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青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

世界史の授業で知った憧れの「青の都」サマルカンド。チンギス・ハンに破壊されたものの、14世紀、ティムールによって再建されました。ティムールは軍事の天才で、中央アジア一帯を征服。サマルカンドを帝国の首都と定め、征服地から最高の技術と富を集めました。後継者によって都はさらに大きく青く成長しましたが、17世紀の終わりに1度衰退してしまいます。

意外と青くない

ネットでサマルカンドを検索すると、モスクの天井やシャーヒジンダ廟の壁など、青と金の豪華な写真が目につきます。でも、1991年のソ連時代にサマルカンドの旧市街地に赴いた最初の印象は「意外と青くない」でした。外からみると、屋根はそれなりに青いのですが、外壁は割と茶色です。仕方ないですね、もともと苛烈な気候の地に建てられたのですから。

↓外からみたシャーヒジンダ廟

サマルカンド (2)

すべての道はレギスタン広場に通ず

サマルカンドの中心「レギスタン広場」に向かうと、その印象も一変します。三棟の大きな建造物が、広場をコの字に囲っています。メドレセ、つまりイスラムの神学校です。

15世紀に建てられた「ウルグ・メドレセ」。これを建てたウルグ・ベクは天文学者でもあり、入口には星のモチーフが使われています。次に、ヤラングトゥシュ・バハドゥールによって、17世紀前半に建てられた「シェルドル・メドレセ」。門の上を見ると、深い青のタイルに、虎?が太陽?を背負う姿が描かれています。愛嬌がある姿で、もう少し権力を誇示したいならカッコイイ虎にすれば良いのにと思いました。最後、17世紀中ごろに建てられた「ティリャーコリー・メドレセ」。青いタイルと金箔を使っている特別な装飾らしいです。建築物としても、3つのうちで一番姿かたちが良い感じでした。

私たち10数名以外は土地の人がぽつぽついるだけ。静かに思いをめぐらせました。たしか写真を撮るのが禁止されていて、スケッチをしていたと思います。ソ連時代は宗教が禁止されていて、ここのメドレセは活動ができませんでした。でも、実は崩れかかったサマルカンドの遺跡を修復したのもまたソ連なのです。と、ターニャさんが胸を張って言いました(贔屓でなく本当のことです)。でもお参りに来ている人はいるようでしたし、バザールではイスラム信徒が被る帽子も売っていました。無宗教は建前だと思いました。

建物の内部には入れませんでしたが、ティムールの一族が眠る「シャーヒジンダ廟群」を見て回ることができました。途中、頭にスカーフをまとった女性の一団が通り過ぎ、オレンジ色のゆったりした衣服が、廟の青さに映えました。見上げると空は抜けるように青くて、この空が「青の都」の由来かもしれない、と思いました。

↓目を盗んで撮ったメドレセの中庭。

中庭

それはトイレではありません

タシケントからサマルカンドまで、マイクロバスで往復8時間。荒涼とした大地に舗装されていない道が通り、砂煙を上げて突き進みます。途中、そろそろトイレに行きたいな…と思ったところでトイレ休憩になりました。

バスから降りてトイレはどこ?と見渡すも、道のわきに低木が茂っているだけです。「男子は右、女子は左です」とターニャさんが言いました。まさか?

木の中でトイレをしてください、と紙を渡されました。わら半紙のようなごわごわとしたピンクの紙です。私は生まれて初めて外でトイレをしました。足元に紙が転々と置いてありました。掃除はどうするのでしょう??

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次回はさらっとブハラの町をご紹介します。もう野トイレはなかったよ。(続く)

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