本を作るのは、とても難しいことです。こどもの本の作り手の力は、そこで発揮されるのかもしれませんね。。

いとう 自分の思ったことをストレートにかけないということを足枷に思う人は、こどもの本の作家になることは難しいと思う。たとえば、今自分が「膝が痛いんだよなあ」と思うとする。じゃあ、年取ったその膝の痛みを、5歳の子に分からせるにはどうしたらいいんだろうって。(笑)作るのは面倒くさいけど、僕はそれがすっごく面白いと思う!

一冊の本が生まれるまでの試行錯誤の過程

齋藤 先生の場合、ストーリーに関しては、あふれるほど頭の中に浮かんでいると思うのですが(笑)、それを具体的に形にしていくのは、どのような作業なんですか?

松永 ラフをたくさんかかれるんですか?

――いとうさんが一冊のノートを取り出し、見せてくれる。

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齋藤 これは? テキストがかかれていますね。まずは言葉から作り始めるんですか?

いとう うん。でもこの段階で、頭の中には絵も浮かんでいます。

齋藤 そうなんですね。では、絵を思い浮かべながら、テキストも同時に進めていくということなんですね。

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ノートの端に、遊び書きのようなものを発見!

齋藤 あ、ルラルさん! これは、誰だろう?(笑)

いとう 誰だろ?(笑)

――次に、テキストがかかれた小さな紙を見せてもらう。

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いとう これが、本のページ割りをしてあるものです。同じページの部分でも、ずいぶんパターンがありますね。こんな風に、全体の構成を考えていくんです。

齋藤 毎回、この形で作られるんですか?

いとう まったくこれと同じではないけれど、近いことはやっています。

齋藤 この段階だと、たまに絵が入っていたり、テキストだけの場合もあるんですね。

いとう 最終的にここから、松永さんに一番最初に見せた、この小さな本の形に持っていきます。

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小さな本の形の紙にかかれたラフ

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同じシーンが完成版では、このようになりました

齋藤 これは、完成した本と内容がほとんど変わらないですね。

松永 これを渡されて、その場で読ませていただきましたね。その時の興奮と言ったら……!

齋藤 このように小さなサイズで作ったラフで、何度も推敲したりするんですか?

いとう 絵が入っている段階になったら、もうあまりやらないです。次は、ほぼこのまま原寸のラフを作るので、自分の中では、ある意味すでに完成形になっています。これよりも細かい、さっき見せた方が色々と練っている段階ですね。
今回はね、構成が難しかったんですよ。どういう風に、前半部分のおじいさんの話と、後半部分のつりの話のページ量のバランスをとるかという点で。
たとえば、この部分のテキスト「それは うみだったり、かわだったり、みずうみだったり……」とか、完成版にはまったく入っていないでしょう。

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齋藤 本当ですね。

いとう これ、最初のうちは入れたかったんですよ。もし、おじいさんとの約束のとおり、実際にいろんな場所につりに行っていたらどうだったろうか、とルラルさんがにわでつりざおを振りながら考えるシーンで。
でも、それを入れると後半とのバランスが悪くなるから、削ったんだけど。それに、話の構造としては無いほうが良いかもしれないと思ったんです。このシーンに引っぱられ過ぎると、ルラルさんがつりざおをにわで振っている意味が、逆に薄くなってしまうと感じて。そういう試行錯誤を、何度もやったりしています。

松永 たしかに、想像のつりの場面は良いシーンですよね。

いとう そうなんですよ。

齋藤 前半で水面のシーンが入ってくると印象的ではありますけど、後半に水面の青色がぱぁーっと出てくるインパクトは薄れてしまいますね。そうやって、何度も時間をかけてお話を組み立てていくんですね。

松永 いとうさんの試行錯誤や検討の過程を見せていただいていないので、第1稿にして、完成稿! それも傑作! と思っていました。(笑)

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たくさんの試行錯誤の痕跡を見ることが出来ました


簡単にかいているように思われた方が、嬉しい

齋藤 普段から、編集者にはそういった過程を見せることは無いんですか?

いとう そうですね、自分の中での完成形を見せることが多いですね。まだ構成が固まっていない状態で見せて意見を言われたりすると、まとまらなくなってしまうんですよ。本当に分かんなくなっちゃう。
作家には色々なタイプがいるからね。僕自身は、編集的な視点も持ちながら作れるので、この部分が弱いから他と入れ替えようとか、考えてやっています。ただ、さっきほぼ完成形と言った状態でも、自分の中で、これどうなのかな? って疑問を持ったままの部分もあるので、そこを編集者が見た時に、どういう反応を示すかを気にしています。信頼を置いてる編集者とかが、そこをスルーしてくれると「あっ、大丈夫だったんだ」って思うし、指摘してくると「やっぱそこだよね」ってなる。(笑) あと、こっちが全然気がついてなかったことを言ってくれる場合もあるし、そこは何度も考えいて「大丈夫なの!」ってところを言ってくる場合もある。(笑)その時は、なぜそうしたか、ってきちんと説明できるからね。

――本と同じ大きさのラフを見せてもらう。

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細かな調整の跡がたくさん見られました

齋藤 これは表紙のラフですね。よく見ると細かい配置の調整を何度もされているのが分かります。ルラルさんシリーズの場合、表紙のまん中に、お話のモチーフが入りますが、今回は魚ですね。表紙はここから最初に決めていくんですか?

いとう そうですね。そこはシリーズのルールとして決めていることですが、その縛りがだんだん大変になってきました。(笑)

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本の冒頭部分のラフ

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完成版はこちら

齋藤 これは中面のラフですね。この段階で、またテキストを微調整したり、レイアウトも細かく決めていくんですね。絵本の設計図という感じがします。

いとう そうですね。たとえば、この絵は左側に要素が多いから、すこし右に移動して余白を多くとろうとか。原画よりも、この段階のラフが自分としては一番愛着があるかもしれないですね。色を塗ったものは、すでに頭の中で整理がされた後のものですから。

齋藤 色の塗り方にはどのような工夫がありますか?

いとう 『ルラルさんのにわ』を出した当時、仕事もそんなに無くて時間があった時は、アクリル絵の具をうすーく伸ばして重ね塗りしてかいていました。だから、すごく簡単に塗ってあるように見えるけど、実は結構時間がかかる塗り方なんだよね。でも今は、簡単に言うと、もっとぐわっと塗っていたりもします。(笑)でも、その手順自体は基本的には変えていません。
ただ、今回の作品は紙が変わった(使用していた画材用紙が生産終了になったため)ので、前は完璧に透明な絵の具を使っていたんだけど、今回は不透明の絵の具も結構使ってしまっています。
そういった変化はあるんだけど、たまに他のタッチでルラルさんをかいたらどうなるのかな? とかも思わないことは無いです。ただ、「ルラルさん」はもう決まったシリーズだから、今度は「クラルさん」とか「クロロさん」とか、そういうので試そうかな。(笑)

齋藤 あののびやかな絵の世界観は、時間をかけた手間を惜しまない塗り方だからこそ、なんですね。

いとう すごく一生懸命やってはいるんだけど、でも、さっきも言ったように、簡単にかいているように思われた方が、嬉しいっていう気持ちがあって。

松永 大変そうに見えないほうが、お話の世界にはすっと入っていけるのかもしれないですね。

いとう そう、僕もそう思っていて。

齋藤 確かに。絵自体に注目し過ぎることが良いとは限らないですものね。そのほうがお話の構造や流れとか、先生が一番感じ取って欲しい部分には、すっと入れるかもしれません。

いとう 他の出版社の担当が、「いとうさんの絵って主張が無いからいいですよね」って失礼なことを言ってて。(笑)まあ彼は、変に印象深い絵だと物語の邪魔になってしまうこともある、ってことを言いたかったんだと思うんだけど。(笑)

齋藤 ちょっと言葉が足りなかったんですかね。(笑)

いとう そう言えば、たぶん野球選手のイチローのインタビューだったと思うんだけど、すごく納得した話があるんです。スライディングキャッチとか、フェンス際でジャンプして取るフライのキャッチとかを、観客はファインプレーだって喜ぶんだけど、あんなのはファインプレーでも何でもないんですよ、って彼は言う。それは確かに見ていて楽しいかもしれないけど、自分にとってのファインプレーとは、守備位置から一歩も動かないで取れるフライのキャッチだと。つまり投球を見て、ここに来るなと予測して、そこに打球が来ると、「やった!」ということなんだよね。そのために数歩だけ動く、それが自分のファインプレーだって。

松永 たしかに高くジャンプしたり、やっと取れた感じのほうが盛り上がりますよね。

齋藤 テレビ映えはするけれど……。(笑)

いとう そのインタビューは「ああ、そうか」と納得しました。


自身の「老い」も受け入れて、「ルラルさん」シリーズが成長している

齋藤 今作の『ルラルさんのつりざお』で、特に大変だったところはどこですか?

いとう やっぱりさっき話したストーリーの構成の部分が大変でした。あとは、つりざおをかくのがめんどくさい、とかかな。(笑)

齋藤 (笑)先生は、つりはするんですか? 

いとう 遊び程度ですけどね。でも魚がさおにかかった時というのは、とてもワクワクする瞬間ですね。

齋藤 自分も数回しかやったことが無いですが、今回のつりざおがぐんとしなるシーンを読んで、あの時の興奮を思い出しました。

いとう あと、苦労というわけではないんだけれど、肉体的にも「老い」を感じるようになってきて、細かいところの色を塗ることが難しくなってきた。昔は、よくそんな細かいところまで綺麗に塗れるね、と人から言われたものですが。若い時はまだ分かんないと思うけど、「見る」ことが大変になってくるんだよね。

松永 わかります!

齋藤 うーん、自分はまだ想像できないですが……。

いとう そうでしょうね。(笑)シンプルな線で表現をしていると、顔の表情なんかの場合、線が0.1ミリずれただけでも、大きく変わってくる。そういったことのコントロールが大変になってきて、今回は自分が「老い」への入り口に足を踏み入れたという変化を一番感じた作品かもしれないです。こんなにかけなくなったのか~という感じで。(笑)
そんな風に、線のかき方や、色の塗り方に関しても変化があったし、やっぱり紙が変わったことも大きかった。それで新しい道具を試したりしていくうちに、シリーズとしての今までのルールをどこまで守らなければならないのか、作品が完成するまでは分からなかったんです。

齋藤 長い間続くシリーズならではの悩みですね。

いとう でも、かいていくうちにだんだんと自分のなかでその変化自体を受け入れても良いか、という気分になってきたんですね。

齋藤 では今回の『ルラルさんのつりざお』は、その状況を受け入れて作品を作っていく、新たな突破口として、重要な転機かもしれないですね。

いとう そうですね。その変化も含めて「ルラルさん」シリーズが成長をしているとも言えますしね。

齋藤 自分の「老い」を認め、受け入れていくというのは、ある意味で未知の領域を楽しんでいくことでもありますね。こどもの視点とも、繋がりますし。

いとう そう、こどもは生きていくすべてが、未知の物との触れ合いですからね。(笑)

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いとうひろしさんのインタビュー、いかがだったでしょうか? 一冊の本が作られるまでのいとうさんの頭の中を覗いているような、興味深いお話をたくさん聞くことが出来ました。これを読んでいる皆さんも、是非いとうさんの絵本の世界で、自由に遊んでみてくださいね!

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インタビューありがとうございました!
今後の作品も楽しみにしています!!

(文・写真/ポプラ社 齋藤侑太)

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ルラルさんのつりざお表紙

『ルラルさんのつりざお』作・いとうひろし
本の詳細はこちら
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2250019.html

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