グルジア文学を読んで 〜アイヌ・うちなーぐち・みゃーくふつ、オーケストラ型世界〜
昨日、筆者がグルジア語の勉強をネイティブの方とした際に『20世紀ジョージア短編集』の話をした。この中に含まれる著者でいうと先生はミヘイル・ジャヴァヒシヴィリ(მიხეილ ჯავახიშვილი)の作品が好きだという。
1.ジャヴァヒシヴィリの中のアゼルバイジャン人
ジャヴァヒシヴィリの作品の登場人物やストーリーの精神分析はともかく、個人的に面白いと思った点がある。短編集の中に『無実のアブドゥラ』と言う短編が含まれているのであるが、主人公は現代グルジアの主流民族であるカルトヴェリ人ではなく、アゼルバイジャン人のアブドゥラだ。ロシア人も出てくる。『悪魔の石』と言う作品では村の悪党ダタは「アゼルバイジャン人とだけ仲良く」する気質の持ち主だった。ジャヴァヒシヴィリの作品ではコーカサスの民族模様や日常風景に多民族が欠かせない要素となっている。
2.日本文学の中の多民族
しかし、このような書き方は日本人の文学作品にはあまり見られないのではないか?例えば日本人(和人・シサム・大和人)の作品でありながら、アイヌや沖縄の人たちの目線で私たち日本人を描写した作品というのはないのではなかろうか?ジャヴァヒシヴィリの作品では日本が帝国時代から直視せず、放置し、主流社会・民族へとの均一化へと追いやってきた多民族問題や多文化の問題が作品の中に一般的な風景として溶け込んでいるように思う。
これは「日本にもそれがあって然るべし」という意見ではない。肝心なのはジャヴァヒシヴィリの作品にはアゼルバイジャン人の主人公が登場するが、なぜ民族的な日本人の手による文学作品では他の民族が主人公として出ないのか、という見方ができるということだ。
例えば、他の視点で当時の日本を描いた作品といえば真っ先に頭に出てくるのが夏目漱石の『吾輩は猫である』だ。一方で、アイヌが大々的に登場する作品といえば、文学から少し離れて私たちの今の漫画『ゴールデン・カムイ』を待つばかりではなかろうか(とはいえ、アイヌたち自身の文学では北斗のようにアイヌであるということが常に主体的な問題ではあったけれども)。
例えば少し前の多数派にとってアイヌの価値というのは、鳩沢の言葉を借りればすこぶる悪かった(あるいは今でも悪いか):
3.猫からアイヌへ
なぜ猫からアイヌへとキャラクターが変貌してきたか。そこにはアイヌや沖縄を取り巻く環境が帝国時代と現代世界でまるっきり変わったという理由がある。日本が自分たちが見てみぬふりをしてきた事柄に先住民族問題や絶滅危惧言語の保存やその発展などという点から相対せねばならない時代になったこと、それから今まで声が消されていた人たちからの「声の通り」が良くなってきたことが挙げられるだろう。それには言語政策の方向転換やインターネットの発展が要因として考えることができる。例えば今では沖縄語で書かれた本も通販で手に入るようになった。
4.「沖縄語」への翻訳
その中で宜志政信さんの『吾んねー猫どぅーやる』は面白かった。ムル(全部)うちなーぐちの翻訳である。読むと翻訳に大変試行錯誤と苦労をされている。例えば狸が沖縄にいないため、あえてマングースに訳すという試みをされているが、作品自体を読んでいただければわかるようにそれぐらいのレベルでは収まりきれない。
ところで、「なぜあえて沖縄の言葉に訳すのか」という考えをお持ちになる方もいるかもしれない。少なくとも宜志さんは昔放送で聞いた沖縄語版(1)の「吾輩は猫である」を聞いて、「自分だったらこうするのに」と思いついたことがあり、その思いが積もり積もって「自分で沖縄の言葉に翻訳をしてみる」という動機につながったということである。従って、そのパーソナルヒストリーが筆者が上記で述べた歴史云々の重い話に繋がるわけではない。
5.グギの脱言語的脱植民地化
だが、この「沖縄語であえて文学する」という姿勢はケニアのグギの姿勢を彷彿とさせる。グギは当初、ケニアの公用語である英語で文学作品を発表していたが、自らの民族語であるキクユ語で一九七七年から作品を作るようになった。特に彼はアフリカが旧宗主国であるヨーロッパの言語に沿って定義付けされていることに注目している:
グギはあえてアフリカを分断的に定義している言語から逃れることによって、アフリカの植民地という呪縛から逃れようとしているのである。ジャヴァヒシヴィリの文学の多民族性やグギの言語による文学による脱植民地化という考えは日本に住む私たちにとって示唆に富む点は多い。
6.みゃーくふつ文学
ところで、筆者は内地に住んでいるので、今の沖縄のアクティブな状況は掴みづらい。だが、新鮮な風はいくらでも吹いてきているように思う。例えば二〇一七年から行われている宮古島文学賞も第五回になったことは記憶に新しい。宮古島文学舎から細々出版されている『宮古島文学』では宮古島の島言葉「みゃーくふつ」での文学も登場している。筆者が平良から島尻地区に行く手前で「地区で島言葉での方言劇を行なっている」という話をたまたま出会ったお姉さんから聞いたこともある。
寄稿者たちや役者さんにはそのような「歴史が云々」等意図はまったくないかもしれないが、新鮮な言語感覚に筆者は「あいえなー、マブイうちゅるはじ!」と言わんばかりになる。一昔前だったらここで筆者も方言札をかけられていたかもしれないが・・・。
これは沖縄諸語やアイヌ語だけに言えることではない。今まで世界で声を上げられなかった言語たちが本で、SNSで、文学で声を上げられる時代になったのである。そこには貴賎もないのであって、クレオールだろうが沖縄語やアイヌ語だろうが、ラズ語であろうがロマニ語であろうがウイグル語でも等しく同じ文化的・精神的価値を伴ってものを言えるようになったのだ。アッシリア人がシリア文字でTwitterに呟くことがあれば、ロヒンギャ人がハニフィー文字のツイートを流すことを遮るものは何もない。世界がこれらの言葉に目を向ければ、世界はもっと豊かになるだろう。個人個人が奏者として声を挙げる、オーケストラ型の世界になっていく。
ただし、指揮者不在のオーケストラはカオスではないか。となれば、我々にはコンダクターが必要になる。そこで教育の根本の一つであるリベラルアーツとしての外言語の価値を見直すことや文学研究者、翻訳者(Translation Studies)の養成や質の問題、言語学者の責任などがリアルな問題として立ち現れてくるのである。
7.終わりに
さて、ジャヴァヒシヴィリの作品の中の民族多様性に注目した。そしてそれが日本語訳で知り得たことは世界がもっと翻訳により、複数の言語により豊かになってきていることの証であると思う。ただただこんな素晴らしい本を世に出してくれたグルジア本国と訳者児島先生にグルジア語の先生と感謝するばかりである。
8.脚注・その他
(1)ここでは沖縄方言ではなく「沖縄語」とした。政治的にはいろいろあるが、少なくとも筆者には日本語と沖縄語は相互理解が可能とは思えない。そのため、日本語と青森弁などとの相互理解度との問題もあるが、ユネスコ寄りの立ち位置になっている
(2)photo:ID 104322309 ©Victor Turek|Dreamstime.com
資料や書籍の購入費に使います。海外から取り寄せたりします。そしてそこから読者の皆さんが活用できる情報をアウトプットします!