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その「生きづらさ」はどこにあるのか、それを考えてみた。

今週読んだ本は、21歳で芥川賞を受賞した「推し、燃ゆ」です。

『「生きづらさ」という言葉が、具体的に何を指しているのかがわからない』
と言ってたら、オススメされたのがこの本です。

【あらすじ】
高校生の主人公あかりは、生きることに難しさと重さを感じて、それを抱えながら生きている。

直接は語られないが、発達障害を抱えているような描写もある。

勉強は全くできない、
アルバイトは失敗ばかり、
家の中、家族の中でもストレスを感じている。

生きることは苦痛で、自分の"推し"のことを考えているとき、その"推し"のために何かをしている時間だけが、”生きる"ことを感じることができる時間だ。

その"推し"がファンを殴った、そして最終的に、、、

という内容の話。

【感想】
いい本でした。
わからなくはないけど、抽象的でとらえどころのない「生きづらさ」とは何かを考えるためのきっかけとしてはとてもいい一冊です。

「生きづらさ」というまだ十分に言語化されていない"新しいリアル"を重さという肌感覚で感じとれることができた。

【この本から得た具体的な行動】
すごくいい機会なので、その「生きづらさ」を具体的にすることを目的に、ひとつひとつ言葉にしていこうと思います。

1.「生きづらさ」はどのような問題なのか?

「生きづらさ」とはそもそも問題なのだろうか?

正直、私は「生きづらさ」が何なのかはわからない。
やはり「生きづらさ」という問題があるとは思えない。

少なくとも「生きづらさ」は具体的な問題とは言えない。
問題は具体的でなければ、具体的な手段がとれないので解決することはできない。
解決できないということは、具体的ではないということで、それは「生きづらさ」はそもそも問題ではないことになる。

とはいえ、世の中に「生きづらさ」がないとはさすがに言い切れないので、とりあえずは「生きづらさ」という新しいリアルがあるんだな、というスタンスをとってみる。

2.その「生きづらさ」はどこにあるのか?
次のアプローチとして、その新しいリアル「生きづらさ」はいったいどこにあるのだろうかを考えてみる。
そうすればこの「生きづらさ」を少しは具体的にできるかもしれない。

この「推し、燃ゆ」で言えば、主人公あかりの中にあるそれが「生きづらさ」の正体なんだろうか?
例え、あかりの中に何かがあったとしても、それが「生きづらさ」そのものだとは思えない。
明確な描写はないが、あかりの中にあるものはそれ自体はおそらく(現時点では)解決することができない。

じゃあ、結局解決できる「生きづらさ」はどこにあるのか?

結論としては、

この「推し、燃ゆ」の主人公あかりの「生きづらさ」は、あかり自身にあるのではなく、あかりと他人や社会との接点にある。

「生きづらさ」はどこにあるのか?
そう問われれば、個人と社会との接点にあるという答えが一番しっくり来る。

3.そう思うと「生きづらさ」は解決できるかもしれない

自分の中にではなく、他人や社会にだけでもなく、自分と社会の接点にある。
具体的な問題はその個人と社会の接点にある。
自分の中や、他人や社会ばかりに意識が向き、その接点から意識が外れてしまえば、その具体的な問題はすべて抽象化して見えなくなってしまう。

おそらくそれが「生きづらさ」の正体だ。

意識する先を、自分ではなく他人や社会でもなく、自分と社会との接点に向けてみる。
そうすれば、「生きづらさ」という抽象化された問題は具体化されて、ただの"困ったこと"として目の前に現れる。
困ったことはたんたんと効率的に解決していけばいい。

困ったことはたくさんある。
まぁ嫌になるぐらいあるが、解決していけばいいのでそれぐらいはなんとかなる。
そう考えるとは、「生きづらさ」という問題はない。

ファンを殴った"推し"がどうなるのか?
もしあかりの意識が"推し"から外れて社会との接点に向かったら時どうなるのか?
そんなifと、個人と社会の接点が具体的には何かと考えながら読むと「推し、燃ゆ」が面白くなる♪


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