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スタートアップの会社が編集力で「地域創生」という社内事業を立ち上げるまでの道のりと裏話

私たちは、企画編集力とデータ知見を武器に起業した会社であるということは、以前このnoteでもお伝えしたのですが、人知れず行っている取り組みに「地方活性化」があり、今回はその事業を立ち上げるまでの道のりを話したいと考えています。

弊社で取り扱っているもっと王道の仕事−−--ファッションブランドや大手ナショナルブランドとの実績を先に書くべきかもとも思ったのですが、私自身のヘボい、けれど熱い想いだけで「地方創生」というまったく新しい分野に突き進んだ経験を語ることで、

自分でビジネスを立ち上げたい、新しい事業に挑戦したい、けれど何から始めていいかわからない状況で、どう進めていったらいいかと悩んでいる方々に、少しでも勇気が湧くきっかけになったり、参考になるのでは? と考えたからです。

なぜ地方創生という新しい分野に手を出そうと思ったのか?

弊社は2016年1月に起業。

私自身がファッション誌の編集長をしていたことや共同ファウンダー&CEOもメジャー代理店&ファッション系ECのベンダー会社への入社経験もあり、起業直後から多くのファッションブランドや出版社からお声がかかり、

コンテンツマーケティング及び、DX化するためのコンサルティングを主な事業基盤にしていました。順風満帆な滑り出しでしたが、SDGsが活発に叫ばれ始めた2018年。

消費のイメージが強く、また廃棄問題を抱えるファッション業界だけではこの先難しいのではないかという経営判断のもと、ファッション以外のジャンルの幅を広げるだけでなく、まったく新しい事業を立ち上げようというミッションを掲げました。

なかでも、私のミッションは新しい事業を立ち上げることでした。
雑誌メディアという特性上、ターゲティングやブランディング、マーケティングはやってきたとはいえ、あくまでも「編集者」としての経験しかない私です。

編集者の私が、どうやったら事業を立ち上げられるのかまったく想像がつきません。

毎日何冊もの本を読み漁り時代を捉えようとしたり、業界イベントに参加し新しいネットワークを無理やり広げようとしたり、まったく継続しなさそうな事業提案と計画書を書いてみたり……。

当時読み漁った本は、これの5倍以上

新しい事業を立ち上げるアイディアだけでなく、そのために必要な資金をどう捻出するのか? 人手は? ノウハウは? という問いの前で、どう踏み出せばいいのかわからず、デッドエンドに陥って、会社を辞めようとさえ思ったほどです。

実際、CEOを呼び出し「辞めたい」と言いました。

いま思えば笑えますが、そのときはお先真っ黒の暗黒の日々で、時間ばかりが過ぎていきました。打破できたのは、「私は編集者だし、編集しかできない」とある意味開き直ったからです。

話は少し飛びますが、自分の生まれ故郷である島根県津和野町は、山陰の小京都と呼ばれる城下町。白壁が並び、お堀には鯉が泳ぎ、大変風光明媚な場所です。

昭和50年代には、雑誌『non-no』や『anan』で特集が組まれ、観光客で多いに賑わっていたことを、子どもの頃の私はよく覚えています。

朝靄に包まれる津和野町の殿町

ところが、大学進学で上京し、大人になって地元へ帰省するたびに、シャッター通りが増え、若者が減り(自分もその一人ですが)、どんどん寂れていく町を目の当たりにし、「いつかこの町の賑わいを取り戻したい」「こんなにきれいなのになぜ人が来ないのか」「退職したら、いつかは町の何かに携われたらいいな」となんとなく思っていました。

その想いを、このデッドエンドにぶち当たったときに思い出し、編集視点で
できることはないのだろうかと考え、徹底的に調べ始めたのです。

他地域の真似をそのままではなく、目的を追求した先に見えてきたもの

2024年元旦に起こった北陸大震災による火災で消失してしまいましたが、かつての輪島の朝市には観光客が魚を買ってその場で食べられるような場所や仕組みがあり、それを津和野のケースでは野菜マルシェとして野菜の販売や地元の商工会婦人部を巻き込んで惣菜を売ったらどうかと考えをめぐらせたこともあります。

地元のタクシー会社と連携した甲府のワイナリーツアーのようなケースを、酒造めぐりに変換できないかなど、過去に数多くの旅をしてきたなかからヒントになるような設計を津和野に置き換えて、たくさん考えました。

しかし、すでに津和野町で先人がやって失敗した(と思われる)ケースや、先行投資やPRにお金が相当かかりそうなケース、30年近く離れていた地元の人を説得して巻き込むには困難なケースばかり。しかも東京からどっぷり拠点を移して、ジョブチェンジしないと実現しないスキームでした。

そこで、目的と手段をもっと分解する必要があると考え

1.マルシェや酒造めぐりツアーを提案したい、そもそもの目的とは何か?
2.先行投資をなるべく抑え、編集視点を最大限生かしてできるスキームはないのか?
3.東京と島根の2拠点生活だからこそ実現できる方法はないのか?

この3つを紐解くことにしました。マルシェや酒造めぐりツアーは、いってみれば手段であって目的ではありません。そういうものを通して私が実現したいものとは?

答えは、津和野町の経済の活性です。

仕事がない 若者が都会に出る いまある仕事の担い手もいなくなる 事業者が減る 納税者も減る 町の問題を解決するプロジェクトが進まない 寂れる

この悪循環を少しでもなくして、津和野という町の魅力をもっと知ってもらい、多くの人に来てもらうことで、津和野町を活性化させる。そのために私の編集力や企画力を使うことが目的だと気づいたのです。

つまり、津和野町の各事業者さんが限られた商圏の中で供給を行うだけの現状から、もっと商圏を広げられれば、継続と成長を目指すことができる、そしてそれはお店という販路しか持てなかった時代ではなく、デジタル化された社会のいまだからこそ可能になると。

そのためには、津和野町の事業者さんたちがつくるもの、土地の魅力の優位性を価値あるものに変換してコンテンツ化し、市場に提供すれば、津和野町の経済はよくなるのでは? と。

コンテンツ化するなら、編集経験は存分に活かせます。

とはいえ、いきなり津和野町のサイトをつくっても、PRしなければ誰にも見てはもらえません。PRには膨大なお金もかかります。

そこで目をつけたのが「ふるさと納税」です。

ふるさと納税のスキームと寄附納税者を徹底研究

ふるさと納税は、東京や神奈川、大阪など都市部に集中している住民税を、地方にも分配する仕組み。しかも、自分が選んだ自治体に住民税の一部を支払うとお礼の品が届くというものです。

ふるさと納税であれば、すでに仕組み化されているので、大きなスキームを考えたり、ゼロから始める必要もなければ、2018年時点で4000万人以上の人が利用していたので、サイトをPRする必要もありません。

その頃の津和野町は、ふるさと納税の寄附総額が2000万弱程度。この寄附金額を「編集目線」で改善すればもっと増やせるのではないかと仮定し、津和野町の返礼品についてリサーチしまくりました。

・すでに返礼品として並んでいる商品にはどんなものがあるのか
・返礼品になっていない、まだまだ魅力ある特産品はないかどうか
・他の自治体の返礼品には何があるのか
・他の自治体にあって、津和野町にないものは何か?
・逆に、津和野町にあって、他の自治体にないものは何か?

強みと弱みを徹底的に研究し尽くし、マーケティング分析を行いました。

さらには、ふるさと納税を利用している人たちはどんな人なのかを分析。
これは総務省がある程度レポートしていたりするのですが、都市部に住んでいる人がほとんどでしたので、今度は都市部の人たちが「欲しい」「魅力的だ」「ちょうどいい」と思うものはどんなものかを掘り下げていきました。

その時、参考にしたのが、総務省で行なっているアンケート結果です。


ふるさと農政先を選ぶ基準について/総務省まとめ

このアンケート結果を見ると、自分と縁のある場所云々よりも、返礼品が魅力的で、お得感があれば、84%以上が決済しているということが証明されています。

となると、大前提として、返礼品を魅力的に見せることが必要です。

津和野町と、ふるさと納税寄付額10位以内の自治体を比べながら、仮説を立て、ひとつずつ確認をしていきました。

その結果出た魅力的に見えるための条件が以下の3つです。

1.パッと見てすぐにわかる美味しそう&高そうな写真や興味を惹くデザイン
2.都会のライフスタイルに合った量
3.他にはないオリジナルな提案

①についての違いは、当事者になかなか気づいてもらうのが難しいので、クイズ形式の資料に落とし込みました。
そのときに使用したのが、津和野町で出品していた肉の写真と、ふるさと納税で一番人気の肉の写真。2枚を並べて見せました。

津和野町の肉の返礼品(左)と一番人気の肉の返礼品(右)の写真を並べてクイズに

また原稿に関しては、もともと書かれていた意味不明でツッコミどころ満載な原稿と、書き直しをした原稿を並べ読んでもらい、どちらが価値がありそうかを考えてもらうようにしました。
それが以下です。

以前津和野町で掲載されていた原稿(左)と書き直した原稿(右)を比較

②ついては、都市部の平均的な家庭のライフスタイルを伝えたうえで「便利・手軽」「小型」「出しっぱなしでもなじむデザイン」としてプレゼンしました。

便利・手軽・小型を具体的に説明するとーー

例えば、どの自治体にもあるようなお米とお茶を例にとってみると、お米一升を返礼品に出している自治体は結構あります。

が、田舎の暮らしでは、一升の米を置いておく倉庫や車庫はあっても、都会の1〜2LDKの暮らしでは、米一升を置いておく納戸すらない家も多くあります。

お茶の葉に関しては、ゆったりと時間が流れる田舎暮らしは、茶葉を急須に入れて飲み、茶葉を捨て急須を洗うなどたやすいため、量が入っているほうがお得感があります。

しかし、時間に追われた慌ただしい都会暮らしでは、お得感もさることながら茶葉はティーパックに入って捨てやすく洗いやすいほうがいい。

パッケージに関しても同じです。納戸や食料棚がある広い田舎暮らしと違って、キッチンには閉まっておけない缶やお菓子、お茶のパッケージを目に見えるところに置かなくてはならない狭さが都会暮らしにはあります。

そのため、味ももちろんですが、パッケージもおしゃれなほうが、キッチンの見えるところに置いておくには見栄え的に選ばれがちです。

これらは、一旦津和野町というのどかな町を離れ、都会に出て30年も住んだからわかる都会の目線です。

ということは、編集視点で量の見直し提案、パッケージの改善提案ができそうです。

③の他にはない提案については、他の自治体にはあまりない、津和野での鮎釣り体験や子どもキャンプ、朝霧(雲海)、SL、星空などを返礼品化する案を書きました。

意気揚々と乗り込んだ先に言われた言葉とは?

その後、津和野町役場に電話をかけ、ふるさと納税の担当者にアポを入れ、帰省と合わせてプレゼンに。意気揚々と役所に乗り込んだのです。

しかし、結果は……惨敗。

担当者に「わかります。でも自分たちの仕事は、ふるさと納税だけではないんです」と一刀両断されてしまいました。

打ちのめされました。帰省に合わせたとはいえ、目的はほぼプレゼン。完全にOKが出るものと思い込んでましたから…。

でも、それで引き下がるわけにはいきません。なにせ、50ページにもわたる壮大な、そして愛を込めまくった資料です。

「川下と話をしても、話にならない。上流を押さえにいこう」

そう思った私は、町長宛てに想いを込めた手紙を書き、資料を送付。
さらには、四方八方手を尽くして町長のメールアドレスを手に入れました。

そのうえで、またもや熱いメッセージと資料を添付し、電話をかけ、一度でいいから話を聞いてもらいたい旨を訴えました。

メール送付から間もなく、町長である下森博之さんご本人から連絡をいただき、「東京出張にいくので、そのときにお会いしましょう」と。

津和野町役場訪問から約1ヶ月後の話です。

文京区にある津和野事務所(森鴎外つながりで文京区と深いネットワークがある)でプレゼンをした直後、下森町長は「ぜひ一緒にやりましょう」と、その場で決まったのです。

のちに、下森町長に、なぜ即決してもらえたのかを伺ったことがあります。

その際、町長は、独自の教育制度や医療無償化、企業誘致など、さまざまな対策を行なってきたけれど、町内消費だけでは成り立たない財務難に陥っていたこと。町が自立していく仕組みや、観光地であるメリットをもっと活かしたいと思っていたが、魅力やその伝え方ができていなかったこと。

そこへ焦点を当てた企画提案は今後の津和野町の武器になると感じただけでなく、町に暮らしているからこその視点と町を出たからこそ見えてくる視点とをうまく融合し、町の新しい魅力が発信できることに期待しかなかったと話してくださいました。

下森博之町長と

以来、5年近く、ずっと津和野町と関わり続けています。

当初は、事業者の方にこっぴどく叱られたこともあります。約束の時間をすっぽかされたことも(東京と違う時間軸なので)笑。新型コロナ感染症が流行った期間中は、バイキン扱いされたことも(人口の多い東京から移動していたので当然です)。

けれど、事業者さんの想いを丁寧にヒアリングし、言葉と写真で届け続けたこと、津和野にあって、他にはないもので、人々が望んでいるものとは何かという視点を研ぎ澄ませ、返礼品を発掘したり、一緒に作り上げたり、新しい組み合わせを提案してきました。

一緒に企画を考え抜いたことで、信頼を築け、今ではすっかり仲良くなりました。

地元に住んでいる人はいつも「何にもないところ」と声を揃えて言います。しかし、地元から離れて都会の視点に立って見えてくる町の魅力は、膨大で、かつ「ないことがかえって魅力」だったりします。きっと津和野に住み続けていたら、私も同じように「何もないところ」と言っていたに違いありません。

この5年間、小さな改善を積み重ね、成功体験を少しずつ増やしていったことで、いまでは、役場の方々と町の課題解決に向けて大きなプロジェクトも進行中です。

また、他の自治体からもお声をかけていただくようになりました。

いまになって思うのですが、事業を立ち上げたり、何かに挑戦するときは、誰もが最初からすべてを手に入れているわけではありません。ロールプレイングゲーム/RPGのように、最初は、木の杖と布切れの服で荒野に出て戦い、少しずつ武器を手に入れ、経験を積みながら強くなっていくのです。

雑誌の編集長をしていたから、「怖いものなんてないでしょ」「なんでもできるんじゃないですか」とよく言われます。しかし、どんなに経験があっても、いまだに初めてのところに行くのは緊張してしまうし、プレゼンだって声がうわずってしまうことだってあります。

でも、その緊張や怖さを「えいやっ」と乗り越えた先にしか、世界は広がっていかないのです。

この記事が、新しく何かに挑戦したいと思っている方の役に少しでも立つならと思って、地方創生を始めたきっかけと道のり、裏話を書きました。

最後は結局、愛と勇気です。笑


最後まで読んでくださった方の「今日の勇気」にちょっとでもなれば幸いです。

また実際にどんな取り組みをしているのか、何をやってきたのかなどの具体的な内容に関しては、こちらを読んでいただけたら。

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