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《概念の分解》仏教ってなんだろう①

こんにちは🌞
今回も、よろしくお願いいたします。

さて、今回のテーマは《仏教》にしました。

宗教という言葉に拒否感の強い時代ではありますが、全ての国の成り立ちとは切っても切れない関係であるのが宗教。
その国の国民性や文化形成に大きな関係のある概念です。

我々日本人に馴染み深い宗教や思想と言えば、神道と儒教そして仏教。
そのうちの仏教を、今回は触ってみたいと思います。
ショート動画などでよく見かける、人生が楽になる方法等々も、ほとんどが宗教の切り抜きです。
日常では関係していないと思っていても、意識しないレベルで浸透しているその国の宗教。

今回はまず、仏教の成り立ちから見ていきましょう。

はじめに

書き始める前に、一つだけお伝えしておきます。
私自身は、神や仏といった人間が作り出した存在は信じていません。
彫刻や絵画に表現される様な、人間と同じ姿形をした存在は居ないと思っています。

ただ、宗教の考え方や世界中で生まれた宗教哲学と哲学は大好きであり、科学では説明出来ない宇宙や地球のプログラムは、あると考えています。
そしてそれらを、【大きな力】や【大いなる存在】と形容する事に、抵抗感はありません。

それを踏まえ、お読み頂ければ嬉しく思います。
それでは、進めていきます。

仏教の成り立ち

仏教は、紀元前5世紀頃のインドが発祥です。
今から、2500年ほど前ですね。

宗教や神様といった概念が生まれたのは、1万2000年前と言われていますので、仏教が成り立つまでには様々な宗教や神様という概念が世界中に広がり、その土地とそこに住む人々と交わり、文化の種が蒔かれていたのだと思います。

【ゴータマ•シッダルタ】
この名前をお聞きになられた方は多いと思いますが、現在のインドとネパールの国境近くにあるルンビニという場所で生まれた、シャカ族という民族の王子と言われています。

父である王の名前は【シュッドーダナもしくは浄飯王】。
母である妃の名前は【マーヤーもしくは摩耶夫人】。

後の、ブッダ。
つまり、仏教の始まりである、釈迦その人です。

ブッダとは、【目覚めた人】という意味であり、釈迦を指す固有名詞ではないのですが、この後は便宜上【ブッダ】で統一します。
釈迦やお釈迦さま、シッダルタという固有名詞が出てきた際には、全てブッダと同一人物であるとご理解ください。

話を、戻します。

シャカ族が住み、ブッダが青年期の終わりまで過ごした城が何処にあったのかは、正確には分かっていません。
ただ、現在のカピラヴァストゥ(カピラ城)と伝わっており、インド北部ネパールとの国境近くである事は、間違いないそうです。

このカピラヴァストゥで青年期を迎えたブッダは、19歳でヤショーダラー(耶輸陀羅)と結婚し、息子ラーフラ(羅睺羅)を授かります。

後に2人はブッダの弟子となり、息子のラーフラは釈迦十大弟子(ブッダの弟子の中でも特に優秀な10人)の一人となります。

結婚をし子供を授かったブッダは、その後29歳の時に出家し、人生の真実を追求しようと旅に出ます。
この29歳までのブッダがどの様な暮らしをしていたのか、どの様な考え方をして物事を見ていたのかなどは、現代に生きる我々にとっては想像するしかないのですが、ご興味がある方は【四門出遊】で調べて頂くと、ブッダの青年期を見る入り口になるかと思います。
その際には、バラモン教とカースト制を前提条件としてお持ちください。

旅に出たブッダは、3人の師と巡り合い、それぞれと時間を共にし修行に明け暮れますが、ブッダが思う真実とは異なっており、師からは離れ苦行に励みます。

この当時の苦行とは、断食や水に潜り息を止めて耐える等、自分の身体を痛めつける事によって非日常に意識を置き、そこから何かを得る事を目的として行われます。
テレビ等で見た事がある方もいらっしゃると思いますが、素足で火の上を歩き抜ける等々現代にもその面影が残っています。

そうした苦行を6年間続けたブッダは、ある日痩せ細り疲れ切った身体をナイランジャナーという川で洗い清めていました。
その際に、乳粥(ミルクのお粥)をお布施として、受け取ります。
そのおかげで体力を回復したブッダは、菩提樹の下で瞑想に入り、悟りに至ったとされています。
ブッダ、35歳の時です。

余談ですが、ブッダに乳粥を贈ったのは、近隣に住む女の子で、名前をスジャータと言いました。
聞き覚えがあるかと、思います。
そうです。そういう事です。

さて、悟り、すなわち世界の真実に至ったブッダですが、当初は『今の世の中の考え方や常識とは逆行している為、他の人には伝わらないだろう』と考え、人々に自分の考えを伝える事には消極的だったと言われています。

ところが、梵天サハンパティに衆生(この世に生きとし生けるもの)に解くよう説得され、この後自分の至った考えを世に広めるべく旅を続けました。

この梵天とは、仏教の世界観にある梵天界の主で、高位の存在です。
実在したのか仏教の教えにだけ存在する物語の一つに過ぎないのかと言った話は、梵天に限らず今は触れません。

ただ一つ言える事は、実は仏教にスピリチュアル要素は、ありません。
ドン引きするくらいの、超ロジック構造です。
ですので、今回のテーマで辿り着きはしないと思いますが、仏教というロジックな考えを説明するにあたって、何かしらの必要性がある存在なのだと頭の片隅に置いて頂ければと思います。

またまた余談ですが、仏は4つの位に分けられています。
【如来】【菩薩】【明王】【天】です。
この呼び名は、役職的なものだとご理解下さい。
この前に付く言葉が、名前に当たります。

如来であれば、大日如来や薬師如来。
菩薩であれば、地蔵菩薩や弥勒菩薩。
明王は、愛染明王や不動明王。
天は、前述の梵天、馴染み深い天であれば、帝釈天(たいしゃくてん)でしょうか。

伊達政宗の幼名が【梵天丸】である事を考えても、やはり仏教は日本に馴染んだ宗教である事が窺えます。

話を戻します。

悟りに至ったブッダは、その後40年間以上を教えを広める旅に費やし、80歳で入滅します。
(仏教では死を入滅と言い、ブッダの死を仏滅と言います。)

教えを広める旅を始めてからの4年間程と入滅の直前1年間程以外は、資料や文献が残っておらず、想像する事しか出来ませんが、当時の考え方のベースであったバラモン教からブッダが説いた教えに移った人々の数は多く、それを考えると時代が求めた内容であったのだろうと思われます。

特に、既得損益の上位に位置する王族も多数ブッダの教えに賛同しています。
考え方の変化によって自分の立場上のデメリットが発生する筈の人々が賛同している事実は、ブッダの教えの内容がよほど納得出来るものであったのではないかと想像出来ます。

ブッダの死後、その弟子達が教えを形にしていく事になるのですが、当時はまだ【紙】がありません。
バナナの様な大きな葉っぱに文字を書いていましたが、有機物ですので当然保存は出来ません。

また、ブッダ自身も記録や言葉を残す事には消極的であったと言われています。
可視化出来る言葉として認識する事で分かった気になってしまい、本当の理解から遠ざかってしまう事を危惧したのかもしれません。

その為、口伝を主として教えは広まっていき、ブッダの弟子達は教えを広める事とその実践、そして信者が増えたコミュニティの運営を行っていきます。

ブッダの教えが広まれば広まるほど、ある種の矛盾が生じ始め、その対応も大切なものでした。

例えば、ブッダが遺した言葉の一つに《布一枚を衣服とする》があります。
布一枚とは、今のタイなどの僧侶の格好を思い浮かべて頂ければと思います。
40代以上の方であれば、【ビルマの竪琴】の格好を思い出して頂ければ、分かりやすいかもしれません。

この格好は、ブッダが活動したと思われる温暖なエリアであれば大丈夫ですが、インドより北や東に行った寒冷地もしくは冬がある地域になると、過ごす事は出来ません。

その為、『ブッダの教え通りに布一枚で過ごすべき』という考えと、『いや、ブッダは質素に暮らしなさいと仰っただけで、寒さに耐えなさいとは仰っていない』という考えが生まれます。

当然、ブッダが『寒いけれど服を着るな』とは言う筈がありませんので、ケースバイケースで対応すれば良いのですが、人数が増えたりブッダを神格化し過ぎると、話は単純ではありません。

これに対応する為に、各地域の指導者達が話をまとめ指導をします。
そして、その指導者達が一同に集まり、教えの内容や前述の矛盾等を加味して、目線合わせをする場も設けられる事もありました。
これを【結集】と呼び、ブッダの死後現在までに、6回行われています。

結集は最大規模ですから、なかなか開催も困難だった筈ですが、小さな規模の目線合わせの場は、定期的に行われていたのではないかと思います。

そういった組織運営を行いつつ、ブッダが到達した悟りの境地へ辿り着こうと、多くの弟子達が修行を続け、またブッダの残した言葉から悟りへの手がかりを得る為、分解と考察と実践を繰り返し、仏教は形を整えていきます。

今日の我々が触っている仏教は、こうした先人達の弛まぬ努力と研究によって可視化可能になったものです。

ただ、考察と研究が進むと、個人によっての解釈が異なり、派閥を生む結果となります。

大きく分けますと、ブッダの教えを守り自分自身の完成を目指す派と、ブッダが目指した【衆生の救済】つまり生きとし生ける多くの者達を悟りに導く事を目指す派です。

どちらも、ブッダが至った【悟り】を最終的な目的とはしていますが、【衆生の為、まずは自分を考える】と【衆生の為、自分より他者を考える】の違いがあります。

後者の考えは、後に大乗仏教(だいじょうぶっきょう)と呼ばれる様になり、【大きな乗り物】という意味で、出来る限り多くの人を救う事を目的にしています。

中国経由で日本に伝わった仏教は、この【大乗仏教】であり、日本人に【自分一人が、まず幸せになる】よりも【みんな全員で幸せになろう】というニュアンスが好まれるのは、ここに始まりがあるのかもしれません。

周りの大多数よりも、一人儲けている人物がいた場合の嫉妬や嫉みにも通じるかもしれませんが、人を妬み嫉みする事は、何よりも仏教の考え方からは外れます。

この様に、インドで数百年に渡り進化を続けた仏教は、アジア全体に広まっていき、前述の通り大乗仏教は中国へ辿り着きます。

西暦600年代に、中国の僧侶がインドに向かい、さまざまな苦難を乗り越えて、数多くの経典を持ち帰り、残りの人生を全てその翻訳に費やします。

この偉業のおかげで、ブッダの死後インドの天才達が生み出した、新たなる概念【空】と【唯識】が日本にも伝わります。

【空】でまず思い浮かぶのが、【般若心経】ですが、この【般若心経】を翻訳した方の一人も、前述の自らインドに向かった僧侶です。

名を、玄奘三蔵。
日本では、三蔵法師という呼び名で親しまれています。
【西遊記】は、玄奘三蔵のインドに向かう旅がモチーフになっています。

仏教が日本に伝わったのは、諸説ありますが西暦538年。聖徳太子の時代に、百済(現在の朝鮮半島)からであると言われます。
その後、日本古来の自然信仰を支持する物部氏と、新しく伝わってきた仏教を支持する蘇我氏との戦いが起こり、蘇我氏が勝利する事で仏教が日本に根付き始めます。

時代が進むにつれ、仏教と政治は密接に混じり合い、権力を生んでしまう結果になる事もありましたが、平安時代には最澄と空海、鎌倉時代には法然 親鸞 一遍 日蓮 栄西 道元といった指導者達が現れ、仏教は一部の支配者階級だけのものではなくなり、広く民衆に受け入れられました。

その後は、日本全体で見ると大きなイノベーションはありませんでしたが、民衆の中に溶け込み日本文化や国民性に大きく影響し続ける事となります。

次に仏教が歴史の表舞台にたったのは、1500年代の戦国期、織田信長と10年以上も争い続けた【一向宗】かと思います。
細かい話は省きますが、【本願寺顕如】の名前をご存知の方も、多いと思います。
最後は和睦し、後に顕如は西本願寺として、息子の教如は東本願寺として、別々の道を歩みます。
現在は、一向宗ではなく【浄土真宗】と呼ばれています。

この頃になると、仏教は国の成り立ちや支配者階級が利用するものというよりは、庶民の心の拠り所といった色が強く、江戸幕府成立後は武士は儒教、庶民は仏教といった様に、必要に応じた場所に収まった感があります。

お寺が葬儀を執り行う様になったのも江戸時代からの事で、住民はその地域のお寺の檀家として登録され、今の住民課の機能も有していました。

これは、信長が本願寺と争っていた事を目の当たりにし、また自分自身も一向一揆に悩まされた経験を持つ【徳川家康】が、【葬儀】という【お寺の収入】を【用意】する事で、一宗教に権力を集中させない様にシステム化したのではないかと考えられています。
ある一定の収入が入ってくるのであれば、わざわざ権力者に対し反旗を翻す事はないだろうという話ですね。

現代の日本仏教が、【葬式仏教】と揶揄される始まりと考えますと、皮肉な結果だなとは思いますが。

以来、仏教は民衆の生き方や迷いや悩みに答えを出す役割を担い、法律とは違ったアプローチで人々の行動を正しく、社会の一員として過ごせる【思考回路】を伝えていく事となります。

犯罪抑制や社会コミュニティでのルール作りは、【法】だけでは限界があります。
法で縛り過ぎれば不平不満が出ますので、各個人が自分で言動を考える思考回路は必要不可欠です。
その思考回路を作り上げるベースとなったのが、日本の場合は【神道】【儒教】【仏教】であった訳です。

この3つのベースは、日本の場合混じり合っています。
仏教には、もともと先祖供養という概念はありませんが、葬式やお盆、お墓参りと言った儒教から影響を受けた考えが文化として根付いています。

今も昔も、外から入ってきた概念や文化をカスタマイズして、自分達なりに表現する事が得意な民族の様です。

二次世界大戦が終わるまでは、そうやって日常の中に溶け込んでいた仏教ですが、戦後高度経済成長期を迎え、【働けば豊かになる】事と【文明の発達】によって、仏教の実用性を見落とす時代となります。

【物質的な豊かさ】と【精神的な豊かさ】は、全く違うものですが、お金を稼ぐ事で【精神的な豊かさ】も手に入るという勘違いを、日本人はしてしまいます。

それに加え、新興宗教のテロ行為、アメリカの911をきっかけに、【宗教=悪もしくは極端な行動】という概念が生まれてしまい、現代の日本においては、宗教という言葉自体にネガティヴなイメージが付与されてしまいました。

さて、今の時代宗教とは必要なのでしょうか。
そもそも、宗教はどの様な役割をしているのでしょうか。

次回は、【精神的な豊かさ】を題材に、仏教の内容について掘ってみたいと思います。

今回のテーマ《仏教》は、5回程に分けての投稿となるかと思います。
次回もまた、お付き合い頂ければ嬉しく思います😊

本日も、ありがとうございました。
それでは、また!

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