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Pono#7 自律神経失調症③

②脳(左脳と右脳)と自律神経の関係


簡単に言ってしまうと、
「左右の脳の使い方のアンバランスさが身体のアンバランスさに繋がる」ということです

身体のアンバランスとは例えば左半身ばかり痛みがある、コリやハリがあるというものです

左右のどちらかの体に痛みがあったり、力が入り易かったり(力が抜けなくて固まっている)しているということは常に交感神経が働きすぎているのでそもそもリラックスが出来ない状態であると言え、ゆえに自律神経のストレスを逃がす機能を働かせなくさせている

なので左右の脳の使い方がどちらかに偏っていると、ストレスを逃すことが出来ないので、ストレスが溜まり体の不調に繋がってしまうのです



私たちの頭の中には「脳」が1つあってその脳は「左脳」と「右脳」と対になるように存在しています

まぁ、「お尻」と同じです笑
お尻は一つですけど、右のお尻と左のお尻がありますよね?
脳もそんな感じに頭の中に脳は一つですけど、右の脳と左の脳があって二つで一つなのです

左脳は具体的で現実味を感じさせる脳みそです
形として実際に目に見えるもの、誰が見てもそう判断できるものです
例えば数字、言葉、文字、ミクロな細かいところといった個として分離して認識できるもの
誰が見ても「これは何㎝です!」と言い切れるもの

右脳は抽象的でやんわりしたイメージの脳みそです
音楽の様に聴く人によって捉える印象が違ったり、「直観」で「なんとなく」そう決めたみたいな、なんとなくおおざっぱで曖昧な感じ
感覚的で全体(マクロ)をぼんやり見ているような感じです
「○○みたいな~」、「○○って感じな~」ポワ~~ン、、、

男性、女性の様に左右の脳でそれぞれ別々の役割があるのです

また、脳の特徴として片方が活動的に働いていると、もう片方は静かに黙り始めます(抑制)
例えば左脳が活動的になっていると右脳は活動を控えてる

ただこれが過剰になりすぎると、左右差がありすぎると、
使いすぎと反対の脳への抑制が強まり、さらに機能低下を引き起こしてしまう
この脳の偏りにより体にも偏った痛みを生じさせしまう
もちろん体の偏りにより脳の偏りが助長されるので痛みの悪循環が出来てしまう



「左右の脳の使い方のアンバランスさが身体のアンバランスさに繋がる」
(もちろん逆もしかり)
それによって生じた痛みによって自律神経が上手く機能(ストレス処理)しないので結果、体の不調につながる



まぁ難しい話なのでこんな感じに理解していただければ十分だと思います



では何故脳の使い方に左右差が起きてしまうのか?

発達障害、小児期の育児環境、小児期の虐待、肉体的な外傷既往、心理的な傷害既往、慢性的な有痛症状、心的ストレスなど・・・



【ここからは私の自論と独り言ですw】

まとめてしまうと脳の使い方に左右差が起きてしまうのは考え方の偏りによるものではないかと考えています
左脳も右脳もどちらも大切
どっちが偉くてどっちが劣っているとかはない

二つを一つに上手く連携させて調和させることが脳を効率よく生産的に使いこなすことだと考えています

なので考え方(マインド)の見直しも自律神経失調症をケアする上で大切だと私は考えています


それはつまり、「グレー思考」

曖昧さや、柔軟さ、矛盾さや多角的思考、色々なものを受け入れられる寛容さ
極と極だけを見るのではなくてその中間層に目を向けてみる
その広すぎる領域にはあなたもみんなも幸せになれる答えが見つかるかもしれないから
まだまだ世界は広い、思っているよりもずっと、ずっと広い

確かに心の傷やトラウマと呼ばれるものを解消してからじゃないと難しいかもしれませんが、もっとライトに日常的に(コンビニみたいな感覚で)考えられたらと思うのです
小さな変化からでいいのではないかと

どうしても医療とか専門的な領域に偏って話をすると極の部分がフォーカスされてしまうことが多いと感じていて
でも実際、臨床的には私たちはもっと身近なものを欲していることがとても多いのではないかと日々疑問を持つことがある

アカデミックなものをもっとシンプルにして大衆受けするものにカジュアルダウンできないか?

なかなか重傷でなくては専門の人に見てもらえなかったり、より見える形でないと共感してもらえなかったりと私自身も含めて寂しい思いをしてきました

でも今だから分かるが、未病(病気になる前段階、予備軍)とか、状態が今よりももっと悪化する前に自分でもいいし、誰かがその変化に気づいて寂しい思いをする前に手を差し伸べてあげることが出来たのではないかと
そういった体制がもっとあっても良いのではないかと

人を癒すことに必ずしも道具を使わないといけない訳でもなし、手で触れることさえ必要ないことだってある
言葉一つで人を感動させてしまうことだってあるから

全ての事には人の数だけ、またそれ以上に色んな形があるから

患者側も定期的に健康を診てもらとか、体のメンテナンスをする、カウンセリングを受ける(日本ではマイナー)というのが当たり前のマインドになっていて、治療者側も悪化してから病状を判断するのではなくて、その前、表面上に出てくる前に、その小さな「違和感」に気づける術があるといいなと
(みんなにそうしろと言っているのではなく、私含め興味ある人がやればいいだけなんだけど、結構大事な事だったりするからもう少し一般化されてもいい気もしたりする)

もちろん極もなくてはならないのでそれを否定している訳ではないです
ただ私が言いたいのはそういう層も欲しいよねってこと
そんなに日常的に小さな諦めを持たなくてもいいのになって思うのです
結構みんな簡単に諦めていると思う
もっと出来るよ、もっと本当はやれるんだよって日々思うから

だから「その層こそが大事なんだー!」とまでは熱意をもって言うほどではないけど、ただ私的には控えめにいって「そうゆうのもあったらいいよね~」ってなんとなく思っているのです

そういう層が結構ないがしろにされていて(例えばこんなに股関節が痛いのにレントゲンでは異常ないって言われてじゃあ私はどうしたらいいの?って話される40、50代の女性って特に多い気がするし、それで仕事も忙しいから治療は続けられなくて、本当は旅行に行きたいけど股関節が痛いからって当たり前の様に諦めて行かないみたいな)、どこに行けばいいのか、なんていうキーワードで検索すればいいかとかそれがあるだけで結構安心できたりするのになって
やっぱり不安だから「安心」をみんな求めていると思うし、私は整体やリハビリっていうものは「可能性」とか「未来」が対になっているものだとずっと思っているから

だから私はセラピストとして自律神経失調症などをケアできる存在でいたいし、困った時に頼りになれる「場所」に作っていきたいと思っています
私もそうだったから

「まだ諦める必要はない」し、「今が自分を変える良いタイミング」なのかもしれない

考え方ひとつでも全然体って変わっちゃうもん

「変えなさい!変化しなさい!」なんて言うつもりはない
私はただその時まで見守っていたい

ただもし少しでも「変わりたい」と思ったのなら
過去を見直して「あれ、諦めてたな」と思うことがあったのなら

私はサポートできるかもしれません

コンビニのような「場所」にもなりたいし、最終的に頼れる「場所」にもなりたい

手を使うかもしれないし、声を使うだけかもしれない
あるいは聞いているだけかもしれない

その人に合わせて色んなカードを出せるように
色々な術をお客様のために準備しておきたいと思う

とにかく一緒に幸せになれたらと思います



どうぞよろしくお願いいたします