才能が無いなら才能を鍛えれば良いんじゃないか?
■努力する才能とかも別に要らないってかよく分からない
もはやその正体が何なのかよく分からない、
【才能】
この言葉。
「私は煌めく才能なんか持ってなかった。しかし努力する才能は持っていた!」みたいな話を聞いたって、結局それって立派に才能持ってんじゃんって話になってしまう気もします。
「努力する才能を持っていた!継続する才能を持っていた!諦めない才能を持っていた!」と言われても何かまぁ、綺麗事の類に思えてしまうな~と。
才能ってのが周りが勝手に言ってる事、思ってる事、結果論でそう見えてるってだけだったら、
「才能あるよね!」
って言われる側の人間はウンザリするかもしれません。
「こっちがどれだけ積み重ねてきたと思ってんだ!どんだけ悩み苦しんだか分かってんのか!いつ潰れてもおかしくないプレッシャーだってあるんだぞ!それを安っぽい言葉で一括りにするな!何の努力もせず成功してるみたいに思うとかふざけるな!」
なんて怒ったとしても無理はない。軽率、無理解、絶望的な壁がありそうです。
だったら「そうなんだよ!ほんと恵まれてるんだよ!才能あるんだよ!」ぐらいに爽やかな方が、色々こじれなくて良い気もします。
実際問題、持つ者と持たざる者、その二者はいると思うし、どうにもならない現実を見せつけられる事は全く珍しくありません。
凡人が出来ない事をいとも簡単に実現してしまう、飛び越えてしまう、別種の生き物にしか見えない、そういう人間は確かに存在します。
努力する才能ってものにしても、事実、有り得ないほどの量を積み重ねて己を高める人がいるし、その様を見てるだけで心が折れそうになる、と言うか、バキバキに折れても不思議じゃない。
いざ目の当りにしたら【努力する才能】ってものが本当にあるんだと認識せざるを得なくなりそうです。
「うだうだ言わずやれ!出来るまでやるんだ!」と言われても「いや無理っしょ.....」って辟易してもおかしくない。
と、すでに何だかよく分からなくなってる気がする、才能ってやつ。
その所有者、該当者になりたいと期待する、志すとして、
「何でもすぐ身に付けられる能力を持ちたい!」
となるのか、
「地道に理想を実現する力を持ちたい!」
となるのか、それだけでも随分と話が変わってくるように思えます。
前者の能力を期待するってのは正直、「アホ!んな都合いい話があるか!漫画じゃねぇんだぞ!」と突き放したくなりますが、意外と間違った発想ではない気もします。
「凡人的な認識と考え方を捨てろ!常識に縛られるな!全く違う発想を持て!人間のポテンシャルそのものを利用できるようにしろ!」
こういう風に自らを変えていこうとするのは、そこまでおかしな方向ではないですよね。
まぁ、それがあっさり出来たら何も苦労なんかしないし、それを自覚的にやろうって時点で凡人的なのかもしれませんが、
「上手く行かない人間達と同じ事なんかするな!」
「ガチガチに固まり縛られた自分を壊せ!」
「精神を自由のまま解放しろ!」
少しずつでもこれを実行できるようになったら、それは本当に変わっていきそうですよね。
自分で自分にリミッターかけすぎて何も上手くいかない、無駄に遠回りしちゃってる、本当は出来る事なのにブレーキかけて出来なくなってる感じって珍しくない。
それを壊さない限りどうにもならない、その現実に早く気付くべきだと言うのは、姿勢的にもメンタル的にも意外と分かりやすい話な気もします。
そして後者、
「地道に理想を実現する力を持ちたい!」
これは簡単っちゃ簡単だし、単純な話だとも思います。
地道にやっていくならまず体力を付ける。気力を養う。大まかでもいいからプランを立てる。出来る事をやる。やるべき事や必要な事は何かを考える。少しずつでも進んでいく。疲れたら寝る。休む。そしてまた始める。
とまぁ、まさにコツコツってやつ。
「それが出来ないんだよ!」って話になりそうでもあります。
でもだったら、
「出来ないからこそ出来るようにしようよ!何で出来ないのか考えようよ!今出来る事だけやろうよ!」
「どうしても無理なら続く事だけやればいいよ。勝手にやりたくなるものだけでいいよ。好きな事だけでいいよ。」
と、重い覚悟、軽いノリのいずれにしても、
「前進さえしてりゃ問題ない!」
それで良いんじゃないかと。
さてはて、
「何でもすぐ身に付けられる能力を持ちたい!」
「地道に理想を実現する力を持ちたい!」
この前者と後者。
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