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すばらしい時間をあなたと


涙が出ると、うれしくなる。

だからいつも分からなくなる。



悲しくて泣いてるのか、うれし涙なのか、悲しいけどうれしい気持ちになりたくて涙が出るのか…

分からなくなる。

多分、全部なんだろうな。

私を少し見つけたようで。
あなたと私は全く違うのに、あなたの中に同じを見つけたようで。
うれしいし、悲しい。

あぁすばらしい。


・・・・・・・


今朝読んだ文章に、涙が出てうれしくなって。「私っていつも涙が出てうれしくなっている」とこの30年間余りを思い起こしてた。


多くの人が思い当たる節はあるんじゃないかな?

映画でも小説でも「泣いた」って感想や「泣ける」って評判はなんとなく嬉しそうに語られる。


みんなは泣きたいのか泣いてうれしくなりたいのか悲しくなりたいのかなんなのか、どうなんだろう、とか考えたりした。


今朝読んだ文章は「自己開示」って言葉をキモチの方角へ明るい方に深掘りしたもので。

こんな言葉があった。

僕は「と」のカギを持った人になりたいと思う。


僕〝と〟君。
私〝と〟あなた。


この〝と〟の話。

「と」、それはふたりの間にある関係性。
一文字から無限に広がる感情の塊。


この文を読んでいて、涙が出た。
当然、うれしくなった。


「あなたと話したい」「あなたと行きたい」
敢えてこんな言葉を使うことがある。
それはちょっと照れくさい。
いや、かなり照れ臭いときもある。
サラリと言えちゃうことあれば、足を肩幅に開いて腕も頭も全身使って振り絞って伝えることもある。余裕があるかないかの違いなんだと思う。
もし自分がそんなことを言われたら、私は自分の真ん中からエネルギーが湧いて溢れてそれこそ涙してしまいそうになるから。
だから〝と〟を使うときは少し力む。いや、結構力む。
この言葉のパワーは呪文とか魔法とかお祈りとかそんなのに似てると思うから、与えるのももらうのも無意識ってあんまりない。


冒頭の涙の話に戻ると。

私は朝から文章を読んだ。
「あぁこれなの、これなの」とこれまでの得体の知れない苦しさを思い出しながら。
〝「と」の鍵を持った人になりたい〟ってストレートな表現の勇敢さみたいなものに心が震えて。
涙が出て。
うれしくなる。
そして悲しくなって、またうれしくなる。


この後また悲しくなるかもしれない。

この悲しさはどこからくるのかな。
叶わない〝と〟への恋心みたいなものなのかな。
この街が好きなのだからここに居たいのって言い聞かせてる冒険者なような…。


真剣にひたむきに〝あなたと〟向き合った先が暗く見えて。いばらの道のような気がしてて。
抜けた先の楽園に辿り着く前に怖気付いて抜け出したくなる自分、それが悲しいのかもしれない。

小学生のとき、150円払って入った蝋人形館が怖くて非常口から出たように…。

大学生のとき、テーマパークのショッカーのアジトに入ったものの途中で引き返したように…。


手を繋いで大丈夫だよって進んでくれる〝あなた〟がいれば最後まで進めるかもしれないけど。
もし手を離されたら…って。
一緒に進んでくれなかったら…って。
途中で諦めたくなったら…って。
もう無理ってなっちゃったら…って。

そんな不安がある私。

それに気づいて、情けなくて、頼りなくて、勇者になれなくって。

ふと、
冒険中の誰かを24時間受け入れる宿屋の店主で居るのがいいのかも、なんて思った。
冒険って本当に大変だからね、うん。

「それもいいね、いつか休ませてよ」
「宿代150円ね」
 とか言い合いながら、あなたと笑い合いたい。

ちょっと悲しい切ないかもしれないけど、その瞬間はきっと全回復うれしい魔法。


・・・・・・・・

今回読んだ記事はこちらです。


ぜひ読んで。
あなたと涙できたら最高!
きっとすばらしい。

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