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暗闇を泳ぐ 〜前編〜(ポーランド・クラクフ)

クラクフでの生活も慣れてきた。3日目ともなると街や国民のことが多少は分かってくる。

カップルの多さ

これはポーランドに限った話では全くないが、男女で歩いている組が圧倒的で、至る所でチュッチュしてる。
改めて日本の街中で見かけるカップルの割合を思い返すと、その未来を悲観せざるを得ない。

みんな流暢に英語を話す

当然僕はポーランド語を話せないので、英語に頼るしかない。最初は英語が通じるか不安だったが、杞憂だった。恐る恐る早口なポーランド語を話す人に英語で声をかけると、メッッッチャ流暢な英語で答えてくれる。しかも例外はほぼない。

何故なのか気になってポーランドに留学していた友人に聞くと、色々な理由が考えられるが、どうやら旧社会主義国であって国力に乏しいため、安くて良質な教育がされているそう。英語を基盤に国際競争力を高めているのか🤔 (勿論言語が似ているから、とか出稼ぎに必要だからとも言える)

とにかく、この点からも日本の未来を悲観せざるを得ない。

『シンドラーのリスト』の世界

そんな話は置いといて、元々ポーランドに来たかったのはアウシュビッツ以外にも、旧オスカーシンドラー工場と旧ゲットーを訪れたかったから。クラクフはそのロケ地でもあるのだ。

簡単に…
オスカーシンドラーはナチスの党員であるにも関わらず、強制収容所の人々を自分工場で雇い、多くの命を救った人。
ゲットーはWWⅡ時にナチスが作ったユダヤ人強制居住区のこと。

いざ旧オスカーシンドラー工場へ

まずはシンドラーの功績というよりは、ドイツのポーランド侵攻からポーランドがドイツとソ連に占領され、同時にクラクフもその占領下になった歴史が中心となって、武器の展示を交えながら見学が進んでいく。

中盤にはナチスのプロパガンダに使われた実際の品が展示されている。さらにゲットーでの生活についての展示もされていたり、当時の様子を理解することもできる。

終盤に『シンドラーのリスト』を彷彿とさせる展示品がされ、あのユダヤ人を救った琺瑯鍋が所狭しと隙間なく展示されている。
これらが多くの命を救い、その琺瑯鍋の数に圧倒され終始鳥肌が立っていた。劇中でシンドラーが自分が今まで贅沢をしていたモノと引き換えに何人の命を救えたかを絶望し泣き崩れたシーンと相まって、救われた命の喜びと救われなかった命の悲しみの狭間にいるような心持ちになった。

そんなことを考えながら見学終了。前日のアウシュビッツとは違い、空気は重くなかった。

お次は旧ユダヤ人ゲットーへ

旧オスカーシンドラー工場から歩いて5分ほどすると、英雄広場に到着。椅子が綺麗に並べられていて現代アートにすら見える。実はこれ、橋一つ挟んだ所に位置する歴史的なユダヤ人居住区のカジミェシュ地区から、ナチスに強制的にゲットーに移動させられた子供たちが椅子を持ってきたことに因んで展示されているらしい。

曇天だったことも相まって雰囲気が重い。そんな中、椅子の上にささやかに手向けられた花は考えさせられる。

どうやらヨーロッパではその過去が大きな傷として深く残っていて、学校では人権問題等の教育が徹底されているらしい。
特にドイツはその関係で多くの移民を受けている。ドイツだけが悪い訳ではなくて、他のヨーロッパ諸国がユダヤ人をドイツに差し出した事実が判明し、全体で償っていく必要があるというのが最近の見方だそうだ。

絶えることのないどんより感

本当に雰囲気が重い。ポーランドに来てからというもの陽を浴びていない。
街を散策すると鳥が頭から血を流して死んでいたり、建物もボロボロ、人気もあまりなく、人々の表情も何だか冴えない。
ここでどんな生活をし、どれだけの人が殺され、強制的に英雄広場に集められ、収容所に送られたかと思うと、とても明るく振舞おうとしても難しい。

ただ、ずっと暗かったわけではなくて

日本のラーメンがこんな所にもあって「ここの人もkotteriで食べるのか笑」とクスッと笑わせてくれる一面もあった。

ちなみに元々ゲットーは壁で囲われていて、ほとんどが現存しないが一部残っている。一種の嘆きの壁とも言えないかな、なんて思いながら見ていた。

後編では現ユダヤ人地区、カジミェシュとヴァヴェル城について書きます〜
お楽しみに🙄


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